
読み手「この二次創作、原作の設定全く無視じゃん…もうオリジナルでやれよ」
描き手「自分の二次創作はオリジナル設定が強すぎてオリジナルでやれって言われちゃいそう。気が引けるな…」
【つきつめれば二次創作はみんな"オリジナルでやれ"になってしまうのかもしれない】という記事。
二次創作の作品を批判する「オリジナルでやれ」という言葉がある。
文字通り「オリジナル要素が強すぎてもう原作とかけはなれてるじゃん、いっそもうオリジナルでやれば?」という意味だ。
正直自分も強火のオタクだった時期は「パロディものは一切読みません、無理!」「オリジナルキャラとかただの自己満足! 二次創作はそうあるべきではない!」みたいな考えの頃もあった。
しかし自分も二次創作をして、本来は他人様に権利があるキャラを勝手に動かしている時点で同類なんだと気づいたら、なに私エラソーなこと思ってたんだと今では考えを変えている。
この記事では、
- 「オリジナルでやれ」という批判の真意
- なぜ「オリジナルでやれ」と反感を買ってしまうのか
- 私が見かけた「オリジナルでやれ」の例
- 「オリジナルでやれ」となるべく思われないために
ということについて書いていく。
二次創作に「オリジナルでやれ」とモヤモヤしてしまったときの考え方
「オリジナルでやれ」という批判の真意
まず、「オリジナルでやれ」という言葉は決して「うわーすごく作り込んだ設定ですね! ぜひあなたさまのオリジナルとして読んでみたいです! オリジナルで描いてください!」という意味ではない。
たいていの場合は「オリジナル要素が強すぎて、原作を軽視しているようで不愉快です」という意味だと思う。
「原作では特殊な国が舞台だけど、習俗を調べるのめんどいから日本の学パロにしよう。それなら何も調べなくても私にも描けるし」
「原作ではこのキャラはおとなしい性格だけど、私はもっとオラついた性格のキャラが好きだからキャラの性格を変えちゃおう」
みたいな感じだと、読み手に「原作を軽視されている」と感じられても仕方ないかもしれない。
逆に、例えば同じ学パロを描くんでも、
「もし○○くん(推しキャラ)が日本の男子高校生だったら、彼の性格的にクラスではこんな感じで振る舞うんじゃないかな? 絶対ブレザーのボタン上まで留めるタイプだよね……そして△△くんが第二ボタンまで開けてるの見てこっそり自分も開けそう……うううこれ共感してくれる人いないかな?」
みたいな想像が膨らんで思わず描いちゃった、というのならまだ「原作を軽視されている」と感じられにくいかもしれない。
ここらへんのさじかげんは完全に人によるのでなんとも言えないけど、「オリジナルでやれ」というのはほぼイコール「私の愛する原作やキャラを、二次創作者によって軽視されるのがイヤ」ということなんじゃないかしら、と考えている。
「オリジナルでやれ」と言いたくなっちゃう理由
上で述べている通り、自分も長いオタク人生のうち「オリジナルでやれよ」と感じたことのある人間だ。
自分の経験や友人知人と交わしてきた議論をもとに、なんで「オリジナルでやれ」と言いたくなっちゃうのかについて3つ挙げてみる。
原作を軽視している(ように感じる)から
私が初めてイラっときたのは忘れもしない、
「○○(私の推し)のクソめんどくさい装備描くのだるいから新刊は学パロにしたwww」
と言ってる人に対してだった。
それからというもの、学パロを描いている人に対して「この人も装備描くのめんどくさいからって学パロにしてんのかな。だとしたらなんかモヤモヤするな……」と疑心暗鬼になってしまい、一時期「パロは一切読みたくないし、パロを描く人も原作軽視の疑いがあって好きになれない」みたいになっていたことがある。
いや、確かに装備は描くのたいへんだよ。でもそれ言い方さ。
告知の言葉が、
「クソめんどくさい装備描くのだるいから新刊は学パロにしたwww」
ではなくて、
「新刊は学パロにします! ってことは装備を描かなくて済むぶん、いつもよりちょっと余裕を持って入稿できるかも……?」
とかなら、自分はイヤな印象を持たなかったかもしれない。(自分はね)
言葉の選び方によって、原作への愛情や敬意があるのかないのか、そこらへんの印象が変わってしまうと思うのだ。
※もちろん「クソめんどくさい〜」という言葉に何も思わない人もいるだろうし「いつもより余裕を持って入稿できるかも」という言葉にカチンとくる人もいるかもしれないのでそこらへんは人によるとしか言えません。
承認欲求のためにキャラを利用している(気がする)から
ご存知の通り、オリジナルだと見向きもされないネタでも、二次創作で描けば原作ファンが見てくれて閲覧数やいいねが伸びることがある。
異能バトルファンタジーをオリジナルで書いていた字書きの知人がいたんだけど、まあ閲覧数はボチボチってとこ。
「最近○○(私の好きなジャンル)が流行ってるから、今までのオリジナルを全部○○のキャラに置き換えようと思うんだけど、詳しい人キャラとか設定をかいつまんで教えて〜」
と言っているのを見たときに「私の好きな作品とキャラを閲覧数のためだけに利用されてるみたいでイヤだな」と強く感じてしまった。
