過去の恥を思い出して「あ〜っ!」と身悶えしたときの対処法を考えた

過去の恥を思い出して「あ〜っ!」と身悶えしたときの対処法(自分用)
過去の恥を思い出して「あ〜っ!」と身悶えしたときの対処法(自分用)

過去にやらかしたことを思い出して『あ〜っ!』となってつらい

昔の恥を忘れて気持ちを切り替える方法ってないのかな……

と悩んだ末に、自分なりに自分用に考えてみた対処法について。【①スポットライトを消すイメージ②ぼーっとしている時間の使い方を変える③他人にとっては懐かしくいい思い出かもしれない】という記事。

リアルの世界でもネットの世界でも、やらかしたり恥をかいたりしたことをいちいち思い出しては「あ〜っ!」と身悶えすることが多い。今起こっていることではないのにダメージをくらうというのがばからしくなってきて、もういいかげん疲れてしまって、このダメージを減らしたいと思うようになった。自分用に考えてみたことを、自分で読み返す用に書き残しておく。

  1. 「あ〜っ! 恥ずかしい!」となったときの緊急回避
  2. 「あ〜っ!」となる回数を減らすためにやってみたこと
  3. 自分が思っているほど人は見てないよ、っていうけど本当なのか?

について。

「あ〜っ! 恥ずかしい!」となったときの緊急回避

過去の恥ずかしいことを思い出して「あ〜っ!」と恥ずかしくなり身悶えしてしまうことって、ほとんど全ての人においてよくあることだと思う。ググってもそういうお悩み相談はたくさん出てくる。そしてたいてい解決していない。

ということは人として何かしら必要があってそのような脳の働きがあり、人とはそういうものなんだろう。

人は自分を守るために、

  • 自意識過剰になりがち
  • 今ここにはない危険や、思いなやむタネをわざわざ過去にさかのぼって探しがち

であって、これはもう変えられない。たぶん安全に生きるための生存本能なのだろうし。

ある程度しょうがないというか、飲み込み、あきらめるしかない。

ただ、「自意識過剰になって今ここにない過去をわざわざ掘り返して『あ〜っ! あのときの私恥ずかしい!(ジタバタ)』となるのは人のサガなんだな。人ってどうしようもないかわいい生き物ね」と考えることで、早めにダメージから立ち直れるようにはなってきた。

自意識過剰になって「ああ、みんなが自分を見ている! 恥ずかしい!」と緊張状態になるのを【スポットライト効果】というらしい。(自分にだけスポットライトが当たっているかのように、実際以上に人から見られている気がしてしまう心理状態)。

これではしんどいので、頭の中で、電気のスイッチを「パチン!」と切って自分が闇にまぎれるイメージをしてみることもある。「実際はこんな感じで、他人からは大して自分のことなんて見えていないんだー」と闇にまぎれた自分を味わうことで、ほっと肩の力が抜けたりする。

私はよく、友達と話して別れた後「私、へんじゃなかったかな? うまく話せてたかな?」と不安になり何も手につかなくなることがあったのだけど、そういうときにも自意識過剰解除法として使っていた。

まず、人ってそういうもの

  • 自意識過剰になるのはもうしょうがない
  • 今ここにないことを探していちいち考えたくなるのはもうしょうがない
  • 電気のスイッチを「パチン!」と切るイメージをしてみる

しかし、自分なりに感情の対処はできるようになってきたとは言え、それでもなるべく「あ〜っ!」とならないようにしたい。時間のロスだし少なからずダメージもくらうので「あ〜っ!」となる回数自体を減らしたいのだ。ということでさらに考えてみた。

ぼーっとしている時間の方向を変える

たぶんこれは誰でも同じなんじゃないかと思うのだけど、「あ〜っ!」は仕事中などよりトイレやお風呂など無意識&自動で動作しているときに起こりがち。

受動的な活動をしているときやぼーっとしているとき、頭が自由な、いわゆるマインドワンダリング状態ではある系統の脳の働きが活発になるのだそうだ。

さらに言うと、自分の場合は秋口の、涼しく過ごしやすくなってきた頃によりワンダリングが活発になる気がする。たぶん暑さなど不快な要素がないぶん、頭に余裕ができてしまうのかもしれない。

斬新なアイデアをシャワー中にひらめくのはなぜか、進む研究
ひらめきは精神状態と大きな関連がある。能動的に考えていないときに創造的なアイデアが浮かぶのはなぜなのか。そのとき脳では何が起きているのか。

脳が活発になるから普段は忘れているようなことをわざわざうっかり思い出して「あ〜っ! 恥ずかしい!(ジタバタ)」となる。

しかしまた、ひらめきや問題解決も起こりやすいのだそうだ。確かに、トイレやお風呂で考えがスルンと整理できてしまうことって自分も身に覚えがある。

だったら、このマインドワンダリング状態のときに思考が過去ではなくひらめきや問題解決の方向に向くよう変えれば、多少はいいのでは?

