二次創作したいのにネタが思い浮かばないんだよな……
新作描きたいんだけどネタがなくて描けない……
と焦ってしまう人向け【二次創作をしているのってそもそもなぜかと考えてみたら、自分の場合は「自分の中で整理がつかない作品を整理するため」かもしれない。だったら、ネタが思いつかないってことは「今は二次創作する必要ない」ってことかもしれないな」と考えてみた】という記事。
同人者として長らくいろいろな作品に触れ、いろいろなジャンルを渡り歩いてきた中で、「なんかやたらいっぱい描きたいものを思いついて、手が追いつかないとき」と「好きな作品なのに何も思いつかないとき」ってあるよな、ということに気づいた。
そこで、
- 自分の場合、二次創作ってそもそもどんなときにしてるのだろう
- ネタが湧いてきてしまうときとそうでないときの違いってなんなのだろう
ということを考えてみた記事。
自分の場合、二次創作ってどんなときにしてるのだろう
大前提として、二次創作って「描きたいネタを思いついてしまい、どうしても描きたいという衝動に駆り立てられてするもの」で、義務感でするもんじゃないと思う。
つまり、描きたい衝動が湧いてきてしまうとき。それって自分はどんなときなんだ? と思い出してみた。
自分の中で整理がつかない作品を整理するため
視聴し終わっても自分の中で整理のつかない、いわゆる「クソデカ感情」を持て余してしまう作品というのにたまに出合う。
そういうときは何度も映画館に足を運んだり、円盤なり配信なりで繰り返し視聴して、なんとか消化して理解を深め、腑に落とそうとしてきた。
「オタクってなんで同じ作品なんども観るの?」に対する答えの一つも、これなんじゃないだろうか。
それでも整理がつかないとき、二次創作という手段をカラダが知っている人は自然と二次創作をし、気付いたら描き(書き)上がっている。
そこでハッと正気に戻り、「そうか、自分はこういう解釈をしていたんだな」と自分の気持ちがハッキリと形を持ったり、さらに広がったりする。
SNSなどに投稿している場合は、他の人からの反応をもらうことでよりいっそう形が固まっていったり、再びぼやけて再構築されたり、ということもある。
自分にとっては、二次創作ってこんな感じ。
すっごい作品を観て心にドーンと形のハッキリしない大きな何かが巣食ってしまい、それが嬉しくて苦しくてワクワクしてモヤモヤするので、すこしずつ消化して整理していずれ心の引き出しに収めるために、二次創作をしているのかなと思っている。
なので整理がつけば、さしあたりその作品の二次創作をする理由はなくなる。(もちろん理由がなくても「たのしいから」というだけで続けることもある)。ジャンルに飽きたとかではなくて「いったん整理がついて、引き出しにしまえるような状態になったから、いったん落ち着いた」みたいな感じ。
いつまでも整理がつかなければ、長く二次創作をすることになる。
自分は他の人の二次創作を読むのも好きなのだけど、他人の解釈を読む機会が多いとそのぶん心の整理がつくのも早くなったりする。(メジャーなジャンルで二次創作がたくさんある場合とかだと、人の解釈を読みまくっていたら整理がついてしまうこともある)
この「クソデカ感情」を長く楽しみたいから、整理がつかないワクワクモヤモヤを長く楽しみたいから、他人の二次創作もちょっとずつしか摂取しない&自分もペースを落としてじっくり二次創作をする、ということもある。
「このキャラが死ななかったらどうなっていたか……」
たとえば物語の半ばで推しが死ぬってよくあることだけど、「もしここでこのキャラが死ななかったらどうなっていたか……」と考えることを楽しんだりする。
ときには推しが、どう考えても何かの大人の都合としか思えないような死に方をすることもあった。そんなときは自分が納得できるまで二次創作したりしていた。
二次創作には死んだキャラを転生させたりという創作形態もあるので、無限に救いを求めることができる。
「キャラの関係性にこんなことがあったんじゃないか……」
作品内で深い絆で結ばれている二人のキャラ、なんでそんなに信頼しあっているんだろう……それには過去の事件が……というのが本編内で語られないこともある。
逆に、本編中ではいがみあっている二人だけど過去は違っていて、いったい何があったのか……みたいなこともある。
なんかすごいグッとくる過去があったはずなんだけどそれがハッキリ語られていない場合、「こんなことがあったんじゃないか」「この二人が持ってるお揃いのコレってこういう経緯があるのでは?」みたいなことをいくらでも想像できる。いくら想像しても答えはないしなんの利益もないことだけど、それこそが楽しいのですよね……。
「悲しい結末に終わってしまった部分をハッピーにしたい……」
「主人公たちの未来はこれからどうなっちゃうんだろうエンド」みたいな作品の場合、ハッピーな未来を作り出して自分の心の整理をつけるということもあった。
二次創作なら悲恋に終わってしまった二人を転生させて再び出会わせることもできるし、世界が壊滅してしまったあとで主人公たちに復興させてもらうこともできる。
半ばで終わってしまった作品を、自分なりに完結させるため
あとこれは自分のケースなんだけど、大好きだった作品のクライマックスで作者が急逝し、未完のままで終わってしまったことがあった。
コミカライズもされて一応は完結したんだけど描かれていない部分も多く、ファンの中では未完のままという感覚が大きいと思うんです。
自分も、心の整理がつくまでけっこう長い期間をかけて二次創作をしていた。
思いつかないときは描かなくてもいいときなのかもしれない
もちろん二次創作するのに理由なんて必要ないし、「好きな造形のキャラがいるから」でも別に全然いいと思う。
ただ「流行のジャンルで二次創作したいけど私にはネタが思いつかない、発想力がない自分ってダメだな……」と焦ってしまうとかなら、「そういうときは二次創作しなくて大丈夫なときなのでは?」ということです。
「二次創作のネタが湧いてこないってことは、私はこのジャンルに対して愛が浅いのかも……」というのも、自分は違うと思っている。
その作品が大大大好きでも、自分の胃腸にジャストフィットでスッキリ美味しく消化できれば、二次創作しなくても腑に落ちれば、それでいいわけだし。
SNSで他人の描いた愛のあふれた二次創作を見たり、「もう映画館で何十回観た」みたいなことをTwitterで目にしたりすると、なんか自分の愛が浅い気がして焦ってしまう……っていうのは、違うんじゃないかと思う。
自分はこの作品をそこまでしなくても消化できた(自分の胃腸とコンディションがちょうど対応していた)んだな、というだけの話で。
ウシとかヤギは反芻をしながら消化する。歯のないニワトリは砂粒を餌に混ぜることで、砂ずりで食物をすりつぶして消化する。獲物を丸飲みするワニも、石を飲み込んで中ですりつぶして消化を助ける。
消化の仕方はそれぞれで、元気に生きていければその生き物にとってそれが正しい。
普段は消化管一方通行でスムーズに消化している人も、クソデカ感情を呼び起こす作品に出会ってしまったら、消化のために砂粒が必要だったり反芻が必要だったりすることもあるかもしれない。
そんなふうにどうしても二次創作しなきゃいられない作品に出会うときってあって、はかりしれないパワーが出てきてしまうし、ネタも無限に湧いてきてしまうし、フィジカル的にも頑強になって無限に描いてしまう。
そんな状態で思いっきりやるから二次創作は愉快なのであって、そういうときだけ思いっきりやれば良いよな、と思っています。