絵の悩みを誰かに相談したいとき、誰にどんなふうに相談するといいのか

絵のことで悩んでいてつらい、誰かに相談したい……

イラストレーターのSNSに絵の悩みを相談したのに答えてもらえない……自分の悩みを誰も聞いてくれないのか?

と孤独を感じたり悩んでいる人向け【誰かに相談したいときは①まず自分の中で整理し②具体的に絞り、ピンポイントで③その人自身の経験について聞く、ようにしています】という記事。

10代の頃の自分は、絵を描いていて楽しいよりも悶々とすることのほうが多かった。たいして努力もしてないくせに「上手くならない」と焦って手当たり次第に相談をし、どうして誰も役に立つ言葉をくれないのかと苛立ち、まわりの人が1人2人と離れていく……みたいなことを繰り返していた。

自分でももう何を言って欲しいのかさえ分からなくて、「誰か助けてくれ」とすがるような気持ちだったのだと思う。(無責任な話なのだけど、昔のことすぎてあまり覚えていない)

当然のことながらそんな取り乱したすがりかたをしても相手を困らせるだけで、自分にとっても何の実りもなかった。今となっては「迷惑なことをして申し訳なかったな……」とたいへん恥ずかしい。が、当時の自分は「必死で相談しているのにどうして誰も役に立つ答えをくれないんだ!」とさえ思っていた気がする。まわりの人にたくさん迷惑をかけ、困惑させた。たいへんに愚かな10代だった。

しかし相談することや悩みを打ち明けること自体は悪いことではないはずだ。では、もし誰かに相談するとしたら、どんなふうに相談すれば得るものがあるのか。昔の自分と一緒に考えるつもりで書いてみる。

まずは自分の中で整理し、根っこをつきとめる

まずは自分の中でどこがいちばんつらいのかをきちんと突き止めて整理しなければ、人に相談することはできない。

※ここで書いているのは、あくまでも絵に関する悩みの場合です。職場で嫌がらせを受けているとか家庭で暴力があるなどの場合はまったく別の話です。

つらいときほど&我慢しちゃう人ほどめちゃくちゃにぶちまけがち

診療所でお年寄りが先生に「膝が痛くてつらいんです、もう痛くて痛くて本当につらいんです、もうしんでしまいたいくらいつらいんです、でも孫の送り迎えがあって、草むしりもしなきゃいけなくて、家族は助けてくれないわ情けないわで泣けてきてしまって……」などと、堰を切ったように切々と訴えかけているのを耳にしたことがあった。痛いのはつらそうだなとは思ったけれど、これでは症状の説明ではなく身の上相談になってしまっている。

つらいことを吐き出すことで一瞬はスッキリするかもしれない、けど、これでは痛みの解決にはならない。どこに炎症や傷があるのか、どこから血が出ているのか突き止めなければ解決できない。

どこがいちばんつらいのか、そして自分はどうしたいのか。これは悩みを解決する上で肝要であるのに、直視しにくい部分でもあるように思う。傷口をしっかり観察するのは怖いし痛いからだ。

でもつらいときってつい延々と切々と脈絡なくつらさを訴えたくなるもので、いざ誰かに相談しようとすると「絵が上手くなりたくてつらいです、つらいです、諦めたくない、でも無理なんです、つらいです」とか「いいねがつかなくてつらいです、寝る前に泣いてしまうくらいつらいです、苦しいです、どうしたらいいか分からないんです」などとなりがち。

でも、これでは解決にならないし、いくら吐き出しても気持ちも楽にならない。相手だってひくし、本人がどうしていいか分からないことが他人に分かるわけがない。当然ながら、有用な答えを与えようがない。

そのうちきまり悪くなって疎遠になったり、陰で「なんかあの人、だいぶ病んでるみたいでさー笑 絵でそこまで悩む? って感じだわ」とか言われておしまいになってしまう。(自分がされた経験です)

「自分はこれに悩んでいて、こうしたい」というのを整理する

医者にかかるときに、

  1. いつからどういう症状があるのか
  2. その症状のうち、何がいちばん苦痛か
  3. その苦痛をどうしたいか

というのを伝えるといい、というのをどこかで読んで、それ以来悩んだときに応用している。特に3番目の「その苦痛をどうしたいか」というのは意識しないと考えないことかもしれない。

自分は何を描きたいのか、そもそも本当に絵を描きたいのか、絵を描いてどうなりたいのか、そのためにはどうしたいのか、自分の絵のどこがへぼいのか、どこを直したいのか、などを自分なりにじっくり悩み、「自分はこれに悩んでいて、だからこうしたい」というのをまずは整理する必要がある気がする。

