神絵師にリプしたくても無視されるのがこわくて緊張してしまったので…

考え方を変えてみた話。

神絵師にリプをしたいけどおこがましい気もするし、嫌われたり迷惑に思われたくない。どんなふうにリプすればいいのか緊張しちゃう……

憧れの絵師にリプしたいけど、無視されるのがこわい……

という人向け【SNSの使い方と考え方を変えてみたら、気持ちを気軽に伝えられるようになって楽しかった】という記事。

※絵が上手いとされていてフォロワーの多いような人を、タイトルでは便宜上「神絵師」と表現しています。

自分はマシュマロの最後に「返信不要」の旨を付け加えることがある。これは「私が一方的に感想を伝えたかっただけであり、返信で手間を取らせたくない」という理由から。

先日Twitterで「マシュマロ送っても無視されるのが怖いからいつも『返信不要』って書いてる。本当は返事が欲しくてたまらない。でも『返信不要』って書いておけば、返事が来なくても傷つかなくてすむから……」と言っている人を見かけて、「そういう考え方をする人もいるのか!」とちょっと驚いた。

そういえば自分にも、「長文で丁寧に感想を送っても、無視されてしまったらみじめ、怖い」って感じていた頃もあったような気がする。けどそういう考え方はいつのまにか消えていて、これってどういう心境の変化によるものだったんだろう? とふと疑問に思ったので整理してみた。

「無視されるのが怖い」と感じていた理由

だいぶ前のことになってしまうけど、思い出してみた。

まだネットに慣れていなかったから

自分はインターネットの初期の頃から個人サイトをやっていて、全く新しい文化でもあったし、とまどうことも多かった。まだまだ『電子メールの書き方・送り方』みたいな書籍が出始めた頃で、みんな手探りだったように思う。

リアルの世界(電話とか対面)では当然、ビジネスだろうが交友関係だろうが、こちらから何かを伝えたときに無視されることは無い。けどネットのやり取り(メールなど)というのは相手が返信をしなければ意思の疎通ができない。顔も見えないし声も聞こえないわけだから、相手がどう感じたかも分からない。

無視されたようで不安になるし、「何か気を悪くさせるようなことを書いてしまったのかな」と深読みしてしまったりもする。人間は社会性の生き物であるので「無視される=生存できなくなる」であり、本能的に不安に感じてしまうのも仕方ない。

要するに「表情や声の分からないネットのやり取りに慣れていなかった」という要因もあったのだと思う。

相手の機嫌をうかがってしまうタイプだったから

あと、私自身が「相手の機嫌をうかがってしまうタイプ」だったから、というのもあるかもしれない。不機嫌になっている人を見ると「私のせいかな?」と思ってしまうというか。

下心があったから

あと、自分の場合はこれが大きかったような気がするのだけど、「相手によく思われたい」という気持ちが常にあった。

嫌われたくない。あわよくば、よく思われたい。仲良くなりたい、色良い返事がほしい。

自分が「素敵な絵ですね!」と送ったら、相手にも「素敵な感想をありがとうございます! あなたの絵も好きです! お友達になりたいです!」と言われたい、みたいな。

今の時代、SNSで言うなら「頻繁にリプを送って、私を覚えてほしい」「あわよくばフォロバしてもらえないかな」みたいな感じだと思う。

過剰な期待やムリな高望みをして、現実との落差にがっかりして、そのがっかりが苦痛になって、怖くなる。

こう書いてみると自分がバカみたいで身の程知らずで恥ずかしくて仕方ないのだけど、こういう時期もあったということです。リアルだって他人から相手にされなくてなかなか友達ができないのに、なぜネットでならすんなり友達ができると思ったのか……?

