私の絵柄は流行りの絵柄じゃないしダサい…一般ウケもしにくい。もっとおしゃれな絵柄が描けるようになりたい! でもどうやって絵柄を変えたらいいんだろう?
と悩んでいる人向け【私も自分の絵柄を変えたくて悩んでいた頃があって、「こんな絵を描きたい!」と思うものを模写しまくったらいろいろよかった。】という記事。
SNSを見ていると、どうしてもウケのいい絵柄とそうでない絵柄というのはある。オシャレな絵柄、ダサい絵柄、今っぽい絵柄、そうでない絵柄。(ただしこれは良い悪いではない。)
自分も自分の「ダサくて古い感じでウケない絵柄」に悩んでいた頃があった。
「ウケが悪かろうがダサかろうが古臭かろうが今の自分の絵柄を貫きたいからこれでいいんだ!」とは、自分は思えなかったので、なんとか刷新しようとあがいてみたときのことについて書きます。
具体的にやったことを挙げるならこんな感じ。
- ジャンルを問わず、自分の未開拓方面にも手を出してインプットしてみた
- 「こんな絵を描きたい」と思えるものを模写をしまくった
- 描いたら人に見せるようにした(反応を見るため)
自分の絵柄を変えるきっかけについて
アニメ絵や漫画絵を描けなくなってしまった
自分は小学生の頃からアニメや漫画の模写をしていた子どもだった。でも高校受験で美術科進学を考えていたこともあり、中学生のときにデッサンを習い始め、今までのアニメ絵や漫画絵ではなく、リアルな人体を描くようになった。結局、高校は普通科に進学した。
で、「やっぱ美大受験する?」みたいになってまたまたとりあえず実技の練習を始めたものの、結局は普通の文学部に進んで小学生以来のオタクに返り咲いた。
めでたくオタクに返り咲いたものの、困ったことが巻き起こる。
思春期にアニメ絵からむりやり矯正してリアルな絵ばかり練習していたため、今時のアニメ絵や漫画絵を描く感覚が分からなくなってしまっていたのだ。
経験値は小学生の頃の漫画絵模写で止まっていて、アップデートされていない状態だった。
自分の絵柄がリアルでモサく感じて、変えたかった
「イラスト」というより「人体(明朝体)」って感じの絵しか描けなくなって、アニメ絵や漫画絵に関して浦島太郎状態で、古い時代のままアップデートされていない。自分はそれがどうにもこうにも恥ずかしく感じた。
ときは個人サイト時代。まわりにはおしゃれな絵柄の同ジャンル者がたくさんいる。自分の個人サイトには面白みもオシャレみもない「人体」みたいなキャラ絵しか無い……。
今っぽいサラッとしたおしゃれな絵柄を体得したい! と切に望むようになった。
自分の絵柄を変えるためにやったこと
自分は何も「ウケる絵柄ってどんなのだろう?」「今時の絵柄を勉強しなきゃ」とか思って何かしたわけではなかった。
そうやって考えて何かしようとしても楽しくもないし、すぐにイヤになってしまっていたと思う。
自分が絵柄を変えるためにやったことといえば、今思えば、「本能のままにガチャガチャいろいろ面白がる」ということだった。
ジャンルを問わずにインプットしまくった
受験にかまけてオタク活動にブランクがあったこともあり、自分の知らないジャンルやなじみがないものも周囲には増えていた。
オタクの友人の家に入り浸り、おすすめされる漫画やアニメ(ドラマや2.5も)に片っ端から触れた。友人は原作を提供したあとすかさず同人誌を渡してきて、自分の沼への誘導もしてきた。基礎問のあとすかさず応用問題をやるみたいな感じで。
以前の自分は「他人に勧められるものって、結局好きになれないことが多いのよね〜」派だったのだけど、そのときの干からびた自分にはどれも面白く、興味深く、浴びるように楽しんでいった。
ジャンルを問わずにあれもこれも雑多に与えられるままに吸収したあの数年間は、今思えばとても良かった気がする。
模写することで、手からもインプットした
BL漫画を模写しまくった
