「ファンアート描いても下手だし推しにもスルーされるし意味ない」という悩み

推しのファンアートタグをつけてイラストを投稿したいけど、下手だし……

推しが上手いファンアートばっかりRTしてて、TLに流れてくるのを見るとむなしくなる。自分が描く意味ないじゃんってなる

と落ち込んでいる人向け【果たして自分は①推しの認知が欲しいのか②好きな推しの絵をただ描きたいのかを分けて考えるといいのかもしれない】という記事。

タイトルのようなお悩みをいただいた。

すごくハマっていて大好きな推しがいてせっせとファンアート描いてるけど、推しは上手い人しかRTしない……推しがRTする上手い人の絵がTLにいっぱい流れて来て、推しがRTするからさらに上手い人のいいねはぐんぐん増えていって、その上手い絵描きさんが「ご本人にRTしてもらった、だと……!? こんな下手くそなラクガキなのになんかすいません!」と言っている……そんな状況。

「推しの絵って描きたいから描くんでしょ? 反応が欲しいなんて私は思ったことないなー」「認知してほしいから絵を描くなんて不純じゃない? 気にせず好きに描けばいいじゃん」と感じる人もいるだろう。

かく言う自分も推しの絵にせよ二次創作にせよ、基本的にはこっそり隠れて描きたい&推しに認識されたくないタイプだ。なので、現時点では「他の人の動向を気にするよりも、鍵アカウントで気楽に描くことが楽しい」と感じられている。

けど、この先、推し方が変わったりするかもしれない。推しに認知されたくなるかもしれない。認知されたいと思う推しが現れるかもしれない。で、上のお悩みのような状況になったとしたら、冷静でいられるかは自信がない。実際、お悩みを聞いただけで自分に起こったことのように心がざわざわしてしまっている。

今より若い頃に嫉妬に悩んだことがあり、我ながらとてもじゃないけど心の散らかり具合が尋常ではなかった。あの頃のことを思い出してしまうのかもしれない。

過去に嫉妬を解決したときの話

これから先、二度とモヤつかない自信はない。何かのきっかけでまたモヤモヤしておかしくなって再び暗黒面に落ちないとも限らない。

あんなつらいことはもういやなので、もしもの未来に少しでもヒントや救いになるよう、頭が冷静な今のうちに自分のための対処法を記しておこうと思う。(自分用なので万人に効くわけではないです)

まずは言葉を使って問題を分解するところから

今までいろいろと悩んできた結果、「悩みごとはまず言葉にして明確にし、細分化しないと解決しない」と思っている。

たとえば、

「ファンアート描いても推しは上手い絵ばっかりRTする。ファンならみんな知ってるような、界隈では有名な絵描きさんが何人かいる。いいなあ推しに覚えてもらえて……。私の絵は下手だからスルーされる。目にも留めてもらえないし当然覚えてもらえない。上手い絵描きの絵は推しがRTするからよりいいねが増えていく。底辺な私は誰にも見てもらえないから描く意味ない。時間かけても無駄なんだ……結論:絵が下手でつらい。」

という悩みがあるとする。

この場合、あまりにもたくさんの要素が入り組み過ぎている。

これを「絵が上手い人はいいなあ……」みたいにただうすぼんやりまとめてしまうと解決の糸口が見つからず、ただただそのままスリップダメージが入り続けて戦闘不能になる。(というのを昔の自分は何度もやっていた。)

そこで、ほどいて、分解して、分析してみる。

  • 推しは上手い絵しかRTしない
  • 界隈での有名な絵描きというポジション、いいなあ……
  • 推しに覚えてもらえていいなあ……
  • 私の絵は上手くない
  • 推しにいいねやRTしてもらったことはない
  • タグをつけてもいいねは増えない
  • いいねがつかない私は「底辺絵描き」だ
  • 時間をかけて絵を描いている
  • 労力のわりに報われてないのでは

こうやって自分で分割してみると、「ん? 私のこの考え方は極端だな」「私はわざと卑屈な言い方しちゃう傾向があるな、自分をいじめて周りが見えなくなっているのかも」と気づくようなこともあるし、何が自分にとっていちばんつらいのかも多少は見通しが立つ。それぞれ「とてもつらい つらい さほどつらくない どちらでもない」で分けて、自分にとって「とてもつらい」ものから潰していくことができる。

推しの認知が欲しいのか

SNSで絵を描くことって、どうしても「絵を描きたい、絵を描くのが好き」という要素と「見てほしい、認められたい」みたいな要素がせめぎ合ってしまう。そこで悩む人は多いのではないか。

そこへさらに「推しに認知してほしい」という欲望も絡んできた場合、よけいに冷静でいられなくなる……という面があるかもしれない。情が絡むとより差し迫った欲求になるからだ。

未来の私よ、「推しに覚えてほしい!」って絵を描く動機として不純な気がしてしまって、自分の中にあってもなかなか認めにくいかもしれない。けど、もし1ミリでもあるのならば自分の欲望をちゃんと認めてあげなね……。無理に見ないふりをして「推しに覚えてほしいとかぜんっぜんまっっっったく1ミリも思ってないし! わたしは高潔な愛と志のみによって絵を描きたいから描いてるんだし!」と思おうとするとこじれてしまう。過去にもそういうことあったよね……?(未来の自分に言っています)

好きな推しをただ描きたいのか

もし「好きだから描きたい」が100%ならば、たとえ推しが上手い人ばっかりをRTしようともなんとも思わないだろう。

ただし、好きな推しをもっと思い通りに表現したいのに自分の力が及ばずもどかしい……! という葛藤は絵を描く限りたぶんずっとある。けどそれが絵を描くということの醍醐味だとも言えそう。

