そのイラストに「いいね」が押しにくい理由

Twitterで自分のイラストに付く「いいね」の数、全く気にしたことないなんて人はいないだろう。

以前、そもそも「いいね」ってつまり「わかる〜!」の数だよね、という記事を書いた。

しかしこれは主に絵を描かない人からの「いいね」についての記事だったので、今回は絵を描く人同士からの「いいね」について考えてみた。

「みんな同じようなレベルなのに、自分だけいいねが少ない!」

SNSで、絵を描いている人同士がつながったりコミュニティを形成する。自分の絵を見てもらい、同時に他の人の絵を見て楽しむ。自分の絵に「いいね」をもらったり、他の人の絵に「いいね」する。

そして、そこで生まれてくるのが「私はあの人よりいいねが少ない」とか「私はあの人にいいねしてるのに、あの人はいいねしてくれない」というモヤモヤだ。

そういうモヤモヤが生まれてくるということは、「私の方が上手いのに」「たいしてレベルは変わらないのに」と感じているはず。(でなければ「あの人の方が上手いから、そりゃいいねもいっぱいつくよね」と思えるだろう。)

つまり、同じレベルの絵なのにいいねの数が自分だけ少ない、ということに不公平感を感じているということ。「ずるい」という気持ちは強烈な怒りや悲しみを引き起こすので、時に人を狂わせてしまう。

「自分より下手だと思う絵は自分と同レベル」という言葉がある

しかし、インターネットのだいぶ初期から「自分より下手だと思う絵は自分と同レベル」という言葉がある。「自分と同レベルだと思う場合は相手の方が上手い」とも言われる。

「あの人より自分の方が上手いのに」と思っているときは、「あの人」の絵のすごさが、自分に見えていないだけかもしれない。

また、絵の上手い下手は総合力だ。キャラの表情、ポーズ、描き込みの量、色選び、色の塗り、ネタ的なキャッチーさ、流行りとの兼ね合い、などなど全部ひっくるめて「いいね」になる。どこに重きを置くかも人によって違う。ぶっちぎり全要素満点でもない限り、どうしても不公平感は生まれてしまう。

自分の絵がかわいくてえこひいきしたいのは当たり前なのだが、そこは現実を見なければならない。よっぽど人格的に問題があって「いくら上手くてもこいつの絵にいいね押したくないわー」と思われてるとかでなければ、あなたの比較している「その人」の方が、あなたよりも評価されているということだ。

もしくは、「なんであんな下手な絵にいいねがいっぱいついてんの? 私の方が上手いのに」という気持ちがみんなにバレているのかもしれない。

自分の絵には脳内補正がかかるということを意識する

自分の絵というのは脳内補正がかかり、アラが見えないようになっている。

ウサギとかクマのぬいぐるみを作って販売している知り合いがいたのだけれど、顔をビーズでつける時にどんどん配置がおかしくなっていったことがある。

目と鼻が近いほど幼い顔立ちに見えて可愛いので、ついついどんどん近くしてしまい、最終的に鼻が目の上に来ていた。自分では気付かなかったそうだ。そして普通に売れ続けていた。ある日「鼻の位置変じゃないですか?」と一人の通りすがりの人に言われ、「誹謗中傷された!」とキレてぬいぐるみづくりをやめてしまった。

手癖で描き続けると違和感に気づきにくくなる

「いいねを押したくない絵」の特徴

いいねを押したくない絵、というか、違和感を感じてしまっていいねを押すまでに至れない絵、というものはあると思う。「いいね」の前に「え?」となってしまう絵だ。

「骨折絵」は見る人を不安になる

しょせんはデフォルメのなされたコミックなのだから、筋肉や骨格を完璧に把握した絵でなくてもよくて、ぱっと見違和感を感じない程度に描ければいいと自分は考えている。でなければ、絵なんて描けない。

「よく見ればこれ親指の位置が下すぎる」とか「よく見たら腕の筋肉のつき方不自然」とか、どんな絵にもアラは探せるけれど、美大の採点でもあるまいし、誰もそこまでアラを探して「こんな絵にいいねはつけられませんね」なんてやらない。「いいね」なんてぱっと見で、感覚で付けるもの。

だからこそ、ぱっと見で強い違和感があると「いいね」の手が止まってしまうのだと思う。

例えば関節があり得ない方向に曲がっているような、人体の構造を無視したいわゆる「骨折絵」という言葉がある。これは、上手い下手以前に恐怖感や不安感を与えてしまうのだ。残酷な表現として敢えてそういう表現をする人もいるし、それを評価する人もいるが、それとは状況が違う。