ネット歴が長くなるにつれ、考え方が変わっていった

ではどんなふうに考え方が変わってきたのか、というのも思い出してみた。

自分が「いち観客」になることに慣れた

自分はストリーミングやライブ配信をよく観るのだけど、そこで、「人気のストリーマーやライバーがいて、チャットでいち観客としてワイワイする」というのを長年楽しんできている。

チャットにコメントをするときって放送主に目を止めてもらおうなんて思わないし、名前を覚えてもらおうとも思わないし、「素敵なコメントありがとう、嬉しいです」なんて反応も期待していない。

もちろん「どうせ見られてないから」と好き勝手言うわけではないけど、「いち観客」としてワイワイするというスタンスを知り、慣れて、それを楽しんでいる。

今はいわゆる神絵師やタレントや有名人もTwitterをやっていてこちらの声を簡単に届けられる時代ではあるけど、「いち観客」「いちファン」として線引きをして、いい距離感を考えられるようになった。

毎日何百もリプをもらう人が一人一人に返信なんてできなくて当たり前だし、もし本人の目に入った際には「ここに楽しんでいる人間がいますよー!」という気持ちが少しでも届けばそれで十分、という感覚。

「自分は何者でもない」ということがやっと分かった

自分は「この人のここがすごい、興味深い、もっと知りたい、何か伝えたい」と感じて、アカウントをフォローしたりリプをしたりする。

そうなると、相手にとってすごくもなければ興味深くもない自分がフォロー返しをしてもらえなかったり、リプを返してもらえなかったりするのも、そりゃあ当たり前だよなと。

これは自虐ではなく、「自分は何者でもないんだ」ということをやっときちんと納得することができた。30過ぎて。

これが心の底から納得できるまでは「いち観客」になりきれなくて、どこかで「私もあの人と同じ場所に立っているはずだ(対等に相手にしてもらえるはずだ)」と期待してはがっかりすることの繰り返しだった。がっかりするのがつらいので「どうせ諦めてるけどね」「どうせ返事は来ないけどね」と自分で自分に言い聞かせたりして、今思い出すと我ながらとにかく生きづらそう、しんどそう。

インターネットで趣味で上手くもない絵を描いているだけで、そりゃあ何者でもない。でも自分は自意識過剰かつムダにプライドが高い人間で、これを心の底から納得するのにちょっと時間がかかってしまった。年齢を重ねることで多少は謙虚になることができ、分かってきた部分もある気がする。

考え方を変えたというよりは、ネットに長くいることで自然に変わったと言えるのかもしれない。

相手をコントロールしようと思わなくなった

「私のリプで喜んでほしい」とか「あわよくば返事が欲しい」というのは、他人をコントロールしようとしている考え方であって、それは自分の思い通りになるとは限らない。

わざと嫌な言い方をして相手の気をひこうとしたり、「あなたのファンなのでここを直してください」みたいな交換条件的な言い方をするのも、他人をコントロールしようとしているのかな? と思う。

これでは相手に負担に感じさせるだけでなく自分もしんどいし、はたからみると恥ずかしいなと感じたので、「今私は相手をコントロールしようとしていないか?」というのをかなり意識するようになった。

自分の気持ちを伝えるために、リプをする(シンプル)

「相手にこう受け取ってほしい」「相手にこうしてほしい」と期待すると、「思い通りにならなかったらいやだな」と緊張したり不安が増したりする。

それって常に「どうか自分の思い通りになりますように」と祈りながら生きているみたいなもので、そんなの、毎秒失望しなければならない。そりゃあ自分も生きづらかったわけだ。

すべての苦悩の原因は「他人に期待しすぎ」なのではないか、と思っている。

今の自分は、「自分の気持ちを伝えたいと思ったら、そのためにリプをする」というシンプルなところに落ち着いた。

(自分の気持ちを伝えると言っても、ポジティブなものだけにしている。乱暴な言葉を使ったりはしないし、どうせ反応してもらえないからと言いたいことを吐き捨てるようなことはしない。そこは自分が人として最低限守りたいラインだから。)

「返信もらえるかな?」「喜んでもらえるかな?」「参考にしてくれるかな?」「改めてくれるかな?」などなど、不安や期待が浮かんできたら、それは自分には分からないことなので考えない。他人はコントロールできないので考えない。

これを意識し始めてみたら、今まで自分が無意識に他人に期待したり、コントロールしようとしたりしていたことに気づいてしまった。

「他人に期待しすぎて、勝手にがっかりする」というのをやめてみたら、構えることなく素直にSNSで気持ちを伝えられるようになって居心地がよくなった。

SNSだけではなく、リアルでも少し生きやすくなった気がしています。

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