どれくらい上手くなったらイラストをアップしていいの?と迷うとき。

「私のイラスト、上手い?下手?Twitterにアップしても大丈夫かな?」

「イラストをSNSにアップしたい。どれくらい上手くなったらアップしていいんだろう?」

という人向け【そんなルールもマナーもない。でも、踏ん切りがつかないようであれば自分なりの目安を設けてみるといいのでは。】という記事。

初心者さんから聞くけっこう多いお悩みが、

「どれくらい上手くなったらSNSにアップしていいの?」

「私のイラスト、SNSにアップしても大丈夫なレベルですか?」

といったもの。

「そんなのルールもマナーもレベルもないよ! アップしたければすればいいんだよ!(ただし二次創作の場合はジャンルのガイドラインなどを守った上で)」

と私は思うのだけど、迷ってしまう気持ちもわかる気がする。

恥をかきたくない、安心してアップできるようお墨付きが欲しい、みたいなことなんじゃないだろうか。

でも、当たり前だけど、誰もそんなこと判断してくれない。

最初の一歩にどうしても踏ん切りがつかないようなら、

  • 上手い下手以外の、自分なりの"アップしていい目安"を設けてみる
  • まずは人が少ないSNSにアップしてみる

みたいな工夫をしてみると気持ちが切り替えやすいかも、ということについて考えてみた。

どれくらい上手くなったらイラストをアップしていいの?と迷うとき。

「どれくらい上手くなったら」と聞かれても、上手い下手なんて数値化できないから答えようがない。

「私の絵は上手いですか? 下手ですか? Twitterにアップしていいですか?」といろんな人に聞きまくったとして、人によって回答も違うだろう。

小学生くらいまでは「先生、ボールで遊んでいいですか?」「お母さん、このパン食べていい?」とか誰かに許可をもらわなければならないことが多かった。

許可を得ずになにかしたらこっぴどく叱られたり非難されたり……。その感覚に懲りてしまって、許可を得ないと落ち着かないのかな? とも思う。

私もそうなんだけど、大人になっても「誰かに決めてもらいたい」「許可をもらいたい」「怒られたり非難されたりしない証明が欲しい」つまり「自分で責任を負いたくない」という感覚が抜けず、自主的に何もできない20代を過ごした記憶がある。

これじゃいかんなということで"行動の基準を具体的に自分で決める"というクセをつけることにした。

自分なりの目安を設けてみる

絵って「上手いか下手か」「平均より上か下か」みたいな基準はあいまいすぎるので、「これができたらアップしよう」みたいに自分基準をはっきり決めてしまうといいんじゃないだろうか。

模写しなくても描けるようになったらアップしてみよう、と決めてみる(例えばの話です)

例えば一つの例として、見て描かなくてもキャラ絵を描きあげられるようになったらアップしてみよう、と決めてみるというのはどうだろう。

初心者のうちって、特に二次創作だと、たぶん公式絵を見て真似して描くところから始めるんじゃないだろうか。いわゆる模写。

さて、ご存知の通りファンアートを含む二次創作は著作権周辺が難しいけど、ファンの応援の範囲ならいいですよと言うことで許諾されていることが多い。(自分のジャンルのガイドラインを要確認)

ニトロプラスさんの二次創作ガイドラインでは、こんなふうに書いている。

お客様が、ファン活動の一環として弊社著作物から取得した知見を利用し、お客様自身の思想または感情を創作的に表現する行為は、非営利的行為に限って行うことができます。

ニトロプラス-非営利的な二次創作活動におけるガイドライン

ゲームなりアニメなりに触れて感じたことを、自分なりに解釈して創作的に表現する行為、これを二次創作と定義して、非営利に限って許諾してくれているわけだ。

だとすると。

自分なりの解釈も思想も入っていない模写は"自身の思想または感情を創作的に表現する行為"なのかどうかというと、まだそこまでではないかも……? と言うこともできる。

(※もちろん二次創作を許諾している権利者のみなさんが初心者の微笑ましい模写行為に目くじらを立てるとは思えないので、あえてこう考えてみるとするなら、ということ)

どうしても踏ん切りがつかないようだったら、自分自身の思想や感情を表現できるようになったら(模写しなくても描けるようになったら)アップしてみよう、みたいに決めてみるのはどうだろう。

模写せずに自分の気持ちや解釈をキャラ絵に込めることができる、っていう時点でそこそこ描けているレベルなはずだし、名実ともに堂々とSNSにアップできるんじゃないだろうか。

デジタル作品を仕上げられるようになったらアップしよう、と決めてみる(例えばの話です)

あとは、デジタル絵に興味があるなら"CLIP STUDIO PAINT(クリスタ)を使って作品を仕上げられるようになったらアップしよう"とか。これもあくまで例えばです。他のアプリやソフトでもいい。