前述の友人宅で浴びるように読んだ漫画の中に商業BLもちらほらあって、自分にはその絵柄が「人体のバランスが今時っぽくてオシャレだな」と感じられた。
BLマンガの絵柄って、少女マンガほど極端でもなく、少年マンガほどシンプルでもなく、リアルにほどよく近いけどリアルじゃない。
骨格や脚の長さに、いい具合にファンタジーが適用されている。
リアルよりちょっとだけ足が長かったり、リアルよりちょっとだけ肩幅が狭かったり、という、美術解剖学的にはちょっといい具合に違うこのズレを会得したいと思った。
当時自分が「こういう感じの絵を描きたい!」と思って模写していたのは、山田2丁目さん、鈴木ツタさん、ヨネダコウさん。「もっと好きな絵柄と出会えるかもしれない!」と思って『BABY』というBLアンソロジーも一時期買ってほくほく読んでいた。
「リアルに近いけど、ほどよく理想的にデフォルメされている」というさじ加減に憧れた。
アニメーターの画集を模写しまくった
同時に、好きなアニメーターの画集の模写もしていた。BLマンガとはまた別方向で、シンプルでカッコよくて動きのある絵柄に憧れていたので。
きっかけは別のオタク友達から借りた『リンダキューブアゲイン』だった。
田中達之さんの描く「美術解剖学的に正しい人体なのに、オシャレでかっこいい絵柄」に惹かれた。それまでは自分が描く「正しい人体」みたいな絵柄が恥ずかしくて、どうにか崩したくて仕方なかったけど、正しい人体でもオシャレでかっこいいは成り立つんだと思えたからだ。
アニメーターさんの描くものは、マンガやイラストレーションとはまた違う魅力があり、ここからも新たな「好き」が広がった。
模写練習は楽しくて仕方なかった。新しいものと出会って自分に取り入れていく喜びの方が大きかったし、美術進学のせいで"なかなか思うように描けない"ことやコツコツ練習するのにも慣れていたしで、とにかく夢中で面白がっていた記憶がある。
他の人の描く「推し」を模写しまくった(二次創作をしていた頃)
二次創作をしていた頃は、他の人が描く「推し」を模写させてもらうことも多かった。そこそこ大きなジャンルならば、素晴らしいお手本は無数にある。
しかも全部「推し」なので模写することが楽しい。
今までたくさんの模写練習をしてきたけど、この時期にいろんな人の「推し」を模写したことがいちばん楽しかった。
模写の何がつまらないかって、大して描きたくないものを描くのがつまらないわけなので。特に趣味だけで絵を描くような人の場合は、耐えられないつまらなさだと思う。
※模写したものをSNSなどに投稿すると「トレパク・絵柄パク」という大問題になるので自分だけの練習として。
自分はこっそり一人で話したこともないような憧れの絵描きさんの模写をしていたけど、おともだちが多い人ならばTwitterの「#いいねしてくれた人の絵柄で○○(キャラ名)描く」とか「#いいねした人の絵柄で自分のアイコン絵描く」みたいなハッシュタグに乗ってみることもできそう。
描いたら人に見せるようにした
自分の絵柄がダサすぎてしばらくは人に見せられない状態だったのだけど(個人サイトのイラストコンテンツも長らく「工事中」にしていた)、描くのが楽しくなってからは、人に見てもらうことも楽しくなってきた。
当時はSNSがまだなかったので、自分用のお絵かき掲示板を設置して毎日新しい絵を描いた。今でいうTwitterみたいな感じ。
人に見てもらって反応を受け取ることで「自分が描いて楽しいもの」と「周りが見て楽しいもの」のバランスが肌で感じられる気がした。
見る人の反応をうかがうとかではなく、「こういうのはウケが悪そう(でも描きたいから描く)」とか「こうしたらもっと反応してもらえそう!(嬉々として描く)」とか。
あくまでも自分は、そうやってバランスを感じて、流行りとかウケとかの中で自分の描きたいものや立ち位置を確認することが楽しいのでやっていた。
