あの人、大して絵が上手くないせに調子に乗ってて腹が立つ! 自分は絵が上手いと勘違いしてるんじゃない? あー勘違い絵師って見ててイライラする…このイライラ何とかしたい!
という人向け【そのイライラの理由は自分の中にあるのかも。理由を知って解消するヒントについて】の記事。
大して上手くない絵描きが有償でアイコンを描こうがお仕事を募集しようが、なんとも思わない人もいる。逆に、猛烈に、制御できないくらいにムカムカきてしまう人もいる。この違いってなんだろうと思ったので考えてみた。
※「勘違い絵師に対して猛烈にムカムカしてしまうのがしんどい、なんとか解消・解決したい」という人向けの記事です。
「【勘違い絵師】にイライラするんです…」というお悩み
「あの人、下手なくせに"有償でアイコン描きます"とか"仕事のご依頼はDMで"とかプロフィールに書いてるけど、そんな画力で仕事の依頼なんか来るわけないじゃん。勘違いもはなはだしいわ」
「下手なくせにリクエスト募集してるけど、リクエストなんかする人いるわけないじゃん」
「下手なくせに大手に絡んでうっとうしいな、大手さんも迷惑しているよ」
そんな感じでとにかく「絵がたいして上手くないくせに、絵が上手いみたいに振る舞っている、いわゆる【勘違い絵師】」に対してモヤっとする、何か一言物申したい、という感覚。
自分も以前そんなふうに感じてしまっていた時期があって、今考えるとお恥ずかしい。(自分も絵が上手くないくせに他人に対してどうこう思ってしまっていたというので二重に恥ずかしい。)
かと思えば逆に、全く何も感じない人もいる。
それってなぜなんだ?
イライラしたら、自分の心に聞いてみる
理由が分からないイライラはほとんどが【同属嫌悪】
絵がたいして上手くないくせに、絵が上手いみたいに振る舞っている、いわゆる【勘違い絵師】がいたとして、特に実害があるわけではないはずだ。
「理由なんかないよ! とにかく"見ているとイライラする"んだよ」
という人がほとんどではないだろうか。
そう、その人を見ていると、何かイヤなものを感じてしまう。
自分の中にそっと押さえつけているイヤなものを見せつけられているようでイライラするのではないだろうか。
ではその「自分の中にそっと押さえつけているイヤなもの」って何だろう?
自分の中のイヤなもの=【ペルソナ】で隠している【シャドウ】
人はみんな、「本当はこうしたいのに」という本音を、「でもこうあるべきなんだ」という建前で隠して生きている。
隠している本音を【シャドウ】、それを包み隠す仮面のことを【ペルソナ】なんて心理学で言ったりするのは聞いたことがあると思う。
他人にイラつくのは、自分が普段【ペルソナ】で隠している【シャドウ】を、その人の中に見つけてしまったとき。
そう、つまり自分は「上手いと勘違いするなんて恥ずかしいことだ」「下手な人は大人しくしているべき」と思って身の程をわきまえて、こんなに慎ましく生きている。
なのに!
勘違い絵師は恥ずかしげもなくそれをひけらかしている! それ恥ずかしいものなんだよ!? 隠しなよ! なに堂々と見せびらかしてんの!?