これは一生かけてせいぜい悩んでいきましょうというくらいのもので、自分が生きているあいだに完全に解決することはないだろう。

ただしこの「もっと上手くなりたい!」という一生モノの悩みに「(そしたらもっと推しに見てもらえるかも)」「(そしたら推しが覚えてくれるかも)」というオマケの欲求が混じるとこんがらがる。

なので未来の私よ、「もっと上手くなりたい」にどんなオマケの欲求が混じっているのかをきちんと観察してあげてください。そしてオマケの欲求だけをとりだし、オマケの欲求を優先して解決してあげてください。

いいねがたくさん欲しいのか

影響力のある人がRTすると、当たり前だけど伸びる。

「たいして上手くないのに今風の絵で上手いっぽく見えるから、絵の素人の推しには上手く見えてるだけだ! 推しがいいねしたからファンもみんな盲目的にいいねしてこんなに伸びているだけだ!」とかって、嫉妬で極限までおかしくなった自分なら思いそう。未来の私よ、今の私がすべてお見通しだぞ!

これではもう、推しを好きな気持ちとか絵を描きたい気持ちとはまったく遠いところに来てしまっている。こうなっちゃったら早く我に返らないと自分がつらい。やらかさないうちに早急に紙に書いて気持ちの中身を整理してみてください、未来の私。

どこがいちばん痛いのかを突き止めて、それを解決するための行動をする

分解したこれらの悩みを、「ああ、結局は絵が上手くなればすべて解決なのに……はあ才能が欲しい」とまとめちゃって短絡的に考えると元の木阿弥でまたおかしくなる。

ので、

「推しに覚えて欲しい」と「とにかく推しにRTされたい」と「いいねがたくさん欲しい」をそれぞれ別々の問題として、一つずつに対して現実的な解決法を考えてみる。

「推しに覚えてもらいたい」の場合

推しに覚えてもらいたいというのがいちばんの望みなら、手段は別に絵じゃなくても良いわけだ。

オーソドックスにファンレターを書くとか、イベントのときにガイドライン内でレポを書くとか、痛バを作るとか、企画のタグに写真や文章をコツコツ投稿するとか、ジャンルによっては質の良い切り抜き動画を作るとか、絵でなくても推しモチーフのハンドクラフトや料理の写真を投稿するなどなど、迷惑にならなくてかつジャンルが盛り上がることって、ファンアートを描く以外にも今はSNSでできることがいろいろあって楽しい。

また、ファンアートを描くにも「上手い絵」ではなくおもろいネタ絵を描くというアプローチってあるよなと思う。ネタ絵と言ってもウケ狙いではなく「細かすぎて伝わるか分からないけどここがツボだった」みたいなファンアートがバズって流れてきて、「わかる! この絵描きさんとは良い酒が飲めそうだ……推しも絵描きさんも好き……世界ありがとう……」みたいになることってけっこうありますよね……。

こういうファンアートって、たとえ一日に5時間絵の練習をすれば描けるわけではなくて、「推しをよ〜く見る、楽しむ、そして愛する」ことから生まれてくるのだろう。

「推しに覚えてもらうためには、どうしても上手い絵を描かなきゃいけない!」というわけではない。

「とにかく推しにRTされたい」の場合

あと、ちょっとこじれた願望かもしれないけど「とにかく推しにRTされる経験がしたい」「"推しにRTしてもらえる絵描き"というポジションがほしい(?)」というのが第一の望みの場合、全部RTしてくれるタイプの推しのファンアートを描くということもできる。

未来の私よ、「いやいや本末転倒だろ!? そんなの不純すぎる!!」と思うことだろう。私も今書いていて抵抗は感じている。

が、「推しの絵を描きたい」のではなく、「とにかく推しにRTされる気持ちよさを味わいたい」という望みも本末転倒していると言えば本末転倒しており、欲求がこんがらがって本も末も分からなくなっている状態なので、きちんと欲求に向き合うとするならこういう出口もあるのではないか。

私も今いろいろなジャンルのいろいろな人を好きでフォローしているけど、厳選RTのみの人もいれば、厳選RTしつつ全部いいねするひともいるし、タグがついていれば全部いいね&RTする人もいる。一切Twitter上では触れずに配信で「反応はしないけど全部見てるよ」と言ってくれている人もいる。複数の推しの中にも、いろいろなタイプがいる。

「見てもらえている!」と感じて満たされることで、本来の絵を描く楽しさを思い出すことができるかもしれない。

「推しにRTされるためには、どうしても上手い絵を描かなきゃいけない」というわけではない。

「いいねがたくさん欲しい」の場合

「いいねがたくさん欲しい」ならば何も推しのファンアートである必要はなく、推しも関係ないし絵である必要すらない。

「いいねをたくさんもらうためには、どうしても推しの絵を描かなきゃいけない」というわけではない。

また、「どうして自分はこんなにいいねが欲しいのだろう?」と考えてみることで、新たな発見があり、「なーんだ、だったら『いいね』にこだわらなくてもいいじゃん」となるのかもしれない。

自分の望みを分解してみる

「推しにも認知してもらえていいねももらえて自分も楽しくて、なおかつ今自分が比較的得意なことであんまりがんばらなくてできること=じゃあファンアートでも描くか」だと、望みが叶うまでの難易度が爆上がりしてしまう。

今自分で書いてても「あまりにもよくばりすぎだろ……。一度に全部叶えるのは無理だろ……」となった。

だったらいちばんつらいところ、いちばん叶えたい願望を一つずつ叶えていくことで、また楽な気持ちで自由に絵を描きたくなれるかもしれない。そしたらもっと自由な気持ちで推しを推せるようになるかもしれない。そして本来の楽しさを取り戻せるかもしれない。

今の自分が考えたことを、未来の自分に向けて書いておきました。

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