「こうしたい」という目指す方向を、なるべく精密に具体的に言語化することで、

  • 自分の中にハッキリと目標ができ、具体的な行動に移したら気持ちが晴れた
  • 人に相談や質問をしたときも的確な答えをもらいやすくなった
  • 日々生きていて関係ないところからふとしたヒントも見つけやすくなった
  • 具体的に言葉にできたことでネット検索もしやすくなった

こんな感じで自分は少しずつモヤモヤを整理することができるようになっていった。

「どうしたいのか」をハッキリさせなければ、悩みというのは整理も解決もできないのだなと感じている。これは絵に限らず、悩みごとを解決するためのコツなのかもしれない。

頭の中を整理するブレインダンプについての記事です

具体的に絞れたなら誰かに相談してみてもいいかも

悩みを整理して具体的な目標をハッキリさせ、それに対して行動することで、たいていの悩みには対処できるようになった。

しかし行動に移す際に新たな疑問なり不安なりが出てくることも、もちろんある。

それは他人に相談することもできるのだけど、人に何かを言葉で伝える&相談するのってけっこう難しい。自分が試行錯誤してきたことについて書く。

具体的にピンポイントで聞いてみると回答をもらいやすいかも

最近では自分は何かを聞くとき、相手に丸投げせず、具体的にピンポイントで聞くようにしている。

でなければ相手も答えようがないからだ。

たとえば、

「絵が上手くなりたいんですけど、上手くなれなくてつらいんです。本当につらいんです。すごくつらいんです」「どうすれば絵が上手くなれますか?」「何年かかりますか?」「私の絵は上手いですか下手ですか?」

などと、ばくぜんとした質問や「そんなの人によるだろ」みたいな相談をしても相手は答えるのがむずかしい。

まともに取り合ってくれる可能性も低いだろうし、よしんば何か回答をもらえたとしても満足は得られないとも思う。

悩みって、自分が目標に向けて努力していく上でぶち当たってしまった壁について、具体的にピンポイントで相談しないと解決しないんだよな……と今の私は思っている。

例えばある程度の親しい関係性がある人に、

「自分の色塗りが古臭くて、それをどうにかしたいと思っているんだけどさ……センスやら才能やらがどうこうはもういったん置いといて、多分私がクリスタの機能を使いこなせてないせいもあると思うんだよ。あなたはクリスタの使い方って書籍やサイトで勉強した? 買った本とかある? 塗りの参考にしている絵描きさんはいたりする?」

みたいに聞けば、相手も答えやすいのではないか。(相手との関係性によっては不躾だなあと思われるかもしれないので、ある程度気心の知れた相手の場合に限るけど)

ネット検索するにも「絵が下手 才能ない」とか検索するより「塗り方 今風」「塗り クリスタ 参考書籍」などと検索したほうがより具体的な、自分の悩みにジャストフィットする答えが得られるのと同じで。これなら確実に前には進める。ほんの0.1歩だとしても。

「あなた自身はどうでしたか?」と個人の経験を聞いてみる

また、世の一般的な絵描きは訓練を受けたカウンセラーではないので、「いいねがつかなくてつらいです、どうしたらいいでしょう……」みたいな感じに聞かれても答えに窮してしまう。

しかし、たとえば「こういう悩みを経験したことってある? そのとき"あなたは"どういうふうに気持ちを整理した? そしてどんな行動をした?」と聞かれれば、「これが正解かは分からないけど、私の場合はこう考えて、こんな講座を受けてみたよ」という感じで話しやすい。

自分の経験したことならば、オリジナルのことが話せる。またそれが意外と本質だったりするのではないか。

質問するほうも、相手にシンパシーを感じた上で「この人の経験したことならば、耳が痛いことでも参考にしたい、少しでも栄養にしたい」と価値割り増しで聞いているので真剣に受け止められる。そうすると話すほうもより親身に話したくなるし、話すことで改めて自分の中で整理できることもあるだろう。

そこできれいにすべてが解決しなかったとしても経験の共有はお互いにとってまるっきり無駄にはならなくて、これが相談というものの意義なのかもしれない。

どうでもいい相手に相談してもお互い無駄になる

私自身もこんなブログを書いているからか、たまに、「絵が上手くなるにはどうすればいいんですかね……もう疲れました」とか「いいねがつかなくて苦しいです、どうしたらいいですか」みたいなお悩みをいただくことがある。

