Twitterで悪口を見てしまって「自分のことかも…」と気になる。

Twitterで仲良い人が悪口を言っていて、自分のことかも…と気になってしまった

「これって私へのエアリプかな?」と気にしてしまってTwitterが怖い……

という人向け【悪口を「自分のことかも?」と感じてしまう心理と、気にしないための考え方】について。

※絵についてのブログなので、おもに絵についての悩みを例に挙げて考えています。

悪口を自分のことだと思い込んでしまう心理

人はつい自分を中心にものごとをとらえてしまう。

悪口を見て「自分にも当てはまる、これは私に言っているのかも」と感じたり、なんでもない一言を勘繰って「この人は私を攻撃しようとしているのかも」と感じたり『つい、しがち』。だから『割り引いて考えるとちょうどよい』のだというのは、自分は心に留めるようにしている。

この「つい自分のことだと思ってしまう」心の動き、つまり人は皆、少なからず自意識過剰なんだということは、心理学でもいろいろな実験で説明されている。

【スポットライト効果】…自分は注目されていると感じてしまう心理

ダサいTシャツを着た被験者に、たくさん人のいる部屋へ入ってもらう。そうすると被験者は「こんなダサいTシャツを着て恥ずかしい、その場にいたみんなからダサいと思われたに違いない」と感じるのだけど、実際はその場の20%くらいしかTシャツの柄を認識していなかった、という実験結果があるそうだ。いわゆる「お前のことなんて誰も見てねーよ」というやつ。

「自分は注目されている、いつもみんなに見られていて、なんらかの感情を抱かれている」と感じるものの、実際そうでもない。

全く気にしないというのも無理なので、自分は「私がダサいTシャツを着ていたからって、気づく人自体が2割なんだ。ってことは、わざわざ時間を割いて私の悪口を言う人なんかもっと少ないんだよな」と、冷静になってみるようにしている。

【カクテルパーティー効果】…自分に関係ある言葉ばかり拾ってしまう心理

立食パーティーでみんながざわざわ話をしている場で、自分に関係ある(と思ってしまっている)言葉だけをやけに耳が拾ってしまうという現象。

場合によっては「この人がこんなことを言いそう」という情報を勝手に補完して、発せられていないのに聞いたつもりになることもあるそうだ。脳ってけっこういいかげん。

これ自体は有名な現象だけど、キモは「自分に関係ある"と思ってしまっている"言葉だけがよく聞こえてしまう」という部分だと思う。

それは「自分が気にしてしまっていること」なのかも

絵でたとえると、「また顔だけのイラストになっちゃった。でも体描くの苦手だしポーズが思い浮かばないし。いいかげん『この人顔しか描かないじゃん』ってフォロワーさんに思われてるかもな。笑われてるかも、イラつかれてるかも、呆れられてるかも……恥ずかしいな、早く体も練習しなきゃ! 焦るなあ……」と思いながら自分がイラストを投稿したとする。

そんなタイミングで、

顔しか描かない人っているよね〜笑 あ、描けないのか笑

なんて言葉を見かけたら、もう完全に「これ絶対に私のことだ! 悪口言われた! 仲良いと思ってたのにショック!」と思ってしまう。たぶん私もそう思ってしまう。

でも、「私は顔しか上手く描けない……と感じている人」っていくらでもいる。10人いたら8人くらいに刺さるんじゃないか? 今とっさに例に思いついたくらいだし。

つまり、自分ですごく気にしているところを言われたために自分に刺さってしまった。ということ。

太っているのを気にしている人が、街などで「すげえデブwww」とかいう言葉が聞こえてくると「絶対自分のことだ!」と思ってしまうのと同じ。でも実際は仲間うちの話にすぎなかったり。

傷がある場所にちょんっとでも相手の手が当たれば、そりゃあ痛く感じる。なんでもない場所に当たれば痛くもなんともないのに。

※「顔しか描けない人っているよね〜笑」みたいにTwitterで言っちゃう人も街なかで「すげえデブwww」って言っちゃう人もいかがなものかと思うけど。自分が言われたんじゃないにせよ軽蔑するけど。

