模写しかできない…描きたいものを描けるようになるにはどうすれば?

模写はできるんだけど、模写しかできないから自分の描きたいものが描けない

模写の練習をしていれば、いつかは何も見ずに描けるようになるのかな?

という人向け【模写練習は後から必要に応じてやればいいのであって、まずは自分の頭の中のイメージを自分なりに形にしてみることから始まる気がしています。】という記事。

とある動画クリエイターの方が「自分も絵を描けるようになりたい。模写は得意なんだけど自分のイメージ通りにゼロから描くことはできない。このまま模写練習していればいつか好きなものを思い通りに描けるようになるかな?」と配信の雑談で言っていた。

私は「うーん、模写だけを続けても、思い通りの絵を描けるようにはならないのでは?」と感じた。デッサンをしているだけ、美術解剖学を学ぶだけ、というのも同じく。練習方法の枝葉末節であって、絵を描くということの根幹ではないように思ったのだ。

そのとき配信を視聴していたリスナーたちも、私と同じ意見の方が多かったようだった。

配信者「模写だけじゃダメなの? じゃあ上手い人ってどうやって描けるようになったの?」

絵うまなリスナーたち「うーん、なんとなく?」「描いてたらいつのまにか描けるようになってきた」

配信者「いつのまにかとか、そんなわけなくね? どうやって練習したのか聞いてるんだけど」

絵うまなリスナーたち「どうやってと言われても……」「夢中で描いているうちに描けるようになったとしか言えないんだよな……」

配信者「あっそ、描ける人はもともと才能とかセンスがあったってことね? じゃあ自分には無理だわ、やーめた」

こんな行き違いが起こっていた。

「絵を描く人」と「絵を描けない(と自分では思い込んでいる)人」のミゾっていつもここらへんにある気がする。

なので、この記事ではできる限り言葉で説明してみた。

何かを作るときってどんな感じかというと……

これはあくまでも自分の場合(二次創作でマンガを描いている)だけど、

表現したいものがある!(別に高尚なものではなくて「こういうシーンでこんなポーズでこんな表情をしている推しがこのセリフを言っているところを描きたい!」みたいなの)

激情に突き動かされ描いてみるも、全然ヘタクソだぁ……(そりゃそうだ)

それでも頭の中のビジョンを形にしたいから、描けない部分をなんとかして補おうとする(スーツのシワが分からないからスーツのイラスト本を買って参考にする、手が描けないから自分の手を自撮りして参考に描く、などなど)

だんだん思い通りに出力できるようになってきた、かも……?(見てくれた人にも意図が伝わるようになってくる)

これを繰り返して、じりじりと少しずつ描けるようになったりならなかったりしている。

自分はマンガを描く二次創作者なので、「なんとなくばくぜんといい感じのはやりの感じの、いいねがいっぱいつきそうなイラスト」ではなく「こういう話の流れで、こういうポーズで、こういう表情で、こういう台詞を言っているところ」をハッキリと意図して描く必要がある。

言わば「推しに、こういう流れで、こういうポーズで、こういう表情で、こういう台詞を言わせたい」という明確な目的と動機がある。

となると、描けなかろうが拙かろうがまずはなんとか自分で自分の頭の中のこれを描くしかない。なぜなら、私の頭の中にしかそれはないから。既存のものを模写することでは表現できないから。

「だからー、その頭の中にあるものが描けないから困ってんの! その描き方を聞いてんの!!」と言いたくなるかもしれない。

けど、描けなかろうが拙かろうがまずはなんとか自分で自分の頭の中のこれを描くしかない。(二回目)

当然、最初はうまく描けない。不格好だし下手くそすぎるし自分の意図したイメージとは違ってしまうし、伝えたいことも伝わらない。もどかしく、無様すぎて、恥ずかしくなったり嫌になったり落ち込んだりする。

