似顔絵って【気持ち悪い】と【ほっこり】のはざまにあるよねという話

似顔絵が嫌い。推しの似顔絵がSNSに上がっているとゾワッとする。見るのも嫌だ……

似顔絵はまあ大丈夫だけど、カリカチュアが気持ち悪くて苦手。何であんなにひどい顔に描くの? 悪意を感じるんだけど……

という人向け、【似顔絵やカリカチュアを「気持ち悪い」と感じる理由】について、似顔絵を描く絵描きが考えてみた記事。

※自分も似顔絵を描く絵描きなのですが、「似顔絵ってなんか気持ち悪くて苦手」と何度か言われたことがあり、その経験をもとに考えてみた記事です。

「似顔絵って気持ち悪い」と拒否反応を示す人ってけっこういて、似顔絵を描く絵描きとしてはたびたび申し訳なさを感じている。このブログはもとは似顔絵ブログなのだけど、「似顔絵 嫌い」という検索ワードも多い。

似顔絵を描く絵描きである筆者も、実は「似顔絵ってなんか気持ち悪いんだよな……」というその感覚は少し分かる。

自分も似顔絵を描く者として、一時期それでお金をいただいていた者として、その上で言うのだけど、たしかに似顔絵って【気持ち悪い】と【ほっこり】のはざまにあるジャンルなのだと思う。

【気持ち悪い】と言われることが多いので敢えてこういう言葉を使ったけど、もっと綿密に表現するならば、

  • 見ていて居心地が悪い
  • 正視できない
  • ムズムズする

みたいな感覚ではないだろうか。

自分で似顔絵を描いていても絵柄によっては耐えられなくなることがあるし、他人の結婚式に似顔絵のウェルカムボードがあったりすると、それがうまければうまいほど、似ていれば似ているほど、ムズムズして正視できなかったり「ウワー!」となったりすることもある。

似顔絵を「気持ち悪い」と感じるのはなぜなのか、考えてみた。

似顔絵を「気持ち悪い」と感じる理由を考えてみた

現実と絵とではどうしても乖離が起こるから

絵を描くというのは、三次元のものを二次元の紙の上に再構築することなので、どうしても実物と絵では乖離が起こる。デフォルメすれば乖離は大きくなるし、いくら正確に模写してもズレは起こる。

この乖離が【違和感】となって【気持ち悪い】と感じるのではないだろうか、ということ。

その似顔絵がうまければうまいほど、ズレを生々しく感じてより違和感が強くなる。

ロボットの外見がある一定以上人間に似ると親愛度よりも不気味さが上回ってしまう【不気味の谷現象】という言葉があるけど、「にせもののくせにキワキワまでリアル」というのはもう理屈ではなく【気持ち悪い】ものなのだと思う。

その人の我が出てしまって解釈違いを起こすから

たとえば同担の人が推しの似顔絵を描いていて、その絵に対して気持ち悪さや居心地の悪さを感じる……みたいなことってあると思う。

三次元の現実を紙の上に再構築する場合(絵だけでなく写真でさえも)、どうしても描き手・撮り手の主観が入る。強い言い方をすると、「我が出る」。

全ての絵は、描き手の「主観」や「我」が混入した、現実の二次創作だと言うこともできる。

自分の中の推しと他人の中の推しには当然ズレがある。それが似顔絵として可視化されることで、気持ち悪さを感じるのではないだろうか。二次創作の世界の言葉で言うなら【解釈違い】という言葉が近い。

筆者は自分でも似顔絵を描く(ちなみに、二次創作歴も長い)ので「この部分とあそこの部分が私とは解釈が違うな」と解釈違いを受け流すことに慣れている。

けど、自分では似顔絵を描かない人や、解釈違いを受け流すことに慣れていない人の場合「この似顔絵、なんか違う……なんか気持ち悪い……うまい絵なのに申し訳ないけど……なぜだ?」という違和感だけを感じることになってしまうのかも。

※「主観が入る」と「我が出る」は似ているようでちょっと違う気もするのだけど。

美化しすぎていて小っ恥ずかしくなるから

対象を美化しすぎていて、「見てるとこっぱずかしくなってくるわ! 恋は盲目かよ!」みたいな似顔絵、これはあるあるなのではないかと思う。

特に推しを描く場合、つい美化してしまう。「実物より目をキラキラ大きく描いちゃう」とか「ぶちゃいくになっちゃうから鼻を描かない」とか。

見ている人にとっては他人の中の「推し」を見せられているということになる。一回他人の中に取り込まれて咀嚼・消化された推しを見る、ということなので、それがズレや違和感、あるいは気持ち悪さになるのではないか。

