「絵をTwitterに上げてもいいねがあまりつかない。私の絵は需要がないんだ…」
と悩んでいる人向け、
「私の絵、需要がない(涙)」と言ってしまうとそこで終わるから、
- 需要ってなんだ?
- どうやって見つけるの?
- どうやって伸ばすの?
としつこく考えてみたら、つけ麺とぬれ煎餅の話になった記事。
「私の絵には需要がない」のではなく「私は需要のある絵を描いていない」
「私の絵には需要がない」ってボヤッとした言葉で言っちゃうと、そこで思考停止して「はあ悲しい……」「もっと絵が上手くなりたいな……でも上手くなれない……悲しい……」みたいな感じで終わらないネガティブに突入する。
そのループ私もさんざんやってきて大いにムダだったから、思考停止しないためになるべく理屈で考えるようにしている。
まず、このお悩みの状況を正しく表現するならば、
「私の絵には需要がない」のではなく「私は需要のある絵を描いていない」。
もっと正確に言うと、「今、現時点で、私は需要のある絵を描いていない」。
こう言い換えてみることで、「だったらこれから自分はどうしたいのか、どうするのか」というふうに思考が次へ進む。
するとざっくりこの二択になるんじゃないだろうか。
- これからはもっとおおぜいに需要のある絵を描きたい。
- そういうわけではない。自分(と同志)に需要のある絵を描きたい。
どっちが良いとか悪いとかではなく、望むほうに進めばよい。
おおぜいに需要のある絵を描きたい場合
まず、おおぜいに需要のある絵を描きたい場合について考えてみた。
「需要って、つまり流行ってる絵を描けばいいんでしょ? 流行ってる絵柄とか、流行ってるジャンルのファンアートとか」
たしかに流行りに乗っかれば多少はその恩恵にあずかることはできる、というのは自分も経験がある。けど曲がりなりにも【需要】という言葉を使うならば、そんなに単純な話ではない気がする。
だって「流行っているものを後追いさえすればうまくいく」みたいなそんなに単純な話で済むなら、この世にマーケティングは必要なくなってしまう。
では【需要】を見つけるにはどうしたらいいのか。経済の世界では【需要】ってどんなふうに見つけて育てているのか。
「いや、需要ってただの言葉の綾だよ! 単にもうちょっと絵にいいねがついたらいいなっていうだけの話じゃん……」と思うかもしれないけど、それだと答えが出ないので敢えてナマナマしく理屈で考えてみたらけっこう興味深かったという話。
※絵に関して需要とか供給とか言うのは個人的にはあまりしっくりこないことと、筆者は経済に関して素人であることをお断りしておきます。
市場調査をする
何か新しいサービスや商品を売りたいときどうするかというと、今みんながどんなものを欲しがっているか、という【需要】をまずは知る必要がある。
しかし市場がすでに成熟している場合、後出しで似たようなものを作っても競争率が高くてお話にならず、採算が合わないで終わってしまう。
【需要】というのはシビアなもの。
ではどうするかというと、一見成熟しているように見えるその市場に足りていないもの・消費者が不満に感じているもの、つまり「未充足の欲求」を満たすものを提供する。
ラーメン屋激戦区に店を出すためにまずければ売れないのは大前提として、さらに他と違う良さがあって、しかもそれがかゆいところに手が届く何かでないと、強烈に欲しがってはもらえない。
敢えて【需要】という言葉で考えるならば、なんとなく好きに絵を描いて「私の絵には需要がない……」と言うのは、そりゃそうだということになる。
逆に、見る人たちの「未充足の欲求」を満たせる絵を無意識で描けてしまう絵描きもたくさんいる。
「こんな絵がウケてるな」とか市場のデータを取って分析するのではなく、無意識の肌感覚、その人が今までたくさんのものを見たり知ったり描いたりして育ててきたアンテナによるものが大きいのかもしれない。(敢えて「センス」という言葉は使わない。)
方法その1:おおぜいが何を求めているかを知り、さらに市場の中で他と差をつける決定的な"売り"を持つ。
ニッチな需要を見つけて育てる
そんな広い市場で勝ち抜いていくのはとてもじゃないけど無理。自分のアンテナも育ててないし肌感覚に自信ない。
という場合「ニッチな需要を見つけて育てたら意外と伸びた」なんてこともある。
先日、「つけ麺」は賄いから生まれたという話を知った。湯呑みにスープと醤油を入れて残った麺をつけて食べていた賄いを常連さんが見て「俺も食べてみたい」と言ったところから始まったそうだ。かなり狭くて限られた需要から始まって、より良くなるように改良した結果、今はポピュラーな一つのジャンルとして確立されている。
絵と比べるのも乱暴だけど「適当に描いたのに、なぜかピンポイントの数人からやたら濃い反応をもらった」みたいな経験って誰でも何度かあると思う。
私もある。普段はいいねだけのことが多いのに珍しく数人がリプをくれて、「え、嬉しいけどなぜ……???」となるような体験。
それを「モノ好きだなあ」とか「たった○人だけにウケてもねえ……」と切り捨てず、「どこがそんなにこの○人を惹きつけたのか」と考えてみる、そして真摯な態度で伸ばしてみることができる。