しかしそこからなるべく自分のイメージに近づけるように、描けない部分をなんとかしていくしかない。なぜなら頭の中のこれをどうしても形にしたいから。

ここの苦しみが苦しみでもあり楽しさでもあり、絵を描くということの醍醐味なのだと感じている。

たぶんどれだけ上手くなっても、この葛藤はなくならないのだろう。きっと上手い人は上手い人なりに、自分の理想に近づくべく格闘している。この、理想と現実の乖離を少しずつ少しずつでも埋めていくのが「絵を描く」ということなのだと自分は考えている。

つまり、

  • 「どうしてもどうしても描きたい!」と思えるものがあること
  • 「描けなすぎて無様」で心を折らないこと
  • そのあと客観的に見て足りないところを補い改善していけること

これを繰り返すことで、絵を描けるようになっていくのではないか。

特に、多少の困難があろうともどうしても描きたいものがあるかどうかが最大のキモな気がする。これは絵を描いている人には分かってもらえることなのではないだろうか。

どうしても描きたいものがあるかどうか

先の配信者さんはリスナーから「何を描きたいの?」と聞かれて「いや、描きたいものは別にない。でもなんかいい感じの絵が描ければTwitterにも載せられるしサムネも自分で描けるし得じゃん。思い通りに絵が描けるようになったら描くのにな、だからまずは絵が描けるようになりたいな、って話で、そこの方法を聞いているんだよ」というようなことを答えていた。

つまり、「別に描きたいものはないけど、思い通りに絵を描けるようになりたい」ということであって、文章にしてみると矛盾に気づく。

そもそも「"思い"通りに描きたい」の「思い」がないのでは、思い通りに描くことはできないのではないか?

絵を描いている人はきっと分かってくれると思うのだけど、「どうしても描きたいものがあって、なんとかして描こうと夢中になっているうちに、いつのまにか、気づいたら、少しずつ描けるようになってきたかも……」という感じが近いのではないだろうか。

「別に描きたいものはないけど、なんかいい感じの絵を描いていいねがいっぱい欲しい。そういうなんかいい感じの絵ってどうやったら描けるようになるの?」というのはつい思いがちなのかもしれないけど、いちばん迷走して挫折して疲弊するパターンな気がする。

自分の下手さを笑い飛ばせるかどうか

「どうしても描きたいもの」があって描いたとして思い通りにならないことのほうが多く、たいていは何度も立ち往生が起こる。

だけど「どうしてもこれを描きたいんだ!」というものがある場合、へこたれてもあきらめきれない。クソックソッと言いながらでもしゃにむに練習したり勉強したり工夫したりと、夢中で描き続けることになる。

当然、楽しいばかりではない。「もうやだ! どうせ私は才能ないんだ」とか言いたくもなってしまうし、上手い人を見てはグヌヌしギリリしハララしたりもする。

このへんで絵を描くことの悩みが無限にいろいろ生まれてくる。

たいした努力もしないくせにプライドが高い自分はかなり苦しんだのだけど、苦しみの果てに最近やっとたどり着いたのは「いったん早めに笑い飛ばすこと」だった。

ドツボにハマる前になるべく早く「描こうと思ってたんと違うwwwいやー全然描けないわwww(ヤケとかではない)」「私のレベルは今はこのくらいなんだな(卑下ではない)」と、笑い飛ばすなり謙虚になるなりして、気持ちを切り替えるようにしてみた。

「あー、全然描けてないわ笑」といったん笑ってみると肩の力が抜け、おかしなプライドが消えて「じゃあどこがどう描けてないのか? どこが苦手なんだ? どこを直せばいいかな?」と思考が次の行動の模索になるので、良かったように思う。

「もっと上手く描くため」「褒められるため」だと、うまくいかないことですぐにつらくなって心が燃料不足になり、ポキっと行ってしまう。

でも「自分の描きたいことをなるべく正確に表現するため」ならば、自分がやりたくてたまらないことに取り組んでいるだけなので無限のガソリンがある。ガソリンがいったん切れたらいったんやめてもいいわけだし。

