自分より下手な人がTwitterでたくさんいいねもらっていて、あんな絵がなんで!? 私の方が上手いのに!と悲しくなった……
と悩んでいる人向け、【Twitterのいいねって、上手い下手よりも共感したかどうかという要素が大きいのでは?】という記事。
「私より下手な絵にいいねが多いのはなぜなんだ!」とか「こんな下手な絵にいいねがついてるのに、自分の絵はこれ以下ってこと……?」とか、いいね=上手いね、だと思ってしまうといろいろモヤモヤすると思う。
でも「絵が下手だからいいねがつかない」のかというと、そうではない。
自分の知人に有名な美大を卒業して日本画を描いている人がいて、Twitterもやっておりときどき作品を載せている。いわゆる画力を比べれば私の100倍くらいだけど、いいねやフォロワーの数で言ったら私の二次創作アカウントのほうが100倍多い。こんなことはザラにある。
自分のほうがいいねの数が多いからって「やったー私のほうが絵が上手い!」と思うほど私もおめでたくはない。むしろ「画力の差は明らかなのに、いいねなんてそんなもんだ……」という気持ちの方が大きい。
つまり、「いいね」って上手い下手じゃなくて、オチとかネタ要素とか今時っぽさとか、Twitter民の興味を引くかどうか、Twitter民の求めるテイストに合っているか、そういうことなんじゃないか。
だったらいいねの数で上手いだ下手だと一喜一憂する必要は全くないってことになる。
この記事では、
- 「いいね」ってそもそもなんなんだ?
- みんな、どういう基準で「いいね」をつけてるんだろう?
という疑問について、自分なりに答えを出してみた。
人は共感したイラストに「いいね」する
一体感で盛り上がって「私もそれ好き!」のいいね
Twitterではドラマやスポーツ、歌番組など、テレビで今放送しているコンテンツのファンアートを見かけるけれど、その投稿についたリプを読むことで、どういう人がどんな気持ちで「いいね」をしているかがだいたいわかる。
「私も毎週観てます!めっちゃ特徴とらえてる笑 すぐわかりました!」
「私もそのシーン号泣でした!」
「今週も目が離せませんでしたね!」
実際のコメントとは異なります
ドラマを見ながら片手間にTwitterをしていて、タイムラインに今ちょうど見ているコンテンツのファンアートが流れてくると、「あっ自分も今観てる〜!」という一体感、つまり共感があるんだと思う。
一人で観てるから、そのイラストに番組の感想もリプしたくなっちゃう。もはや絵の感想じゃない。
「今私もこれ観てるよー!」とRTされたりするので、そこからさらに伸びたり。
自分の好きなマンガやゲームのファンアートにいいねする人も同じ感覚なんだと思う。
「私もそれ好き!」のいいね。
「私も同じ!」「私も言わせて! 話を聞いて!」のいいね
「飼っているペットがこんな仕草をしてかわいいんだよ〜」
というイラストには、
「うちのもやります!」
「うちのはそれはやらないけど、別の仕草ならします!」
「うちも昔飼ってました! 懐かしいな……」
というようなリプがたくさんついているし、
「子どもを連れて電車に乗ったら舌打ちされた……」
という実録マンガには、
「うちもそういうことありました!」
「うちもです!上が何歳で下が何歳で、下の子を検診に連れて行くのに旦那が仕事だから上の子も連れて行くしかなくて……」(以下3回に分けて長文リプ)
というように、
とにかく「私も言いたい!」的なリプがたくさんついている。
「私も同じです!」「私にも言わせて!」という気持ち、つまりこれも共感だ。
「私も!」と強く思わせる投稿はRTも伸びるし、結果としていいねが増える。
子育てあるある、ペットあるあるがTwitterでバズることが多いのは、誰もが同じ経験をしやすく、たくさんの共感を得やすいテーマだから。母数が大きい。
身近な人の死をテーマにしたTwitterのマンガ『100日後に死ぬワニ』にも、「亡くなったおばあちゃんを思い出しながら読んだ」とか「亡くした友人のことを思い出して涙した」という感想が多く寄せられていた。
「あるある〜!」「わかります〜!」「そうそう私も……聞いて聞いて」のいいね。