そう感じるために、イライラする、いたたまれなくなる、腹が立ってくる、のだ。
もっと身近な例だと「ダイエット中はケーキ厳禁! 太ってるのはみっともないもんね。痩せなきゃ」とケーキを我慢しているのに、目の前で自分より太った人がケーキを食べていたら「なんでこいつ太ってるくせにケーキ食べてんの!?」とイライラするあの感じ。あれと同じなのか……と思い至った時点で自分の場合はほとほと情けなくなってしまった。
勝手に自分で設定していたルールに気づくことができる
知らず知らず抑圧していた自分の本音に気づくことで、楽になるカギを見つけることができる。
「ああ、"自分は絵が下手だから出しゃばるべきじゃない"と考えていたんだな」
「"下手な自分なんかが神絵師にリプしちゃダメだ"と我慢してたんだな」
「"たいした能力がないくせに、まわりにチヤホヤされようとしちゃダメだ"と私はそうやって厳しく自分を戒めていたんだな」
「"取り柄がないくせに自分をアピールするのは恥ずかしい"と、自分はずっと我慢していたんだな」
自分が勝手に「こんなことしちゃダメだ!」「こうあるべき!」と決めていたルールに気づくことができた。
抑圧していた本音を解放してみてもいい
抑圧していた本音を知ることで、「そうか、私は本当はそうしたかったんだ、なのに"そうすべきではない"と押さえつけちゃっていたんだ……」と納得し、それだけでもだいぶスッキリした。
そしてもし気が進むなら、"本当はそうしたかったこと"を実際やってみてもいいと思う。
このルールは勝手に自分で作っただけで、言うなれば縛りプレイみたいなもの。いつでもその"縛り"は外していいのだから。
本音では「本当はあの絵描きさんにリプしてみたい」と思っているのに「何言ってんだ、ヘボ絵師な自分なんかが神絵師にリプしちゃダメだろ!」と抑圧していたなら、その"縛り"はやめにして、リプしてみてもいい。
本音では「絵を描いたからみんなに見てほしいな」と思っているのに「上手くなるまで人に見せるべきではない! みっともない!」と抑圧していたなら、そのルールはやめにして、Twitterにアップしてみてもいい。
私も「これからは絵を見て見てアピールしていこっと」「大手さんにリプしたいと思ったら素直にリプしよう」「リクエスト募集もしてみたいからしよう」と、全ての自分ルールを破壊してみた。
「ダメ」「すべきではない」というのは、すべて勝手に自分で決めたルールなのだから。
自分の抑圧していた本音を一つ一つ叶えてあげているうちに、他人に対してもなんとも思わなくなってきた。
他人を変えるのは難しいから、自分から変わる
でも、全部スッキリというわけにはいかないよ……やっぱり目に入るとイライラするよ……という場合。
よく言われるのは"他人を変えようとするのではなく、自分が変わったほうが早い"ってこと。
相手との"距離"を変えてみる
自分は小学生の頃に人に対する好き嫌いが激しくてしんどい思いをしたので、それをぶち破りたくて10代から20代にかけて相手との"距離"を変えてみる実験というのをやっていた。これはけっこう良かった。
- 苦手だなと思う相手に話しかけてみる
- こちらに対してそっけない相手にも挨拶する
- 好きなところや良いところをむりやり探してみる
実験と言ってもこんな感じ。
近くも遠くもない中途半端な距離にいるから、つかみきれなくて目障りなのであって。
だったらよく見えるところまで近づいてみる。いったん懐に入ってみる。
相手の懐に入ってみると「やっぱり気が合わないな」ということはあったけど、本当にイヤなやつだったということは皆無だった。だいたいの場合はこちらが勝手に身構えてしまっていたか、それが相手に伝わってしまって相手もピリピリしていたかのいずれか。
距離を詰めると関係性が変わる
敢えて「この人の言動、なんかひっかかるんだよな」と思っているその相手に近づいてみてもいいと思う。
仕事の依頼を募集している人なら「料金設定は何を基準に決めてますか?」とか「今までどれくらい依頼が来たの?」なんて質問してみるとか。思いのほか参考になるかもしれないし、「じゃあ自分もお仕事募集してみようかな?」と思えるかもしれない。グイグイ距離を詰めてみたら意外と気が合ったりするかもしれない。
いったん距離を詰めてみて「やっぱりどうしても合わないな」と思えば、当初よりも距離をとればいいわけで。その場合も、中途半端な距離感でモヤモヤしていた頃よりは安心して離れていられる。
まわりに愚痴を言ってしまう前に……
「なんなのあの人! 勘違いしてて腹立つよね!」と誰かに愚痴って、「え、なんで?」「そうかなあ?」なんてキョトンとされてしまったことはないだろうか。私はある。
「あんなに勘違いしたイヤなやつなんだから、みんなイライラしているに違いない!」と思っても、同じシャドウを持っていない人にはピンとこないのだ。
そりゃそうだ、「あの人ケーキ食べてムカつくよね!」とまわりに同意を求めたところで「なんで? 美味しそうじゃん」「あなたも食べればいいのでは?? なぜ怒っているの?」と言われてしまう。
共感を得られるどころか「なんでそんなに怒ってるの? 怖い……攻撃的な人だなあ……」という印象を与えてしまうかもしれない。もしかしたら「ただのあなたの嫉妬でしょ?」とか言われて、イライラが倍増してしまうかもしれない。自分の心が、さらに追い込まれてしまう。
「地球全体に皮を貼るのは無理だけど、自分の靴の裏に皮を貼れば地球全体に皮を貼ったのと同じこと」みたいな言葉が、どこかの国の宗教の教えにあるらしい。
「いやなやつ」ひとりひとりを排除することはできないけど、自分の気持ちの根っこに気付いて解決することで「いやなやつ」はいなくなる。