絵描き(私)の承認欲求について考えたら、他にも足りてない欲求があった

「イラストのいいねを気にしすぎちゃう。承認欲求こじらせてつらい…」

と苦しんでいる絵描きの人向け、【承認欲求についてもう一度考えてみたら、私にはそれ以前にもっと別の欲求が足りてなかった。ということに気づいて少しずつ楽になってきました】という記事。

「はー承認欲求こじらせてつらい……」みたいな感じで最近ではごく普通に使われる【承認欲求】という言葉。

私も御多分に洩れず、自分のことを「承認欲求に苦しんでいる絵描きだ」と思っていた。

けど改めて調べてみると、「ん? ちょっと待てよ? 私は【承認欲求】を正しくとらえていなかったかもしれない。【承認欲求】以前に足りていないものがあるのでは?」という発見をしたのでそれについて書きます。

まずは【承認欲求】を正しく知る(マズローの【欲求段階説】)

まず、【承認欲求】というのは、マズローという心理学者の【欲求段階説】の中の言葉。

広く知られている有名な説なのでサラッと書きますと、

人間の欲求は段階に分かれている。

  1. 生理的な欲求(食事や睡眠など最低限の欲求)
  2. 安全の欲求(健康で安定した生活を送りたい)
  3. 社会的欲求・愛の欲求(社会的役割が欲しい、所属したい、愛されたい)
  4. 承認欲求(自分の価値を認められたい)
  5. 自己実現の欲求(自分に適したことをしたい、なり得るものにならねばならないという欲求)

というもの。

まずは食事ができていて、睡眠が十分とれていて、健康で安全な生活ができていて、社会で自分の役割を果たしていて、家族なり友人なりに愛されていて、その上で起こってくるのが【承認欲求】ということになる。

ん? ちょっと待てよ? となりませんでしたか。私はなった。

食事や睡眠、健康で安全な生活……のあたりはまあなんとか大丈夫だとして、社会で自分の役割を果たしているっていうほど仕事もがんばれてないし、仲間もいないし、居場所もないんだけど……?

もしかして私、【③社会的欲求・愛の欲求】も不十分なのでは?

【④承認欲求】以前の問題なのでは?

③と④をごっちゃにしていたのでは? と思ったのです。

Wikipediaなどで調べたものを図にしてみました

なんなら【②安全の欲求】のあたりも、このご時世ではあやうい。

そりゃあいろいろ足りないわ。そりゃあつらいわ。そりゃあ混乱するわ。

自分の居場所を作って【社会的欲求・愛の欲求】を満たす

単に「自分の得意な絵で何かの役に立ちたい、そして自分の価値を認められたい」というのは健全な【承認欲求】だろう。

けどここに満たされていない前段階の【社会的欲求・愛の欲求】が混ざってくると、

「絵が上手いねって言われてチヤホヤされたい・必要とされたい・居場所がほしい・報われたい・生きてていいよって言ってほしい」

みたいに、雲行きがあやしくなってくる。

そこで、「ちょっと待って、このしんどいのは純粋な承認欲求じゃなくて、それ以前の問題だったのでは……?」と思い至ったのだ。

私がいちばん承認欲求こじらせてたのは、仕事がうまくいかず友人もおらず、社会的に何らかの役に立てているかというとまったく自信がない頃だった。

なのでまず社会人としての自分を省みた。社会的な役割をきちんと果たせるよう仕事や家事に向き合って、【社会的欲求】を満たせる環境を整えようとしてみた。

少し余裕が出てきた頃に「Twitterの別アカウントで自分の安心できる居場所を作る」というのも試みた。

二次創作の鍵アカウントを作って、好きな人だけフォローして、描きたいものを描いた。

群れるのが苦手な私だけど、好きなものを通じてつながる安心感・クラスタへの所属感はいいものだ。今やフォロワーさんたちとは狭く長く深いお付き合いになっており、完全に「安心できる居場所」となっている。

ジャンルの絵を描けば誰かが「そういう表現好き」と言ってくれるから「喜んでくれる人がいるんだ!」と思えるし、推しのこと呟けば誰かがそっといいねしてくれるから「分かってもらえてる。一人じゃないんだ」と思える。

このアカウントにいるといいねの数とか関係なくて、たった一つのいいねでも「ああうれしい……」「はぁ〜安心する……」と心が満たされるんだよな……。

居場所になるまで時間はかかった(1年くらいかな?)けど、わけのわからない孤独感にさいなまれることもなくなった。

たぶん【社会的欲求】の部分を満たしてあげることで、【承認欲求】もほどよい健全なものになったのではないかと感じている。

【承認欲求】以前の【社会的欲求】が満たされているかチェックしてみると、絵とは関係ないところにしんどさの原因があるかもしれない。

承認欲求にも二つあるそうです

また、承認欲求のレベルは二つに分かれているというのも、よく見聞きする話だと思う。

低いレベルの承認欲求

  • 他人から尊敬されたい
  • 地位、名誉、利権、注目がほしい

高いレベルの承認欲求

  • 自分で自分を尊重し、信頼したい
  • 技術や能力を習得したい
  • 自立したい

当然ながら低いレベルの承認欲求にこだわることは危険で、しんどい。みんなが陥るやつ。

だったら技術や能力を習得することで自分への信頼感を高めるほうが健全で、実利もある。

自分の場合この解決策は「イラレとフォトショを習得する」だった。

同人活動のはずみでAdobe IllustratorとPhotoshopを独学で習得したのだけど、結果としてこれは自分への信頼感を高めることになったと思う。実際、イラレが使えるというだけでデザインの仕事に就くこともできた。