他人の心の中は分からない

「私の悪口かな?」と不安になってあれこれ推測してみたところで、他人の心の中は分からない。そうかもしれないしそうじゃないかもしれない、そうだったとして自分にはどうすることもできない。

分からないことを考えても分からないのだから、意味がない。

なので自分はここで思考は止めるようにしている。意味がないから。

「私はそれを気にしているんだな」と知ることができる

もしできることがあるとするなら、「自分はそこに傷があるんだな」「自分はそこを気にしているんだ」と気づくこと。これくらいは、できる。

「体を描くの練習しなきゃ、と思っているのにできてない」とか「自分は太っていることを気にしているのに、なかなか痩せようと努力できてない」とか。

その言葉が「悪口」に聞こえたら……

対処法その1:言われたことをきっかけにして自分を変える

人から言われた言葉が刺さってそれが我慢できないほどに痛すぎたとしたら、それは自分でも気になっている部分。痛かったことをきっかけに、何か努力を始めることはできる。

自分の場合は以前とても体型を気にしていて、体型に関する言葉が全て自分への悪口に聞こえた。体型を気にするあまり、自意識過剰になっていたのだ。つらかったので、体型を変えた。もし今「すげえデブwww」という言葉を街なかで聞いても自分のことだとは思わないし(でもそういうこと言う人を軽蔑はする)、面と向かって「あなたデブだね」と言われても堂々と「いいえ違いますけど???」と答えられる。

自分が変わったので、もう、体型に関する言葉を自分への悪口だとは思わなくなったのだ。

「デブと言われなくなった」というより「デブという言葉を自分への悪口だととらえなくなった」。そもそも、当時の自分が本当に誰かに「デブ」と言われたことがあるのかと思い出してみると、それも定かではない。さらにそもそも、冷静に考えてみると以前の自分の体型は「太っている」というほどでさえなく、友人たちからも「気にするほど太ってないじゃん」「普通の体型だと思うよ」と何度も言われてきたのに、それを信じられずにずっと悩んできた。

あの苦しんでいた時間はなんだったのか。

でもこれは今自分が変わったからそう認識できているわけで、変わらずにいたらずっと「自分は太っている、そして悪口を言われている」と思い続けていたはずだ。

認知って歪むもんだな、と身をもって体験した話。

対処法その2:気にしてるけどしょうがない、と慣れる

とは言え自分の欠点に思える部分を全部直そうとするとたいへんすぎる。

絵でいうと自分はどうしても着彩がダサくなっちゃう悩みがあって「色がダサいとダサく見えるよね〜」とか「塗り方が古い絵って下手に見えるよね〜」とかのたぐいの言葉を見ると「私のこと!? 絶対私のことだ! だって私の色のセンスはこの世でいちばんダサいから、私の悪口に決まってる!」と思ってしまう。

さんざん努力をしてみたけど、コンプレックスは拭いきれなかった。だったらもうしょうがない。

「なんか背中に刺さってるな……でも致命傷ではないし、まあ刺さったままにしとこ。せいぜい傷つこう。は〜い私は着彩がダサいで〜す、刺さってま〜す」という感じ。「ダサいと思われたくない!!」と構えるからしんどい。

というか直す努力をするかほっとくかと言われたら、自分は2:8くらいで「刺さったままでほっとく派」です。いろいろ矢が刺さったまま、受け入れて生きてる。

「自分に向けてハッキリ言われたこと以外は受け取らない」

これからの時代、SNSが無くなることはないだろう。自分も含めて気にしぃの人にとっては、SNSって誰に向けたものなのかも分からない矢が飛び交うような場所。

だからこそ「自分に向けてハッキリと言われたこと以外は受け取らない」という姿勢を身につけていく訓練も、自分はしていこうと考えている。

「これ私への悪口かも!」と感じたときの考え方
  • 「私への悪口だ!」と感じても真実とは限らないし、他人の本心を探るだけ無駄
  • 「私への悪口だ!」と感じたら、そこは自分が気にしていて直したいこと
  • 直すために努力したならそれでよしとする
  • 努力しなくても別にいいし、刺さったままでも別にいい
  • 面と向かって言われたこと以外受け取らない

こんなふうに、自分は考えるようにしていきたい。

あと、「直すように行動してみる」というのは精神衛生上とても良かったので、これからもそうしたい。

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