評価される絵を描きたくて空回り…まずは一人のために描いてみては?

「なかなかいいねがつかなくて、どうやったら受けのいい絵が描けるのか分からなくなってきた」

「フォロワーやいいねが増えるにつれ、全員に評価される絵を描こうと空回りしちゃってる気がする」

という人向け【まずは一人のために描いてみるのはどうでしょう】という記事。

絵を描きながら「ここはこうしたほうがウケがいいかな……?」とつい意識しちゃう、みたいなこと、誰しも経験があるんじゃないだろうか。

自分も長らくインターネットお絵描きマンをしてきたので、無意識で「こういう絵のほうがウケがいい」「こういう絵は手間のわりに目に留めてもらえないから却下」みたいなのを考えてしまい、同じ労力ならウケがいいほうをとってしまうことも多い。

だって前回の絵よりいいねが多くほしいじゃない、人間って欲深い生き物だもの。

前回ちょっと伸びた(自分比)のがまぐれだと思いたくないじゃない。

「いいねが前より減った……」ってガッカリしたくないじゃない。

こういう感じで中途半端にこざかしくなってくると、勝手に周囲の反応の板挟みになって混乱してしまい、思うように描けなくなった、描いてアップするのが怖くなった……なんて事態に陥る。

そんな経験ないですか? 私はある!

この記事では、

「反応を気にしちゃって思うように描けない」から抜け出す、ごくシンプルな一つの方法「一人のためだけに描いてみる」について書いていく。

評価される絵を描きたくて空回り…まずは一人のために描いてみては?

最近3ヶ月毎週ファンアートをTwitterに上げるチャレンジをして、「え、意外、こういうほうがウケるんだな」という発見もいくつかあった。

一つの例として参考までにその発見を紹介すると、

  • 色は明るいもののほうが伸びた
  • リアルっぽいタッチより点目ゆるふわ絵柄のほうが伸びた
  • ゴールデンタイムにアップするほうが伸びた

※「だったらいいねを伸ばすためにそういう絵を描けばいいんだね?」ではなく、あくまでも自分のジャンルの、自分のフォロワーを中心としたクラスタではそういう傾向があったということです。

自分の所属するクラスタまわりの好む傾向はなんとなくわかった。

が、そこにとらわれすぎると効率重視になってしまって自分が楽しくないし、「本当はこういうふうに描きたいけどいいねが減るかもしれないし……」「こう描くとこっち方面の人にウケるけど、あっち方面の人にはスルーされる」とかジレンマも出てきて勝手に板挟みになって、絵を描くことがめんどくさくなってしまう。

みんなにウケようとするとわけわかんなくなる

でもあるとき、「これって見てくれる人をバカにした考え方なのかもしれないよな。同じ推しを推し、私の絵を楽しく見てくれる人を"いいねをする頭数"としか見てないよな」って気づいた。

広告会社が○十代の女性にターゲットを絞って「○十代の女はこういうイケメンが好きなんだろ? 誰々起用しときゃイチコロなんだろ? 楽勝だぜ」と広告を打つみたいなさ。

ターゲットを群衆としてしか見てない。

確かに一定数の○十代女性はまんまと喜んでくれるけど、「その手には乗らねえよ!」という人だって多いはずだ。

まんまと乗ってくれる一定数の人たちもすぐに飽きて去っていき、自転車操業で次の広告塔を発掘してこなければならない。やっぱりそういう一過性のコンテンツにコアなファンは付かない。

いいねをコンスタントに何百から何千単位でもらう人が陥りがちな罠な気がするけど、無意識でそれやっちゃってないだろうか?