特に自分の場合はお調子者だから、誰かの性癖を狙い撃ちにするよう張り切ってみたりするのも楽しく感じたのだと思う。反応してもらうことよって、より自分が楽しくなれるということも多かったし。
よく見かけるご意見とそれに対する自分の考え方
「人目を引くようなオシャレで今時の絵柄ってどんなの?」
「人目を引くようなオシャレで今時の絵柄になりたい。では人目を引くようなオシャレで今時の絵柄ってどんなの? どうすればいい? 何を見たらいい? どの本を買ったらいい?」
絵柄なんて感性だから「自分がいいと感じるもの」「自分が欲しいと感じるもの」としか言えない。
普段触れないジャンルや他人のおすすめに軽率に飛びついてみるとか、お手本を探すところから絵柄チェンジの旅は始まっているんだと思う。
「絵柄が古くてウケにくいことの何が悪い。大きなお世話だ」
「絵柄が古くてウケにくいことの何が悪い。大きなお世話だ」
今の絵柄を大切にしたいなら貫けばよいと自分は思うし、「古い絵柄は悪なので変えるべき」とは自分は全く考えていない。
自分の場合は、自分の経験値が小学生からアップデートされていないことに対してもどかしく思ったのでアップデートしたいとあがいた、というだけのこと。
というか、たとえ古い懐かしいタイプの絵柄でも、随時アップデートされていれば古臭くは感じない気がする。たとえば最近また80年代風の絵柄(離れ目、丸顔、ぽわっとした感じ)が流行っているけど、若い世代によってとらえなおされていて新鮮な良さがあったりするし。
「模写なんかしたら絵柄パクリになっちゃわない?」
「模写なんかしたら絵柄パクリになっちゃわない?」
※もちろん他の絵描きさんの絵を模写したものをSNSに投稿してはダメです。模写はあくまでも練習としてするだけです。
「好きな絵描きの真似をしていると絵柄が似ちゃうのでは?」
そうならないためには「"複数のいろんな"絵描きを参考にしまくって描き"まくる"」ことだと自分は考えている。
一人の人だけの真似をして手っ取り早く上手く見せようと思うと絵柄パクリっぽくなってしまう。けど、複数のいろんな人の絵を参考にして描きまくることで、煮込まれたカレーみたいにそれぞれの原型はなくなる。
そもそも全ての芸術は模倣から始まるわけなので、自分の中で煮込んでいくしかないんだと思う。
絵柄を変えたくてあがいた結果、今の自分に至った
山田2丁目さんと田中達之さんがどこにどう溶け込んでいるのかは一切わからないけど、なんやかんやそれを経て今の自分に至っている。
ウケる絵柄かと言われるとあやしいけど、リアルな人体しか描けなかった頃よりは使いどころは増えたし、実際にこの絵柄で依頼を受け、仕事としてお金をもらったこともある。
「シンプルでなんかオシャレ」とか「独特のセンスがあって好き」など言ってもらえることもごくたまにある。(ごくたまになのでそこは深く掘り下げないでください。)
シンプル、オシャレ、独特……。今思えば、それはまさにあの頃自分が「そういう絵が描きたい」と目指して四苦八苦していた要素で、憧れて真似をした絵描きさんたちの要素は煮込まれちゃって一切あとかたもないけど、目指していた方向性だけはうっすら残ったということなのかもしれない。
絵柄を変えても個性はなくならない気がしている
「絵柄を変えたいけど、自分が無くなっちゃうみたいで不安……」と感じる人もいるかもしれないけど、どんなに他の絵柄を真似たり、取り入れたりしても、自分の個性は消えないと思う。
どんな素材を取り入れても結局は「継ぎ足し継ぎ足し受け継いできた自分の鍋のダシ」で煮るしかないのだから、自分のダシの風味はそう簡単に消えてくれない。
そこらへんは心配せずとも大丈夫だと感じている。
むしろ「自分の絵の個性を一切消したい!」というほうが、よほど難しいお悩みなのかもしれない……。「自分のカードで勝負するしかない」ってよく聞くけど、絵描きはみんな「自分の鍋のダシで勝負していくしかない」のかもしれません。