と考えたので、未解決のことや未決定なことを、白黒つけずになるべくたくさん残すようにしてみた。

たとえば私は絵や漫画を描くのが趣味なので、締切を作って定期的に仕上げるようにしてみたり。特に漫画を描くとなると「背景の資料、どこで調達しようかな……」「コマ割り的に話の流れが不自然かも?」「ここは一コマで収めたいんだけどもっといいセリフがないかな」「明日いっぱいで下書き終わらせたいけどいつ時間取ろうか」など、「思い巡らせること」のタネがたくさん発生する。

絵以外でも、ブログに書くことをいくつも出しておいて詳細を決めずに放置しておいたり。

もっとシンプルなどうでもいいこととしては、「新しく買い換えるボールペンどれにしようかな」みたいなことも決めずに置いておくことで「思い巡らせること」のタネになっている。ドクターグリップのシャーペンも使えるやつにしようか、引き続きジェットストリームにしようか、うーんうーん、芯の細さはどうしよう、0.5か0.7か……」みたいなことを決めずに置いておいたり。(自分は文房具が好きなので無限に楽しく悩める)

マインドワンダリング状態のとき、思考が取りとめなく浮かんでしまうこと自体は制御できない。だから、過去の恥とか後悔ではなくもっと別の「考えたいこと」「思い浮かんでも無害なこと」を頭にたくさん入れておく感じ。緩衝材を入れておく感覚に似ているかもしれない。

締切など期限があることだと、より優先的に頭に浮かんでくる気がする。できれば考えて楽しいことならもっといい。

趣味を持つことの良さの一つは「頭がヒマなときに、好きなものをいっぱい思い浮かべられること」なのではなかろうか。頭の中にお気に入りの緩衝材をほどよくつめておくことができる。

「悩むのは暇だからだよ! 忙しくすればいいんだよ!」というのはよく言われることだけど、ただ用事を作ってあくせくするだけではあまり効果がない気がするのだ。

「考えたいこと」「思い浮かんでも無害なこと」を頭の中に作っておく

  • やりかけのことを置いておく(なるべく楽しいこと)
  • 絵や漫画を、期限を決めて描く(締切があると優先的に浮かんできやすい)
  • どうでもいいことを敢えて決めずにおく
  • 楽しく無限に悩めることがあればそれを

※未確定のことがありすぎると散漫になってやるべきことが手につかなくなる人もいると思うので、それは個人の裁量による。

ぼーっとする時間を減らす

トイレやお風呂以外でも、ただ無為にぼーっと部屋でゲームしていて嫌なことを思い出して「あ〜っ!」となることもあったので、それを減らすために30分とかでも空き時間は勉強をしてみている。

参考書などを自分のペースで読んでいるとぼーっとなってきて思考に飲み込まれてしまうので、動画など、相手のペースについていかなければならない教材を使っている。

また、得意な分野だと頭に余裕ができてしまい、却ってワンダリングしてしまう。自分は簿記やFPの勉強をしているのだけど、数字が苦手な私にとっては頭がいっぱいいっぱいになれるのでかなりよいチョイスでした。

勉強をする

  • 相手のペースがある教材で(動画など)
  • 苦手な分野でいっぱいいっぱいになるのがよい感じ

「自意識過剰なだけで他人は気にしてないよ」って言うけど……

この手の悩みに対して「自意識過剰だよ! 誰もあなたのことなんて見てないよ!」「他人も暇じゃないんだから、あなたの過去の恥なんていちいち覚えてないよ!」という慰めかたってよくある。

それに対して「いやいや、他人は意外に見てるし覚えてるんだって!」と思ってしまって、全然気が楽にならないのよね……。

中学の同窓会に行ったときに、大して親しかったわけでもない知り合いに会った。そしたらその彼女が、私の黒歴史のうち一二を争う恥ずかしいこと(当時、あるバンドに憧れて同じモデルのギターを買ってギターに名前をつけ、同じモデルのゴツい靴を履いてキメキメで登校していたこと)を覚えていて話題にしたのだ。

私自身は必死で平静を装いつつも内心は「ひえ〜〜〜!! 今すぐそんな話やめてくれ〜! 親しくもなかったのにそんなこと見てたの!? しかも覚えているんだ!? 頼むからそんな記憶はあなたの頭から消してくれ!」だったのだけど、彼女は懐かしそうに「なんかいいなと思ってた。好きなことがあってそれをちゃんとやってる人って中学生当時そんなにいなかったから」と言った。

私にとってはおバカで無様でかっこわるくて黒歴史でしかないことが、知り合い程度の彼女からは「なんかいいな」と見えていたのか……。「なんかいいな」というより「愛すべきアホだなあ」くらいに思われていたんだろうな、という気もするけど。

10人のうち9人に「何あれ、恥ずかしい」と思われていたとしても、1人くらいは「なんかいいな」「愛すべきアホだなあ」くらいにポジティブに思ってくれるかもしれないんだなあ……。

それからというもの、自分の過去に対する恥ずかしさや後悔がちょっとだけ楽になった気がする。

「あなたがそんなに恥ずかしがってることでも、他人は大してそんなの気にしてないよ!」ではなく、正しくは「あなたがそんなに恥ずかしがってることでも、他人が見たら大して恥ずかしくないことかもしれないよ!」なのだ。

これはけっこう真理なんじゃないかと思うので2回書くけど、

「あなたがそんなに恥ずかしがってることでも、他人が見たら大して恥ずかしくないことかもしれない」

これからも恥をかき続けていくのは間違いないのだけど、それでもまあ、なんとか大丈夫そうだなっていう勇気が今はあります。

これから先、私がどんなに恥ずかしいことをやらかしたとしても、自分が勝手に恥ずかしがってるだけでほとんどの人にとってはどうでもよく、そもそも見えてもいなくて、1人くらいはポジティブにとらえてくれる人もいるだろう。

とまあ、今は心身が比較的安定しているのでそう思えているけれど、心身が弱っているタイミングで「あ〜っ!」となったとき自分が読み返す用にここに記しておきます。

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