ハイコンテクストなイラストに対して「私もそれ知ってる!」のいいね
あとは、ハイコンテクストなイラストに対して「私それ分かりますよ! 私それ知ってますよ!」ないいねが集まることも多いんじゃないだろうか。
ハイコンテクスト、つまり、「これ、元ネタを知ってる人だけ面白い」「分かる人だけ分かる」みたいなイラスト。
"タレントの誰々さんを○○風に描いてみた"みたいなのとか。
「その漫画私も知ってます! 確かにそういうタッチですよね〜!」
「私も好きな誰々さんがまさか○○風にwww」
「ていうか違和感仕事しろwww」
実際のコメントとは異なります
「私は元ネタ知ってるからそのイラストの面白さが分かります!」みたいな優越感が、楽しく気持ちよくいいねをさせてくれる。自分にもよくある。
「みんながいいねしてるから、私もなんとなく……」のいいね
あとは、TLで話題になっているイラストだから自分もとりあえずいいねする、という人もいた。これは自分の知人なんだけど「みんないいねしてるのに、私だけいいねしないのは悪いなと思って……」と言っていて、本気で意味が分からなかったけどそういういいねもあるということ。
これは絵への共感ではなく、TLへの共感とでも言えるのかな。
SNSに慣れていない人ってそういうこともあるのかなと思った。
「好きな人が描いた絵だから……」のいいね
そもそも、絵の上手い下手なんてたいていの人にはよく分からないことだと思う。
我々絵を描く側が考えているより「絵がうまい」ってそこまで重視されていないように感じるのだけど、どうだろう……。
なので、知らない人が描いた上手い絵と、仲良しの友人が描いた上手くない絵なら、後者にいいねする。上手いけど全然知らないキャラの絵と、大して上手くないけど知ってるキャラの絵なら、後者にいいねする。そんな感じじゃないんだろうか。
知らない子どもが描いた絵には興味が持てないけど、自分の子どもが描いた絵ならどんなに拙くてもいいところを見つけてしまうし褒めたくなるのと同じで。
二次創作の絵を見るときも、自分の場合、上手いとか下手って全然考えていない気がする。「推しキャラのイラストを描いてアップしてくれる同志がいる、同志の心の中の推しキャラを見せてもらえる、そのこと自体が尊いし最高、うれしい」という気持ちが強い。こういう人、多いんじゃないかな……。
いいね=「上手いね」ではない
こうやって挙げてみると、いいねって全然「上手いですね」って意味じゃないじゃん、となると思う。
というか、上手い下手以外の要素が多すぎて、上手いとか下手という要素がすごく薄まっている。ゼロではないけど、どう見ても主要な要素ではない。
自分と共通点がない、ツッコめない、介入できないタイプのイラストには無関心になるし、知らない人が描いたイラストもどうでもいい。
だからいいねしない。
それだけの話なんじゃないか?
いいねを絵への評価とは考えない
いいねって「私も同じ!」「私もそれ好き!」「分かるー!」という反応に過ぎないんだ、と思えば楽にならないだろうか。
そもそも自分は前述の日本画家の知人の例で「上手いからっていいねはつかない、下手でもいいねはつく。いいねがついたって、私の絵が上手いってわけじゃ全然ないんだよな」というのを嫌というほど思い知らされているので、いいねを絵への評価だとはサラサラ考えていない。
「なーんだ、それならいいねがつかなくても別にいいや」と思うなら
それなら、自分の好きな絵を楽しく描いていけばいい。それって最高だ。
「じゃあ、共感を得るようなイラストを描いていいねを増やそう」と思うなら
だったら、それを目指していくのも楽しそう。それもSNSの醍醐味だと思う。
いいねのために、というのは一見不純なような気もしてしまうかもしれない。
けど、まわりの人が求めているものを感じ取るのはある意味プロにも必要なスキルだし、「いいねをたくさんもらいたい!」と思うなら堂々とそれに向かってやっていけばよいと思う。
でも、まずはいいねの正体をきちんと知り、それが本当に自分の欲しいものなのか、ということを考えてみるのが先なんじゃないだろうか。
いらないもののために身をすり減らすのはしんどいので。