Twitterで新しい人をフォローした場合、挨拶ってするべきなの?
プロフィールに『フォローの挨拶不要です』って書いてある人に対しても無言フォローしたくないし、人としてちゃんと挨拶した方がいいよね?
みたいに思っている人向け【Twitterもっとゆるく適当にやりたいなって人多いのかもな……】と感じた話。
うちのブログにどんな検索ワードでたどりついてくれているのかを簡易的に見られるようになっているのだけど、ここ最近けっこう目についたのが「フォロー 挨拶 いらない」「フォロー挨拶 うざい」みたいなワードだった。
たぶん「フォローさせていただきました! よろしくお願いします!」みたいな挨拶をされることをめんどうに感じる人って一定数いて、「挨拶返すのがめんどくさいのって私だけじゃないよな……?」と確かめたくて検索してみたのかもしれない。
以前の自分もそうだったからめんどくさい派の気持ち分かる。
対して、「黙ってフォローするのはなんとなく落ち着かない」と思う人がいるのも分かる。
たぶん誰しも「めんどくさい」けど「でも挨拶しなきゃ」という気持ちを両方持っていて、だから揺れ動くのだと思う。
自分も「挨拶したほうがいいのかな、いやかえって相手に手間を取らせちゃうかな、どっちがいいんだろう」と悩んだ頃もあったけど、それについては①相手が「フォローするときは挨拶しろ」と言っている場合はする②「挨拶要らん」と言ってる場合はしない③何も言っていない場合はこっちのしたいようにする、というふうに自分なりの割り切りかたを決めた。
こうして書いてみるとどうでもいいことを何でわざわざ記事にしてるんだという感じだけど、思考のログとして文章にしているだけです。
フォローの挨拶が要らない理由
「挨拶は別に要らないんだけどな……」と思っていた以前の私の場合はこうだったかもしれないというのを敢えて順序立てて書くと、
- 元気よくフレンドリーに挨拶してくれた相手、感じがいいしありがたい。こちらもテンションを合わせていい感じに返信したい。でも真顔虚無でスマホを見ている時によそ行きのテンションを作るのはしんどいな。
- かと言って今の真顔のテンションで返信したら冷たい感じになっちゃうかも……
- かと言って挨拶してくれるのを無視するのは居心地が悪いし、相手も気を悪くするかも……
- がんばって気力を振り絞ってテンションあげて返信して、ドッと疲れる。
- アレで大丈夫だったかな、失礼じゃなかったかなと心配になる。
- 「ああ……こんなに気を揉むことになるなら、いっそもう挨拶は要らないよぉ……」となる。
- (ここで「疲れるからもう挨拶してこないでほしい!」と挨拶不要過激派になる人もいるのかも?)
言うなれば起きたままの部屋着でのんびりくつろいでいるところに「ピンポーン! 同じマンションに引っ越してきた者ですがご挨拶させてください!!」とビシッと改まった来客があって、失礼のないように焦って着替えてテンション上げめにしてなんとか挨拶したけどドッと疲れた。もう次からは居留守使お……ってか挨拶なんて要らんのに……みたいな感じ。
「めんどくさいから挨拶要らない」という言葉だけで見るとアレだけど、つまるところ私の場合「なるべくちゃんとしたい」「相手にイヤな思いをさせたくない」という気持ちがあるゆえに「めんどくさい」が発生している。それに加えて「せっかくこちらに興味を持ってフォローしてくれた人に対して、ファーストコンタクトを失敗したくない」みたいな気負いもあったかもしれない。
Twitterに慣れてきた今では「挨拶するのも自由、こっちが挨拶返さないのも自由、それでどう思われようが知らん。最初だけ取り繕ったってすぐにボロが出るんだし」という感覚。
どう返信したらいいのかも悩みがちだった
あと、「フォローさせていただきました、よろしくお願いします!」に対してどういう文言で返信すれば良いのかというのも、なんなら個人サイトの「リンクさせていただきました」時代から自分にとっては難問だった。返事がめんどくさいから「リンクにあたって挨拶や報告は不要です」と目立つように書いておいても、「不要ということでしたが礼儀としてどうしてもご挨拶したくてm(_ _)m」みたいなメールはなんだかんだでやっぱり来た。
「初めまして! あなた様の小説いつも読んでいます! (中略〜ていねいな長文の感想〜)私のサイトからリンクさせていただきました。よろしくお願いします!」というきちんとしたそこそこ分量のある「リンクしましたよ報告」のメールに対して「ありがとうございます」だけ返信するのってそっけない気がしてなんだか落ち着かない。
こちらも相手のサイトに一通り目を通して何か感想を添えるべきなのか? こちらからもリンクをはって相互リンクにすべきなのか? でも自分の好みに合わないサイトと相互リンクになるのもこれまた違う気がするし……とは言え無視するのも申し訳ない気がするし……ありがとうだけでは申し訳ないよな、だったらいったいなんと返事をしたらいいんだ? と無限に悩んでいた記憶がある。
こんなふうに、何か良くしてもらったら同じだけのお返しをしなければと思ってしまう心理を【返報性の原理】というらしい。
「なんだ全部この心理だったのか」と思えば、「ありがとうございます」の一言だけですませることも割り切れるようにもなってきた。あーだこーだ気を揉んだことも、社会性みたいなものの勉強になった気もするし。
「こっちがていねいに挨拶しているのに、ありがとうのたった一言だけですませるなんて……人間性を疑います!」みたいに怒ってくる人がもしいるとしたら、それには付き合いきれない。ということでいいのではないか。
ゆるい感じで適当にやっていきたい
自分もフォローやフォロバの挨拶要りません派だけど「いえいえそんなそんな、私のようなものに時間を割いてくれなくても大丈夫ですので」と変にへりくだって遠慮しているわけではなく、「私に無駄な時間を使わせるな! 下々の者の目通りなど許さぬ!」とお高くとまって拒絶しているわけでもない。
SNSくらい儀礼的なことははぶいて適当に気軽にやっていきたい。ただそれだけ。
しかし、つまるところ理由が「めんどくさい」に集約されるため、語弊がありそうでなかなかハッキリ言いづらい。(社会生活のほとんどにこのわずらわしさってある気がする。)
「うんうん、挨拶要らない人もいるよね。返信に気を使っちゃうタイプなのかもな」くらいに判断してもらえると自分は助かるし、自分もだいたいの場合そう判断しています。
「それでも勝手にフォローするのはモヤモヤしちゃうんだよ」という人は、Twitterを「自分のお気に入りのきれいな部屋(サンクチュアリ)」ではなく「雑踏」ととらえてみると気軽に楽しめるかもという記事↓