「100日後に死ぬワニ」はどうしてあんなにバズってそして炎上したのか

『100日後に死ぬワニ』ってなんであんなに炎上したんだろう? っていうか、なんでそもそもあんなにバズったんだろう?

と疑問に感じている人向け【『100日後に死ぬワニ』という作品は"身近な者の死"という共感を得やすい題材を扱っており、最後に共感した読者たちを裏切る形になってしまったため炎上したのでは。】と考えてみた記事。

『100日後に死ぬワニ』という作品がTwitterで爆発的に人気になって、そして炎上した。

批判された理由としては、最終回に主人公のワニが死んだと同時にグッズや映画化、有名ミュージシャンとのコラボPVなど、メディアミックスが次々と発表され、「ワニの死」がとたんにビジネスにされてしまった(ように見えた)こと、さらにそれを仕掛けていたのは大手広告会社だったらしい、という経緯(実際は広告会社は関わっていないとかコラボが決まったタイミングは実際はいつだとか、それぞれ言い分が違ったり情報が錯綜しすぎて本当のところはどうだったのか今調べてみてもよくわからなくなっている)があったからだとされている。

この一件で「共感」を扱うビジネスの難しさを感じたのだけど、一方でTwitterでイラストや漫画を描く自分にとって学ぶ点もあった気がするので、それについて考えてみた。

なぜ「100日後に死ぬワニ」がここまでバズったのか

この一件で、Twitterでバズる最大のポイントは「いかにたくさんの人の共感を得るか」ということなのかもしれないな、と思った。つまり「RTしてひとこと言いたくなる」ということ。

見る人の共感を得るポイントが多かった

この作品は、作者の方が亡くなった友人のことを思いながら描いた作品だという。

親しい人の死というのは、人にとって最大の共感ポイントだろう。ペットあるあるや子育てあるあるも共感されやすくバズりやすいけど、世の中にはペットを飼ったことがない人もいるし未婚の人もいるし、同じ立場でも感じ方がいろいろ。

その点、ある程度の年齢なら親しい人を亡くしたことのない人はいないだろう。もし経験がなくても、「親しい人の死」というテーマはわりと想像しやすく、浸りやすい。

つまり、ほぼ100%の人が「わかる!」と参加できるテーマだということになる。

実際、「自分の亡くなった家族のことを思い出しながら読んだ」という反応はたいへん多く見かけた。

ある程度流行ると同調圧力が発生する?

また芸能人もTwitterで話題にしていたりして、「とにかく流行ってますよ感」があった。

これが感動要素のないただのギャグ漫画なら「そういうの好きじゃないから」「たいして面白くないじゃん」と軽くスルーもできるだろうけれど、100日後に死ぬと決まっている主人公に対して、そう邪険なことも言いにくい。

まわりがこぞって「泣ける!」「すごくいいマンガだ!」と話題にしていると、「これに感動しないやつは人間じゃない」みたいな圧も発生しているようにも思えた。

「最終回で必ず泣けるはず」という期待があった

また、100日後に主人公が死ぬことがわかっており、「最終回で感動できるはず」という期待があった。言い方がアレだけど「最終回で必ず主人公が死ぬ」という感動が約束されていたことになる。

これが単に「100日連続でワニのほのぼの4コマを掲載しますよ」ということなら、ここまで期待値は高まらなかったのでは。

こうしてみると、とにかくバズる要素が上手いこと重なった作品だった気がする。

Twitterでマンガやイラストにいいねがつかないことに悩んでいる人などは、この要素を参考にできるのかも。

『100日後に死ぬワニ』の共感ポイントになったもの
  • 「親しい者の死」は誰もが経験していることで、誰もが語れること
  • 「親しい者の死」というテーマのため、同調圧力が生じやすかった
  • 最後に必ず感動できるという保証がある

しかし、「死」というもっともセンシティブなテーマを扱ったゆえに、のちの批判も大きくなってしまったのだろう。

なぜここまで炎上したのか

このバズりにおいて作者と読者は「親しいものの死」という悲しみを共有する、対等な立場だった。

紙の雑誌で連載を持っているようなスター漫画家ではなく、同じTwitterという土俵にいる、身近な作者。そんな彼が日々、亡くした友人を思いながら綴っていた漫画。そういった要素も、読者にとっては共感を強めていたように思う。

それが実はまったく対等なんかではなく、身近に感じていた作者には大手広告会社がついていて、メディア展開も決まっていて、「はいどうもー! 泣いた皆さん用にこちらの商品をご用意させていただきましたよ!」と言われてしまうと(そんな言い方は誰もしていないのだけど)、「騙したな! 感動を返せ!」となってしまう……。

別に金を取ろうとしたから炎上したのではなくて、まだ映画のエンディングが流れているのにスクリーン裏に潜んでいたスーツの大人たちが「客が席を立つ前に!」とすかさずニコニコ笑いながら揉み手して登場した感じがあったのかも……というように、個人的には感じた。

それに対して、亡くなったおばあちゃんを思い出して読んでいた気持ちや、亡き友人を思って読んでいた気持ち、読者の心に湧き上がっていた大切な人を思い出す気持ちまでが、なんとなく台無しにされたような感じがあったのかもしれない。激しい怒りを感じた人もいたことだろう。

共感ビジネスって難しい

「クリエイターは金儲けするなっていうのか」「仕込みで何が悪い」という声もある。

クリエイターだって仕事なので、描いたらお金が発生して資金や仕事が回っていくのは当然だ。

絵や漫画だってそもそも「共感ビジネス」で、人の情に訴えて、人の心を揺さぶって、それを商売にしていく。音楽やお芝居もそうだろう。

しかし、メディアに慣れた我々はいいかげんそういう仕組みが分かってきているので「あの俳優、清純派として売ってるけどスキャンダルばっかりだよね〜、まあドラマは見るけど」とか「あのミュージシャン、『金儲けの汚れた大人たちが俺たちを嘲笑うのさ』とか歌ってたくせに新曲タイアップじゃん、まあ大人の事情ってあるよねしゃーなし」みたいな感じで、慢性的にちょっとガッカリしていて、でもそれが世の中だということも分かっていて、誰も今さら怒らない。

しかしワニの件は「Twitterバズりからのメディア展開」というまだ歴史の浅いシステムを突いてきた。それゆえ多くの人々がビジネス臭を見抜けず、「久しぶりに金のにおいのしない純粋な感動だ……」と思って安心して味わっていた。そこにスーツの大人たちが入ってきたためによけい「裏切られた!」となってしまったのかもしれない。

逆に言うと、「おっ、これにメディアが目をつけてメディア展開とかありそうだな」あるいは「これって大手メディアの仕込みなんじゃない?」「もう書籍化決まってるでしょこれ」などと最初から感じていた人にとっては腹も立たなかっただろう。

しかしなんでもかんでも最初から裏っかわを覗くクセがついてしまうと素直に感動もできなくなり、それはそれで寂しい気もするし……。

「共感」を扱うビジネスというのは仕掛けるほうも受け取るほうもなかなか難しく、これからももめごとは起こり続けるだろうなと感じている。

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