※カリカチュアが気持ち悪いのは「風刺のための悪意あるデフォルメ」だから

「似顔絵はまあいいけど、カリカチュアは気持ち悪くて嫌い」という人もいる。(この記事にも「カリカチュア 嫌い」という検索ワードでたどり着いてくれている人が多い)

そもそもカリカチュアというのはイタリア語の「caricare(誇張する)」という言葉が語源だそうだ。

17世紀の美術史の書籍では、カリカチュアについてこう定義されている。

モデルの全体像の可能なかぎりの類似を目ざしたもので、冗談ないしは嘲笑を目的としてその人物のもつ欠点を故意に強調し、容貌の諸要素がすべて変形されているにもかかわらず、全体としてはその肖像がまさにモデルそのものであるように描かれた肖像画を指す

『絵画用語事典』フィリッポ・バルディヌッチ(1981)

平たく言うと「その人の欠点を故意に強調して、笑いものにするための肖像画」。表立って政治批判をできない情勢で政治家を風刺するのに用いられてきた手法でもあり、見る人が不快に感じて当たり前(むしろ不快感を抱かせるための手法であるから)と言える。

※ただ、嘲笑や批判を目的としていない場合でも誇張をキツめに描くことを「カリカチュア」と呼称している絵描きさんもいて、意味合いは多様化しています。

描き手の主観が【ほっこり】に通じることもある

つまり、描き手の主観フィルターがはさまることで実物と絵とでズレが生じて、それが【違和感】や【気持ち悪さ】につながっているんだと自分は考えている。

しかし、その描き手の主観フィルターこそが、似顔絵の【ほっこり】部分になることもある。

孫が描いたおじいちゃんおばあちゃんの似顔絵を見て【ほっこり】するのは、「やさしくてあたたかい絵で素敵だねえ、この子にはおじいちゃんおばあちゃんがこんなふうに見えているんだねえ……」などと思うからだろう。

仲良しの同担の人が描いた推しの似顔絵を見て【ほっこり】するのは、「うんうん、この人には推しがこう見えているんだなあ! 分かる分かる、横顔のそのライン素敵だよねえ、私もそこ好き!」とか思うからだろう。

つまり、似顔絵は描き手の主観フィルター込みで愛されてこそ成立するものと言えるのではないか。

対象の人物とそれを描く人の間にあたたかい視線があって、似顔絵を描く人と似顔絵を見る人の間に好意が存在して、初めて似顔絵は【気持ち悪い】じゃなく【ほっこり】になるのかもしれない。

似顔絵っていうのは、うまいへた以上に【関係性】が重要なジャンルなのだと思う。

気持ち悪くない似顔絵を描くにはどうしたらいいのか

似顔絵を描く絵描きとして、【気持ち悪い】と思われないためにはどういう表現を採ればいいのかなあ……、というのは、無意識で、ばくぜんと、ずっと考えていた。なるべく見る人の違和感を減らして、見る人の中にスッと入っていけるような描き方ってできないのかな、と。

※似顔絵描きのみなさんはそれぞれに自分の手法があるだろうし、「気持ち悪いって言われようが自分は好きなように描く」という人もいるだろうし、それで良いと思います。

上で考えてきたようなことを踏まえると、

  • 【不気味の谷現象】が起こるレベルまでキワキワにリアルにしない
  • 主観は入っても仕方ないけど我は出しすぎない
  • 他人が見て小っ恥ずかしくなるほど美化しすぎない

ということになるけど、自分が行き着いた一つの手法としては「ごくシンプルに描く」という感じのところに落ち着いている。「似顔絵」というより「記号」とか「マーク」に近い表現方法。目安としては消しごむハンコにできるくらいに簡略化してしまう感じ。

マルと棒でシンプルに描く

二次創作をするときって原作やそのファンを尊重して表現にも十分気をつけるけれど、似顔絵を描くのも原作(ご本人)とそのファンがいることなんだよな、と、この記事を書いていて感じた。

もともと自分は欠点を誇張して描いたりする画風ではないけど、これからも似顔絵を描いていくにあたって、慎重に、ポジティブな表現をしていきたいと思います。

タイトルとURLをコピーしました