作品にハマったから二次創作として新たに異能バトルものを書くというならまだしも、置き換え機能を使ってキャラ名を置き換えただけなので口調も不自然だし、ところどころ置き換えミスで意味不明な人名が入っているしで、突貫工事っぷりがすごかった。
「流行のキャラ使った方が閲覧数伸びて私も得だし、読む方も推しジャンルの二次創作が増えて得じゃん」
あまりにもそう言い切られてしまうと、「うーん……二次創作ってそういうもんか?」というモヤモヤがわいてきてしまったのだ。
これがどうなったかというと、知らない人が普通に二次創作として読んで、閲覧数もオリジナルバージョンよりは伸びていた。けど手間のわりに伸びず、そのうちジャンルの流行も下火になり、自然消滅したみたい。
「オリジナルでやれ」というよりこれは「えっなんで!? オリジナルでやってたじゃん!」かも。
オリジナルをいちから作り出すのはたいへんなので二次創作で楽をしている(ように見える)から
二次創作を軽視している人っていうのもいる。
「私は小説家になりたくてオリジナルばっかり書いてるから、二次創作してる人を軽蔑してます。だってゼロから作り出せないってことでしょ?」
「二次創作なんて他人様の設定やキャラに乗っかって楽をしやがって」
SNSは広いので、こういった考え方に出会うこともあるんじゃないだろうか。
自分もオリジナル(一次創作)の漫画や小説を作っていたことがあるけど、「楽をしやがって」という感覚は感じたことがないのでよく分からない。
楽をしやがってっていうけど、オリジナル描いてて何が楽しいかって、キャラとか設定を生み出すときが最高に楽しいんじゃん?
「二次創作しかしたことない人は、ゼロから生み出す気持ちよさを味わえる一次創作してみるのもおすすめだよ!」ならわかる。
でも「楽しやがって」もたまに目にする意見だよなと思ってここに挙げた。
二次創作してる時点でみんな「オリジナルでやれ」だよね……
上に書いてきたようなことを二次創作をしない友人に愚痴ったところ、「うーん……高橋が怒る理由がイマイチ分からない。だって高橋も二次創作してるじゃん? 高橋も原作にないことを描いてるんでしょ?」と言われて、雷に打たれた気がした。
そうか、「装備描くのめんどいから学パロ描くわwww」も「もし○○くん(推しキャラ)が日本の男子高校生だったら、彼の性格的にクラスではこんな感じで振る舞うんじゃないかな? 学パロ描こう!」も、外から見れば同じことなんだ……。
これをジャンル内の仲間内だけでケンケンガクガク学級会をやってしまうと「学パロ描くならきちんと妄想すべき。"めんどいから"はアウト」みたいなわけのわからんルールや基準ができていっそう収集つかなくなってしまうんだけど、外から見れば、
二次創作してる時点でみんな「オリジナルでやれ」なんだよな……
と考えれば、許し許されになっていくんじゃないかなと思うのだ。
「オリジナルでやれ」と言われているのを見かけた事案
ちなみに自分が「オリジナルでやれ」と批判されているのを見たのは、男性同士のCPで出産した赤ん坊(オリジナルキャラ)を子育てしていくという二次創作。「子育てで旦那とケンカになったことを実録で描きました」みたいなキャプションがついていたため、生理的に抵抗感を感じた人が多かったのかもしれない。
自分は読んでいないし言えるのは「こういう事例が批判されているのを見かけた」ということくらい。
※15年くらい前に実録マンガ(自分と友人との会話をキャラに置き換えて描く形式)が一瞬流行った気がする。抱く感想は「同世代かな?」くらいです。
「オリジナルでやれ」って言われるのが怖い……という場合は
二次創作してると「これってオリジナル要素強すぎないかな……」「作品タグをつけるの気が引ける。オリジナルでやれよって言われちゃわないかな……」と立ち止まってしまうことってあると思う。
けど、どこまでが「二次創作としてOK」で、どこまでが「オリジナルでやれよ」なのかなんて、人によるとしか言いようがない。
なのでもし「これってオリジナル要素が強いから人によっては違和感を感じるかも」と不安に思うときは、自分はキャプションにきちんと書くように心がけている。
「※オリキャラ(モブのクラスメイト)が出てきます」
「※これはマフィアパロです。舞台は原作と全く関係のない○年代のヨーロッパです」
などと書いてあればパロやオリキャラが苦手な人にも助かるし、逆に「わあ、オリキャラが出てくる作品って好きなんだよね!」「マフィアパロ大好物! このキャラで読めるの嬉しい!」という人にも親切だと思うので。どちらも幸せ。
あとは言葉の使い方かもしれない。
「クソめんどくさい装備描くのだるいから新刊は学パロにしたwww」
だとなんか気持ちが引っかかる人が多いんじゃないかと思うから自分ではしない、とか。
時代や世代、ジャンルによっても違うと思うのである程度はまわりを見て、最終的には自分の感覚で決めてやっていくしかないんだけど、ネットで表現をしていく上でそれもいい勉強になるよなって感じています。
※このブログを書いている高橋がTwitterを始めました。 → @tkhs_bsdz
Twitterでブログ更新のお知らせをしていくので、気軽にフォロー&声をかけてもらえればと思います。