クリスタはiPad、iPhone、Android、PC(WindowsとMac)どれでも使えるしそれぞれ無料体験版があるので、とりあえず触ってみるといいと思う。

ペイントソフト CLIP STUDIO PAINT 無料体験版のダウンロード

クリスタをはじめお絵描きソフトやアプリが使いこなせるくらい描くって、だいぶたくさん描くことになるはず。マスターする頃にはイヤでもそこそこ描けるようになっている。

また、実際に自分で使ってみると「ここってみんなはどう処理してるのかな?」「発光してるみたいなエフェクトってどうかければいいんだ?」みたいな疑問がどんどん湧くので、必死でネットで調べたり他の人のデジタル絵をSNSで見ているうちに目も肥えてくるし、総合的に絵のスキルが上がる。

(※アナログがダメなんじゃなく、デジタルで描こうとした場合、ネットに情報量が多いので吸収しやすいんじゃないかということです。)

これからデジタルで描いていきたいなら、最初からデジタルに慣れていくほうが手っ取り早いしクリスタが使えてソンすることなんか一個もない。

自分がデジタルで初めて絵を描くのに使ったのはIllustrator。(20年前、絵を描くソフトといえばペインターかフォトショ、あとはSAIくらいだった、たぶん)

そのあとコミスタを使うようになったんだけど、まー慣れるまでしんどかった。それなのにコミスタはサポート終了で、クリスタを覚えなきゃいけなくなってまたたいへんだった。

だったら初心者の最初のうちからクリスタで描いていれば慣れるしいいよなー! と思っているので、よけいおすすめしたい!

「もっと絵が上手くなったらアップしたい!」」みたいにSNSで宣言している人も見かけるけど、これだと漠然としていて目標設定の意味がない。「痩せたら告白しよう」みたいなもんで、一生無理になってしまう。

その点、上の二つのように具体的な目安ならクリア地点が分かりやすいし、ある程度は根拠もあるから自分の気持ちが納得しやすいんじゃないかと思う。

まずは人が少ないSNSにアップしてみる

Twitterは奔流って感じがある。

人が多くて、新しいツイートがじゃんじゃん更新されて流れてくるし、つい見ちゃうし、いろんな人が見てるしで落ち着かないよね……。

まわりからの反応が速いってことは、こちらの緊張感も強い。

いったんTLに流すともう取り返しがつかない気がしてこわいのかもしれない。

だったら、まずは人が少ないSNSにアップしてみる、というのも一つの手だと思う。

人が少ないSNSっていうのはフォロワー数とかではなくて、みんながいつも張り付いていない、人の流れがゆるやかなSNSということ。

自分は、気持ちがピリピリしているようなときはまずpixivにアップしている。

ゆる〜っとボチボチ反応があったりなかったりして、そのあと気が向いたときにTwitterにもアップしたりしなかったりするんだけど、こういった使い方が気楽で気に入っている。

他にもいくつか創作系SNSはあるので、自分のペースに合う居場所を見つけてみるのもいいかもしれない。

他人に対して「下手!」と思ってしまうなら、そのクセをやめてみる

そもそも「下手な人はアップすべきじゃない」「ヘタクソの自己顕示欲は醜い、引っ込んでいるべき」みたいに思ってしまっているとしたら、それも身動きの取れない原因かもしれない。

「絵が下手な人はSNSにアップすべきじゃない」というのは自分が勝手に決めたルールだし、どこから上手くてどこから下手かもさだかではない。

"本当は自分の絵をSNSにアップしたい、誰かに見てほしい"という本心があるのに「下手な絵はアップすべきじゃない、恥だ! 上手くなってから人に見せるべき!」みたいなペルソナを(勝手に)かぶって覆い隠してしまうと、何もできなくなる。

そして、"下手なくせにSNSにアップしている人"を見ると激しいムカムカが湧いてくる。

毎日Twitterを見るたびにこんなふうに心が荒れていたのでは疲れてしまう。

「私、なんでそんなふうに思ってたんだっけ?」「私がこう感じてしまう根拠はなんだろう?」と考えてみることで、謎の縛りや緊張から解放される。

絵を描くのは恥をかくことの繰り返しなので、早めに慣れる

絵を描くって、恥をかくことの繰り返しだと思う。

「けっこううまく描けた! 人に見せたい!」

↓ (ちょっと経ってから改めて自分の絵を見たら……)