そこにはつけ麺的な隠れた【需要】があるのかもしれない。
その数人が先陣切って早々とその隠れた【需要】を見つけたのかもしれない。
同じ【需要】を見つけるんでも、この方法ならやりがいを感じるし楽しそうな気がする。
だって、残った麺を湯呑みで食べてるのを見て「美味しそう、食べてみたい」と思う人もいるくらいなんだから、需要のモトなんてどこに転がっているかわからない。
そしてそれを「いや、これ賄いだから」「モノ好きだな」と切り捨てずに真剣に取り組んだからこそ、みんなから愛されるメニューになったのだから。
ちなみに私はつけ麺を食べたことがないので、やはりニッチではあるんだと思う。
方法その2:"数人からなぜか好かれたモノ"から、隠れた【需要】を見つけ出して伸ばす。
今売れているものをさらに伸ばす
千葉のローカル鉄道である銚子電鉄は、売上の8割が鉄道以外だという。有名なのはぬれ煎餅。
いろいろ事情があって資金不足だったのを副業の煎餅販売で補ったわけだけど、これを「我々は鉄道会社、煎餅で稼ぐなんていかがなものか? 鉄道事業に全振りすべき!」とか言っていたらとっくに破綻していただろう。
売れているものを素直に伸ばして行ったことでなんとかなったという例。(実際はもっと複雑な経緯がある)
実際、関東の人間ではない私はぬれ煎餅がきっかけで銚子電鉄のことを知ったし、ぬれ煎餅も買ったことあるし、「乗ってみたいな」という興味や好感を抱くようになった。
絵を描いてて「シリアス絵柄で評価されたいんだけど、いつもデフォルメのほうが伸びるの複雑……」「もっとオリジナルを見てほしいのに、二次絵しか伸びなくてつらい」みたいなジレンマってよくあると思う。
そこで「じゃあシリアスだけを見てもらうためにデフォルメを封印しよう!」とかやってしまって、当然見てもらえる数も減ってモチベーションが破綻するところまでがあるあるだと思う。
そういうときの身の振り方の参考にもなりそう。
デフォルメ描くのがどうしてもイヤだとかやめたいとかじゃないなら無理にやめなくてもいいし、それをきっかけにもう一方にも興味を持ってもらえるかもしれない。
【需要】を増やしたいなら、今人気を得ているものを素直に育てていくというのも策の一つになる。ということをぬれ煎餅は教えてくれている。
方法その3:素直に"今伸びているもの"を続けて、身を任せてみる。
大発明をする
iPhoneみたいになんかすごいもの、新しいものを作り出してみんなが欲しがるようになれば、大きな【需要】を生み出したということになる。
ただこういうのは時代とかチームとか技術とかいろいろな巡り合わせで結果的にそうなるのであり、ちょっと狙って気軽にどうこうできる話ではない。本が何冊も書けるくらい、たくさんの複雑な要素があったわけだし。
「私がなんとなく好きに楽しく描いた絵が、なぜかおおぜいの人から爆発的に支持されたりしないかな〜!」というのは現実的ではないので、楽しい空想でとどめておくと幸せかもしれない。
方法その4:時代の寵児だったら存在自体が需要になることもある、のか……?
自分(と同志)に需要のある絵を描きたい場合
今まで読んでみて「やっぱり違うな、そんなふうに絵を描いたって自分は全然楽しくない。人にウケることは一切意識したくない。でも需要は欲しい」ということならば、自分だけに需要があるものを描くこともできる。
自分が見たい絵を描く。
「〜っていうの誰か描いて」を自分で描く。
自給自足は、なによりまず自分が楽しめる。
自分の畑で採れたニンジンを抱えてニヤニヤしていれば、通りすがりの人が「美味しそうだな」と感じて興味を持つ「つけ麺的展開」が起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。そこからニッチな需要に発展するのかもしれないし、しないかもしれない。しなくても別にいい。自分の需要は確かにあるので。
なんにせよ、まずは自分の需要を満たさなければ始まらない。
「自分にしか需要ない」って言葉もよく使うけど、自分の需要を100%満たすものっていうとなかなか作れない気がする。「自分の需要100%を満たすもの」をひたすら追求していくの面白そうだなと今書いていて思った。
方法その5:自分の需要を優先する。
目指す【需要】はなんだろう?
「私の絵には需要がない」ってぼんやりしていて、使うことで少しずつ自信を失う言葉だと思う。
だから一度はっきり「需要ってなんだ」と考えてみたのだけど、けっこうやりようがあった。
自分の場合は基本的には自給自足生活で、ときどき「あら、いいニンジンですね!」「ありがとうございます! 自慢のニンジンなんですよ(と数本差し上げる)」とかやりながらニンジンを作り続けている感じ。
「続けていると、もう少し先でどう転がるかはわからない」というのも【需要】の面白いところ。
何度も言うけど、残った麺を湯呑みで食べてるのを見て「美味しそう、食べてみたい」と思う人もいるくらいなんだから。たしかに人がそんなふうに食べていたら、ちょっとそそる。
「需要がない……」と言ってしまうのではなく、つけ麺&ぬれ煎餅の精神で行くと元気が出るんじゃないか。