「二次創作の漫画の描き方が分からない」まずは顔漫画でもいいのでは?

二次創作の漫画を描きたいけど、描き方が分からなくて描けない……

ネタはたくさん思いつくのに、技術が追いつかなくて漫画が描けない

という人向け【まずは顔漫画でもいのではないか。ネタを形にしていく上で、技術はあとからついてくるのかもしれない】という記事。

「私も二次創作したい! ネタはいろいろ思いつくのに、漫画の描き方が分からないから描けない。ググっても分からなかった、うーん……」という人ってけっこう多いんじゃないかと思う。

でも正しい漫画の描き方なんてものは無くて、「上手い人っぽい人が描くそれっぽく見える漫画っぽいもの」があるだけで、時代によってもジャンルによっても変わる。

「上手いっぽい人が描くそれっぽく見える漫画っぽいもの」を描こうとするとそれなりに年月や研鑽が必要になってしまうので、最初からそこを目指すとそりゃあちょっとググったくらいでできることでもないし、「難しそう、無理」となってしまう。自分も20年以上同人をやってきて、漫画が上手くなっている気は全然していない。

でも自分は漫画家になりたいわけではなくて、「私の中の推しを描いてみたい、みんなに見せたい」ということで描いている。二次創作している人や二次創作をしてみたい人って、そんな感じではないだろうか。

ならば「上手い漫画を描くこと」よりも、「思いついたネタを形にして、同好の士と共有する」を楽しむことこそが核心なのではないか。

「私も漫画描きたいけど描き方が分からないし……」という人にもたくさん出会ってきて、「えっ一緒に描こうよ描こうよ!」と気持ちになることが多かったので、こんな記事を書いてみた。

※二次創作というのはデリケートな部分がある創作なので、自分のジャンルが不安な場合・よく分からない場合はまず著作権やジャンルのルールなどを確認してください。

同好のによってつむぎだされた推しを読みたい

「ネタをたくさん思いついているけど、絵が上手く描けないから無理」と言う人に「うおーそんなこと言わずに見せておくれよー! 上手く描く必要なんてないじゃないの、見せてよー!」と思ってしまったことないだろうか。

そう、漫画が上手いかどうかなんて重要ではなくて、「同好の士が思いつき、同好の士の手によってつむぎだされた推しを読みたい」のだ。

だったら、思いついたネタが伝わればまずはそれで十分なのではないか。

そこで漫画っぽいものを描き始める最初の一歩として、【顔漫画】と【紙芝居】を提案したいと思う。

まずはバストアップが続く【顔漫画】でもいいじゃない

【顔漫画】って自虐のときとか他人の漫画をけなすときに使われる言葉だけど、例えばこちらの比較ツイート。

確かに左の【顔漫画じゃないほう】の方が技術が高くて上手いっぽく見える。漫画が描ける人っぽく見える。「漫画を描けない、描き方がわからない」と言う人は、こういうのが難しくて描けない・描きかたが分からないよ……ってことだと思う。

対して、【顔漫画】の方は淡々と進んでいく感じで、特に難しい構図などは使っていない。「読み手の想像力に依存している」と書かれている通り多少の読みづらさはあるので、キャラや作者に思い入れがないと興味を持って読み進めにくいかもしれない。オリジナルを描きたい! とか漫画の技術を上げたい! という人の場合は、たしかに、顔漫画は脱出したほうがいいのかもしれない。

けど正直、これが推しと推しの会話なら、たとえ顔漫画であろうがじゅうぶんなのでは? 同好の士といたしましてはいくらでも想像力で補うことができるので、読み手の想像力に思うぞんぶん依存してもらって大丈夫なのでは?

キャラの描き分けが不安ならキャラごとに吹き出しの色を変えたり、背景が拙くて伝わりにくいと思えば「※ここはキッチンです」「※なんかすごいゴージャスなホテルの部屋」などと情報を添えることで、読み手はいくらでも補完できる。

そもそも自分は二次創作を読んでいるとき「これ顔漫画だ」と感じること自体がないかもしれない。

「拙くて恥ずかしいからいやだ、下手だから描きたくない」というのはもう個人の中の問題なので私には立ち入ることができないけど、もし「描いてみたい! けど漫画なんか描いたことないし描き方分からないからなー、顔漫画になっちゃうよー」と思っている同ジャンルの人がいたら、えっ描いてよ描いてよ! 顔漫画のなにがいけないの? と言いたくなってしまう。

まずは同じ構図が続く【紙芝居】でもいいじゃない

「表情描くのがあんまり得意じゃなくて……」「構図を変えられなくて……」というなら真正面とか真横など固定の構図からキャラを描く【紙芝居】ふうの漫画という手もある。商業誌の漫画だって、わざと使ったりする手法でもある。

【紙芝居漫画】というのも自虐で言う人が多いけど、紙芝居ってすごくて、例えば歌舞伎の舞台だって、正面から引きでそのまま描いたときに絵になるようにできている。つまり紙芝居。紙芝居は伝統芸能。

描き続ければ漫画は上手くなってしまう

【顔漫画】や【紙芝居】でも十分に伝わるけど、描き続けていると「もっとこういうニュアンスを上手く伝えたい」とか「もっと雰囲気を盛り上げたい」という気持ちも出てくると思う。

そうすると、いつのまにか描けるようになってしまう。

これは魔法ではない。こういう事例はまわりでたくさん見た!

例えば「どうしてもこのコマに背景を描きたい!」という気持ちになると、知らず知らずのうちに資料になる街角の写真を撮っていたり、知らず知らずのうちに他の人の漫画の背景に目が行くようになって「こういうふうに描いたらいいのか」とインプットしたりと、自動運転で学んでしまう。

また「もっと複雑な表情で表現したい! 推し君の気持ちをこのコマに込めたい!」と思えば、これまた無意識でインプットやらデッサンやらしていつの間にか技術を習得してしまう。

絵が上手い人に「どうやって絵が上手くなりましたか?」と聞いても「分からない……」と言うけど、自動運転で無意識にやっているので本当に"分からない"。

二次創作のパワーというのはまさにここにあって、"どうしても描きたいものがあるから、嫌でも絵や漫画が上手くなってしまう"のだと思う。

×漫画が描けないから、ネタを形にできない

○ネタを形にしていると、いつの間にか漫画が描けるようになってしまう

【顔漫画】や【紙芝居】というシンプルな書式でまずはネタを形にしてみるところからやってみると、まず「自分が楽しい」という最大の良いことがある。

「【顔漫画】で描いていて楽しくて十分伝えられた、満足!」となればそれがもちろん意義深いことであるし、「【顔漫画】だけでは私の中のこまかいニュアンスが伝わらぬ……!」となればあとは自動で上手くなってしまうのでそれはそれでもちろんいいのではないか。

ただどちらの場合も最初の一歩は「自分で」乗る必要があり、「描きたいけど描けないし」で乗らなかったらそこで終わってしまう。それは自分にとってももったいないし、同ジャンルの人々にとってももったいないことかもしれないよなあと思う。

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