前回の絵に500のいいねをつけてもらったとして、その500人全員に再度ウケて再度いいねをもらいつつ、かつ新しいいいねを増やそう、なんて考えると頭がおかしくなる。

「絵を描くのが怖い」「絵を描くのがプレッシャーでつらい」になってしまっている人って、そこを狙っちゃってる気がする。

狙って500人にウケ続けようなんてプロでも難しい。

アリンコの前に砂糖を置く実験とは違うんだもの。

500人それぞれ複雑な好みを持つ人間なんだもの。

「誰か一人のためだけに描く」をやってみる

ではどうすればいいのか、と私も散々落ち込んだり悩んだりしてたどり着いたのは"誰か一人のためだけに描く"という方法。

前回の絵に500いいねがついたとしても、499人のことは忘れてその中の一人のためだけに描く。

例えば「推しのこのときの表情、私も笑っちゃいました! 髙橋さんのイラストを見て思い出してまた笑ってます」みたいなうれしい感想リプをくれた彼女に、あの一人にもう一度笑ってもらいたい! それだけを目指して描く。

誰か一人を想定して描くと、「彼女はここ分かってくれるかな? 笑ってくれるかな? もっと正確に伝えたいから、こんなふうに描いてみようかな?」と配慮や思いやりがガンガン湧き出してくる。

「あの人に伝えよう」と思って描くと丁寧にもなるし、表現にも気をつかう。

人となりもわからない500人の群衆を相手にするからカラ回るのであって、私の絵を喜んでくれた誰か一人のために描こうと決めれば自ずと堅実になり、筆が進む。

そして、そうやって誰か一人のためだけに描いたものってなぜか多くの人に「いいね」と言ってもらえたりする。(こういう経験ある人も多いんじゃないかしら、友人のために軽い気持ちで描いたらいつもより伸びた、とか)

笑ってほしくて配慮や思いやりを込めて描いた絵だもん、他の人にも刺さるのは当たり前なのだ。

自分は仕事で絵を描いていたときに、とにかくまずはクライアントが気持ちよく「OK、これいいね!」と言うものを目指すようにしていた。

いずれ商品になってクライアント以外の人の目にも触れるわけだけど、そこを想像していたらキリがないからだ。顔もわからない通りすがりの人が私の絵を見てどう思うかなんて、考えてたら気が狂う。

だったらクライアントが「良い! こういうのが欲しかったんです!」と言ってくれるものを目指せばいい。

ラブソングだってそうでしょう、「世の片思いをしているティーンが全員泣くような曲を作ってやろう!」と"君"とか"僕"が泣いたりキスしたり別れたりするぼんやりしたラブソングを作るより、「自分の23歳の時の失恋体験を歌にしました、個人的すぎて恥ずかしいですが……」みたいな曲の方が名作になったりするでしょう。

そのためのフォロワーさんですよね

自分の絵をよく見てくれるフォロワーさんが少数でもいて、そんなフォロワーさんをもっと楽しませたいと思うことで、迷わずに楽しく絵を描くことができる。

だからガバッとフォロワーの頭数を増やすのもいいんだけど、少数でも本当に自分の絵を好いてくれるフォロワーさんがいると心強い。心の灯台になってくれる。

評価に振り回されて自分が方向性を見失いかけたとき、「フォロワーのあの人ならどういう絵が見たいだろう?」「フォロワーの誰々さんを喜ばせたい」と思えるから。

"一人の人を喜ばせるための絵"から始めていくのがいいかも

どう描けばウケるのか考えすぎて空回りしそうになったり「私はなんのために絵を描いてるんだ?」と思ってしまったら、誰か一人のためにだけ描いてみる。

ブログもそうで、よく「記事をたくさん読まれるにはペルソナ(ターゲットの読者)を設定するべし」みたいなことが言われる。顔も知らない一人一人のニーズを考えたらキリがない。全員に刺さるものを書こうと思っても内容が散漫になって、結果誰にも刺さらない駄文になるからだ。

だから誰か一人だけ決めて、その人のためだけに。

誰でもいい。リプをくれたあの人でもいいし、いつも黙っていいねをくれるあの人でもいいし、見てるか見てないか分からない推し本人とか憧れの絵師さんでもいい。(ただ、なるべく身近で遠慮のない相手を想定したほうが伸び伸び描けるかも)

もちろんターゲットにしたその人から反応がもらえなくてもいい。

誰か一人のために想いを込めて描いた絵は、必ず誰か別の人にも刺さっている。

カラ回ってどうしてもつらい時に、もし思い出したらちょっと試しにやってみてください。

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