というかそもそも絵を描く目的はそこにあったはずなのだけど、いつのまにかすり替わってしまっていた。

描けていないところ、改善したいところを直していく

「せめてここだけは直してどうにかしよう」という自分の無様ポイントを直視できたらそれで8割は勝ちだと思っている。

昔の自分は無様ポイントを直視せずペンを置いて目を覆って「ヘタデツライ……」「ワタシナンカカクイミナイ……」「エガウマイヒトハイイナ……」と繰り返すだけの生き物だったので、当然だけど描けるようにはならなかった。目を覆ってしまうと見えないし、ペンを置いてしまうと描けないもんね……。

今はかろうじてペンは握り続けたまま薄目でなら直視できるようになり、少しずつ直していくこともできるようになった。

ただし「最低限から」「ピンポイントで」。私ごときが最初からすべて完璧に直すのは絶対に無理だし、ゴールを見失ってしまうからだ。

どうやって直すかというとこれは人によるし場合にもよるけれど、自分がやってきたことを思い出してみると、

  • 「顔が思ったのと違う」→いまいちど原作のいろんな角度を模写してみる
  • 「人体が骨折してる」→骨格と筋肉を少しだけ勉強してみる(全部だとたいへんなので肩らへんとか足首から足とか、描く部分だけピンポイントで)
  • 「ポーズがとれない」→ポーズ集や3Dモデルや自撮りして描いてみる
  • 「(スポーツなどだと)動きがない、フォームが分からん」→実写の動画を一時停止して模写してみる

ここで初めて「原作や上手い人の絵を模写してみる」とか「動画や写真を模写してみる」という模写練習は意味を持ってくる気がする。

だから「模写だけしてれば思い通りの絵を描けるようになる」わけではないけれど、「模写なんて意味ないからやっても無駄」なわけでもない。

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「このイメージを形にしたい」がなければ始まらない

思い通りに描けるようになるには何をすればいいの? と方法論を探す前に、明確な描きたいものが頭の中になければ始まらないのではないか。という結論に至った。

「これが描きたい!」というモチベーションがあれば、自動操縦かのごとく心と体が勝手に練習方法を模索して、勝手に練習時間を工面して、勝手に描けるようになる、というのがいちばん答えに近いと思っている。

そのあたり、世の絵うまな皆さんは我を失って全自動で本能のままに没頭してやっているので、「なんとなく」「いつのまにか」としか答えられず、「ハン! ヘタクソには練習方法は教えられないってか!」とか「あーはいはい、センスや才能があるからなんとなくで上手くなれるんでしょうねえ!!! いいですねえ上手い人は!!」みたいな感じで亀裂になってしまうのではないかと。

とは言え、「描きたいものは別にない、でも絵を練習してみたいんだよな〜」という気持ちも自分にはわかる。二次創作の場合だと「原作への熱が落ち着いていて、今のところ切実に何かを描きたい状態じゃないんだよな〜、でもなんか絵は描きたいんだよな〜」ということもままあるし。

そういうときに自分の場合は、

  • 骨格と筋肉を把握しているとスムーズに形を取りやすいので、美術解剖学の書籍を模写してみる
  • 動いているものをパッととらえて描けると便利なので、日頃から遊びでクロッキーをしてみる
  • プロの雰囲気をつかむためになぞって練習できるドリルをやってみる

みたいな、ちまたでよく言われるありふれた練習方法をすることもある。

筋トレをすればダンスが上手くなるわけではないが、ダンスをするための基礎の一つにはなるだろう。このあときっとどこかで何かの形で生きてくるだろう。みたいな、筋肉の貯蓄をするような気の長い感じで。これも、そもそも自分が絵を描くこと自体を好きだから続くことだと思う。

でも「どうしてもこのイメージを形にしたい!!!」にまさるモチベーションはないよな……。と今は思う。なので「どうしてもこれを!」というのがないときは、むやみに自分にむちうったりはしないことにしている。無駄に心身が疲労するのはもうつらいから。人生が終わるまでには、きっとまた何度も「どうしてもこれを描きたい!」の波が来る。そのときはまた夢中で描いてしまうのだろうし。

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