「自分のスキルを使って仕事として絵を描くことで、社会的役割を果たした」という経験は、私の【③社会的欲求】と【④承認欲求】をかなり満たしてくれたんだと思う。

絵に関係する技術を身につけてみるの、いいかもしれません。

スキルを身につけると【社会的欲求】と【承認欲求】を同時に満たせることもあるかもしれない。

【自己実現の欲求】を満たしていく

そして、【承認欲求】のさらに上に【自己実現の欲求】というのがある。

「自分の持つ能力を生かし、自分に適したことをやっていきたい」という欲求。

これは当然みんなそれぞれ違っていて、絵描きなら「神絵師になる」というのが【自己実現】にあたる人もいれば「アニメーターになる」「プロの漫画家になる」というのが【自己実現】になる人もいるだろう。

自分の場合は「見た人にふふっと笑ってもらえる似顔絵を描く」ということ。

自分の【自己実現】ってなんだろう、と考えてみて、それを満たしていく。

そもそもマズローの【欲求段階説】というのは「人って最終的にはここを目指して成長するよね」ということを言いたい説なんだと思う。

まだ売れていない芸人さんが、満足にご飯も食べられない生活でも家賃が払えなくてアパートを追い出されてもきつくダメ出しされてもチケットが売れなくてもくじけなかった、みたいなサクセスストーリーをよく聞く。

これは①〜④が不十分でも【⑤自己実現の欲求】を満たしていたからがんばれちゃったのかもしれない。(だいぶしんどいとは思うけど)

【承認欲求】のその先の【自己実現の欲求】について考えてみる。

自分の【承認欲求】を見つめ直す(【賞罰教育】の否定)

もう一つ、もっと直接的に【承認欲求】を見つめ直すための考え方として、アドラー心理学を学んでみた。

そもそもなぜ私たちは、褒められたいとか認められたいとか思ってしまうのか。

アドラーは【賞罰教育】のせいなんじゃないかと言っている。

私たちは小さい頃から、良いことをすると褒められて、悪いことをすると叱られて育ってきた。「当たり前じゃん」という感じだけど、これって、

良いことをして褒められたら、また褒められたくて良いことをする。

褒められるために良いことをする、褒めてもらえないならしない。

ということ。

つまり、承認欲求のためだけに生きる人間になってしまう。

絵描きでいうと、「いいねがつかないなら絵なんか描く意味がない」「本当はこういう絵を描きたいけど、ウケが悪いからやめとこう」みたいな。

承認欲求こじらせるって「小さい頃にあまり褒められたことがないから愛情に飢えてるんだな……」みたいなイメージがあるけど、実は小さい頃からさんざん褒められて育ってきた人も承認欲求に振り回されやすい傾向があるそうだ。(私もそう)

それでさんざんうまいことやっていい思いをしてきたから、褒められ中毒になっちゃってたのかもしれない。

解決策は「気づくこと」

自分の場合この解決策は「ただ、気づくこと」だった。

"そっか、賞罰教育を受けてきたから私は、褒められたい・認められたいと思ってしまうんだな"

小さい頃からずっといい子で、褒められてきたもんな。

こうすると褒めてもらえる、こうすると認めてもらえる、って全部分かってやってきて、今さらそれを外れるのがこわいんだな。

なーんだ、褒められなくても認められなくても死にゃしないのにね。

自分の場合は気づいてから10年くらいになるけど、だいぶ楽になってきた。でもたまに人生の調子が悪いときにぶり返す。

そのたびに冷静に「ああ、人生の調子が悪いから今ぶり返してるな」と受け止めることでやりすごす。

承認欲求は消すことはできない、たぶん一生つきまとうものだから、飼い慣らす。

「褒められるために描く」をやめてみた

「私は賞罰教育によって、褒められるために何かする人間に育ってきたんだな」と気づいたので、とりあえず"褒められるために絵を描く"のをやめてみた。

普段絵を描いている二次創作アカウントで、思いついたネタをマンガにしてどんどんアップした。

伝わるのか? ウケるのか? 下手だと思われちゃうんじゃないか? がっかりされるんじゃないか?

という不安もないことはなかったけど、人目を気にしてがんばっていた部分は、やめてみた。

確かに数字だけで見れば反応は薄かったけど、それを敢えて受け止めて「うんうん、そうだよね」と言ってみた。

それでもやっぱり見てくれる人はいて、「ありのままの私が描いたものを、良いって言ってくれる人がいるんだ!」と心が溶けていくような温かさを感じた。

心に風穴が開いて叫び出したいくらいの開放感だった。

一回これを味わうとだんだんこっちの方が気持ち良くなってきて、もうウケる絵を狙うのいやになっちゃった。この感じすごくいいです。

褒められるため(いい反応をもらうため)にしていることをためしにやめてみる。

承認欲求はなくならない。飼い慣らす。

つらいことには心に起因する理由があって、だいたいのことはすでに誰かが説明してくれている。なので、必ず解決策がある。

誰しも人として生まれた以上、マズローの言うように段階的に欲求を抱くんだと思う。

承認欲求というのはあって当たり前で、たぶんなくならない。

だったら特性を知って、飼い慣らす。ときにはやり過ごす。

あと、前段階の欲求と混じってないか確認する。←これがけっこう重要だった

自分の【承認欲求】を、ピュアな純成分だけにしてみると、意外と悪いものでもない。

だって承認欲求の先には自分の本当に目指したいものがあったりする(自己実現の欲求)わけだから、何か先に続くための苦悩なんだろうから、避けなくていい。

だったらせいぜい順番に一つづつ苦悩していけばいいや。

と、今はそんなふうに思っている。

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