でも脳内補正がかかっているので、自分では違和感に気付かない……。前述のウサギのぬいぐるみもその例だろう。

見た人も「え?」が先に立ってしまい、「いいね!」まで至れない。一生懸命描いたとか色が丁寧に塗ってあるとか、好感を抱いて評価したい部分は他にあっても、違和感でかき消されてしまう。

ぱっと見違和感のない絵を描くくらいの話であれば、ちょっと勉強するだけでだいぶ違うと思う。特に漫画の模写や、好きな有名人の写真の模写から絵を描き始めた人は、人体を正しく掴めていないことがあるので。

私の場合はこちらの書籍を参考にしていました。


やさしい人物画


人体のデッサン技法

なぜこの二冊かというと、地元の図書館にあったので。それだけの理由です。

つまり解剖学の基本が書いてあればなんでもいい。手に入りやすいものでいい。

人体の基本のほか、「気をつけした姿勢だと肘がヘソと同じ高さに来る」とか「内くるぶしと外くるぶしは内くるぶしの方が位置が高い」とか、そういうことがぎっしり図説してあって「へえー」となる。そこを意識して描くとちょっと上手く、それっぽく見えるポイントというのがいくつも詰まっていて、手っ取り早くちょっと上手くなれる。

画風が古臭いと見る人をセンチメンタルにしてしまう

その時そのときの流行りの絵柄があり、今は80年代風の絵柄が流行っていると感じる。ゆめかわいい色使いや、丸顔に離れ目のサンリオっぽいニュアンス、ネオンサインのようなロゴなど。

時代だけ見ると「古い」のだけれど、若い人が新しい感性で捉え直して描いているので古臭くなく、みごとに新鮮に生まれ変わっているなと思う。ファッションやメイクの流行も、昔流行ったものが現代風にアレンジされて再流行することがよくあるように。

つまり、古いと古臭いは別物だということ。

「オバ絵」という言葉があったが、これは「おばさんくさい絵」、つまり年齢を重ねた人が、昔流行った絵柄を今もそのまま描いていることを言う、良い意味ではない言葉だ。

古臭いと見えてしまうのは、そこで考えることをやめてしまっている絵柄なんじゃないか。惰性や手癖で長年アップデートせずに描き続けてしまっている絵柄。

メイクも同じで、水色のアイシャドウを広めに入れている人を見ると「30年前に社会人になってすぐ覚えたメイクが今もそのままなんだな。ああ流行ったなあ水色のアイシャドウ……(ていうか今もアイシャドウって言うの……?)」と遠くを見てセンチメンタルになってしまう。

その時代を大事にして、敢えてしているならそれでもいいし、むしろ尊いことかもしれない。

でも、たくさんいいねが欲しい、評価されたい、というなら、自分の中で時が止まらないように「今はどんな表現が流行っているんだろう」とアンテナを張ることも必要かなと感じる。随時アップデートされていれば、古くても古臭くはないはずだ。

古臭い絵柄を見ると、「ああ自分もこういう感じの描いてたな……誰々の影響でこういう目の描き方流行ったんだよね……」「色の濁るフォトショ塗り、してたなあ……」と過去の自分と対面させられて、苦笑いが出てしまう、そんな経験あるでしょう。

そうするとやっぱり、センチメンタルと黒歴史と郷愁が一挙に打ち寄せてきて、やはり「いいね!」という気持ちになりにくいのではないだろうか。

脳内補正に気付き、自分の絵を疑い続ける

「自分の方が絵が上手いのになぜ?(上手いという根拠はない)」と嫉妬してしまったり、絵を描き始めた頃の手癖のまま十何年、何十年も描き続けていたり、人体に違和感があることに自分では気づけていなかったり。

これらは全て、自分の絵を客観的に見ることができていないために起こる。でもそんなのプロでも難しいことだから、まずは自分の絵を疑うことから始めるしかない。

それにはまず解剖学を含むデッサンの書籍を一冊読み、たくさん描くことしかない。

知識があれば、「こんなに腕って曲がるっけ?」とか「筋肉のつき方これで不自然じゃないかな?」「男性の鎖骨ってこんな見え方するかな?」など、自分の絵を疑ってかかれるようになる。

また、「この表情の表現古臭くない?」「色の塗り方がいつも惰性だな、いまいち垢抜けない印象を与えているかも」など。疑うべきところは無限にある。きっと絵が上手い人だって、プロですら、毎日自分の絵を疑って、アップデートしながら描いていると思う。

そうしている間に、いいねより自分の絵への探究心が優先されて「描くのが楽しい」「上手くなるのが嬉しい」という気持ちが強くなって、結果としていろんな人に「いいね!」と言ってもらえる絵になっていく、ということだと思っている。

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