「え、こんな下手な絵をドヤ顔でアップしてたの!? 昔の自分が恥ずかしい!」

これを一生繰り返していく。

上手くなったら恥ずかしくならないのかというとそんなことはなく、絵が上手い人もたぶん、同じように恥ずかしさで身悶えしながら描き続けている。

「絵の上手さ」は数値化できない

初心者のうちほど「自分の絵はどれくらいのレベルに達していますか?」と誰かに確かめたくなると思うのだけど、「絵の上手さ」は数値化できない。

学生のときまでは試験の点数やスポーツのタイムで全てを判断されたので、そのなごりでどうしても「平均以上は取らなきゃ恥ずかしい」みたいな意識があるのかもしれない。

美術や音楽にも学校では点をつけられたので、どこかに正解があるような気がしてしまうのかも。

正解探しって、大人になると全く意味のない足枷になる。早めに気づいて捨てるほうが幸せ度が高い。

絵をはじめとした芸術なんてものは平均的であればあるほどつまらないし、均一のものを量産したって意味がない。100円ショップで売るわけじゃないのだから。

まずは人に見せないと始まらない

「私の絵は何点かな」「私のレベルは平均いってる? いってない?」とか思っていると、描いたものを人に見せるのが怖くなる。

この恐怖心を捨てる方法は、"思い切って人に見せること"。

恐怖心を消してから人に見せよう! 「恐怖心 なくしかた」で検索っと……。

なんてやっていては一生そのままなので、

  1. まず思考を止める
  2. 行動をする

心なんて不確かなものは、あとからどうにでも柔軟についてくる。気がする。

人に見せることで自分の現在地プラス目的地が分かる

人間は社会性の生き物だから、他人の反応によって自分を確認する、という生き方をしている。

「私の絵のレベルってどれくらいなんだろう?」

「私の絵の魅力ってどこだろう?」

「どんな傾向の人が私の絵を気に入ってくれるのかな?」

いくら自分一人でウンウン考えてみたところで、答えは出ない。

だけど人に見せることで、

「自分は描き込まなきゃダメだと思ってたけど、シンプルな絵柄のほうが反応してもらえるんだ……もしかして私シンプルな絵柄のほうが得意なのかも。新たな自分の魅力を見つけてしまった! もっと伸ばしていこう!(ホクホク)」

「同じキャラ絵をほぼ同じタイミングでアップしてるのに、Aさんのイラストは私よりいいねが10倍以上ついてる。確かに上手いし、ウケる要素も多そう……刺激受けまくりだわ。私もこんなふうに描けるようになろう!(ワクワク)」

「いつもいいねをくれるBさんのイラスト、私もすごく好み! 私の絵とBさんの絵はどこか似た要素があるのかもしれない。気が合うってことかも……? タイミングがあったら話しかけてみようかな(ドキドキ)」

みたいな感じで、自分の現在地プラス目的地が見えるようになってきて、これが、自分がネットで絵を描いてよかったなと感じるところです。

今の自分の立ち位置と「これからどうしたいか」がはっきりすると、気持ちが安定するのだよね……。

人に見せることで思わぬ刺激や変化、つながりが生まれる

「上手くなくてもどんどん発表することの大切さを、ウグイスが教えてくれている」みたいなツイートを見かけた。(元ツイートが探し当てられないけど)

確かに最初は「ホーホケキョ」と上手く鳴けないわけだけど、上手く鳴けないからといって鳴かないでいると一生「ホーホケキョ」が鳴けず、ひとりぼっちで死んでいくことになる。

ウグイスと違ってわれわれ人間の面白いところは、まだ下手なうちでも、その過程に成果が発生するところだと思う。

「まだ下手なのかもしれないけど、画風がなんか好み」「この人の努力する様子と上達具合に刺激を受けた」「絵を描く上での目のつけどころが好きすぎる! この人面白いぞ!」みたいなことだってたくさんある。

(もしかしたらウグイスにもそういうのあるのかもしれない。「この個体のホーホケキョ味があって良い! つがいになりたい!」みたいなの)

人に見せることで、自分にもまわりにも何かしらの変化が起こる。

それがヒトの社会性の面白さなんじゃないだろうか。

恥をかくことになるべく早く慣れるとラク

何かを着実に上達させるコツは、恥をかくことになるべく早く慣れること、早めに打ちのめされることだと今の自分は思っている。

自分の実力を正しく判断して、今届いてなくてあきらめるところはいったんあきらめて、もうそこは今はごめんなさいして、おいおいやっていく、みたいなこと。

「私はそこそこ上手い絵が描けているはず」「平均レベルにはまあまあ上手いはず」みたいなささやかなおごりの気持ちがあるから、けなされるのがこわいわけで。(昔の私です)

"おごり"があると他人の絵に対しても「上手いか下手か」で厳しくジャッジを下してしまいがちで、これもまた自分の首を締める。

ある程度長く描いていって、

「先月描いた私の絵、下手すぎ恥ずかしい! こんなものを私はドヤ顔でSNSにアップしていたのか、あのときは最高傑作だと思ったのに……私ごときの感覚はまったくもって信用ならんな」

みたいなのを繰り返していくと、そういった"おごり"がパリンパリンと砕かれていく。

すごくみじめになるけれど、でも、

たぶん、この「ドヤァ→おごりがパリーン」の繰り返しって、謙虚になるために大事なんだと思う。これをやらないといつまでもしんどかったりする。

「私の絵は上手いはず。評価されないのはこいつらに見る目がないせいだ」「もっと自分の価値をわかってくれる人がどこかにいるはず」みたいに自分のおごりを死守してしまうと、いつまで経っても恥をかくことを恐れて、いつも精神状態がギリギリで、情緒不安定な愚痴を言ってツイ消しアカ消しそして転生して同じことの繰り返し……みたいになってかなりしんどいので。(昔の私です)

私の場合20年以上かけておごりがあらかた砕かれ尽くして、やっと「しょせん私ごとき、こんなもんですよ。これからです。」くらいの気持ちになれてきた気がする。

当然、20年前より格段に生きるのがラクです。

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