そういうつらさは自分自身もずっと抱えてきたので、つらい気持ちが分かる。だから自分なりに考えてていねいに答えてきたつもりなのだけど、「そんなこともうとっくにやってます」「それができれば苦労してないです」みたいに、いかにもいらつきと失望をあらわにし、シャットダウンするような返信をされることがたまにあった。

「ああ、自分もこうやって無我夢中で誰かにすがり、意に沿う答えをもらえないと勝手に失望して撥ねつけてきたんだなあ……」と思い知ることができてよかったのだけど、もう悩みや相談に対して個別で返信するのはやめている。

何か相談や質問をするときって、誰に相談するかがいちばん重要かもしれない。と思い至ったからだ。

どうでもいい人に相談したところで、どんな回答が返ってきてもじっくり読まずに反論したくなったり役に立たないと感じて「あーあーあーもういい! どうもありがとうございました!(キレ気味)」と切り捨ててしまう。

そんなの「相談」ではないし、お互いに時間の無駄になる。

私のような「ネットで見つけたブログの見ず知らずのどうでもいい他人」ではなく、もっと信頼できる、尊重できる相手に相談したほうがお互いのためになる気がする。

相談相手を得ることがいちばん難しいかも

「信頼して絵のことを相談できる相手なんて、そんな人いないよ!」と思うだろうけど、10代20代の頃の自分にもいなかった。まわりはみんな冷たいし相談にも乗ってくれないし役に立たないと思っていた。でもそれは自分のせいだった。

30代に入ってやっと謙虚に絵に向き合い始め、二次創作を楽しむようになって、少しずつまわりと信頼関係を結べるようになった。信頼できる絵描き仲間ができてきた。尊重できる相手だからこそ、お互いに相談し合うこともでき、得るものも学ぶものも多くなった。

ニワトリが先かタマゴが先かみたいになっちゃうけど、「誰かこの悩みに答えてよ!!!!!(半ギレで一方的に全体重かけてすがりながら)」とやっているうちは、「信頼できる相談相手」などいるわけがないのだ……。

回答がコンテンツになるかどうかを考えるといいかも

あと、お絵描き系YouTuberさんなどに質問する場合、「この問答が視聴者の役に立つコンテンツになるか(平たく言うと動画や記事のネタになるか)」というのを想定すると、質問や相談を取り上げてもらいやすいかもしれない。と思う。

質問や相談に答えてもらうことで、ほかの視聴者にとっても有用な情報を共有できることになるし、先方にとっても需要の高い動画や記事のネタになるならば助かることもあるだろう。

学生時代のゼミで「あなたがたが質問して講師が答えることで、ここにいる学生全体の理解を深める助けになるかどうかを一瞬だけ考えなさい」と言われたことを思い出す。

逆に、このへんを冷静に思い巡らせられないとき(=そんなの知るかよ私を助けろよ! わーわーわー! みたいになってるとき)は、質問したいこともまとまっていないことが多いな、というのも最近気づいてきた。

あとは、「過去に似たような問答が既に存在する場合、もうそれがその人の答えである」と思っている。何度も同じような相談をされても、相手はそれ以上答えようがない。「からの〜?」と無限に催促されているようで疲れてしまう。これもお互いに時間と気力の無駄になると思う。

最終的には自分で少しずつ解決していくしかない

自分は、ネットの記事などを読むことで助けになるヒントにもたくさん出会ってきた。

けど10代や20代の自分が同じ記事を読んでもピンと来なかっただろう。時間をかけて自分の悩みをハッキリさせ、認識していくにつれ、辿り着けたヒントだとも言える。

また、それはただのヒントであり、そのヒントをもとに自分で考えを整理して具体的な言葉にして、腑に落とす作業は自分にしかできない。

「言語力というのは発信するためというより自分が深く考えるためにこそ必要なのだ」みたいな話をどこかで読んだ。

自分の悩みは自分しか整理してあげられない。当たり前のことなのに、自分はこれに気づくのがけっこう遅かった。

絵のことで悩んでばかりだった自分が今思うことは、

  • 「誰でもいいからすがりたい」みたいな状態のときは、誰に相談しようが答えは出ない
  • 頭めちゃくちゃのままで相談しても答えは出ない
  • しんどくてもまずは自分一人で考えを整理するしかない
  • 誰かからポイッともらって全てを一度に解決してくれるような魔法の言葉はない

こんな感じです。

タイトルとURLをコピーしました