「絵の練習頑張るぞ!」とTwitterで宣言すると挫折しやすいかも

今年は絵の練習頑張るー!こんな絵を描けるようになりたい!よっしゃ決意表明をTwitterでフォロワーに宣言しよう!サボってたら喝入れてもらおう!

という人向け【張り切ってそういう宣言をしたところ、何もしてないのに頑張ったつもりになっちゃって結局怠けてしまった自分の話】についての記事。

年末年始など区切りのいい時期になると、Twitterで「来年はもっと絵を描くぞ!」「来年は絵の練習頑張るー!」など新年の抱負を宣言したくなる。

目標を立てること自体は悪くないと思うけど、自分の場合、「宣言するとたいていできない」ということに今さら気づいた。

そのうち上半期が終わる頃「上半期終わるとかうそでしょ……全然描けなかった〜」になり、推しの誕生日にも「今年もあんまり描けなかった〜去年絵ですみません」となり、年末「来年は絵の練習頑張るぞ!」の無限ループ。(自分の経験です)

全然描けてないのにオタク歴だけが嵩んで「もう私10年以上絵を描いてる(10年いたずらに経過しているだけで、そんなに描いてない)のに上手くならない、才能がないんだ……」となってしまう。(自分の経験です)

Twitterで「頑張るぞ!」と宣言することって自分にとってはマイナスにしかなっていない気がしたので、ちょっとこの宣言グセを見直してみることにした。

「絵の練習頑張るぞ!」とTwitterで宣言しない方がいい理由

言っただけで、やった気になって満足してしまう

理由の一つがこれだったと思う。

「来年はもっと絵を描く! 練習頑張ります!」ってTwitterで言うと、応援なのか意外と多くいいねされたりして気持ち良くなって、達成感や満足感を得てしまう。まだ描いてないのに。

「頑張ります!」っていうツイートに対してはつい「いいね」したくなるのが人情ってものだから、普通の呟きよりも多くいいねが集まりやすい。

それでつい満足しちゃって実際の行動がおろそかになり、目標達成が遠くなる……。

自己啓発系の人たちがよく挙げている、デレク・シヴァーズ氏のスピーチで、そう言ったことが述べられていた。

このスピーチの中で、「目標を人に言う場合と言わない場合、どれくらい差が出るか」という簡単な実験が紹介されている。

163人の人に目標を立ててもらい、半数の人はそれを宣言し、半数は宣言せずに45分の作業をさせる。すると宣言した半数は30分すぎくらいで「もう十分やった」と作業をやめてしまった。宣言しなかった半数は時間いっぱいまで作業を続け、さらに「まだまだ目標には足りない気がする」と答えた。

実験によると「宣言したことで気持ちが満足してしまい、実際の行動がおろそかになる」ということのようだ。

「絵が上手くなりたい(そしてみんなに注目されたい)」という目標は、いとも簡単に「みんなに注目されたい(そのために絵が上手くなりたい)」にすり替わってしまう。

そうすると人間ってやっぱり社会的に認められたい生き物だから、「がんばるぞ!」と言うだけで目標達成できるのだから気持ちよくてつい言ってしまう。そしてあらかた気が済んでしまう。当然絵の練習はがんばらない。

また、宣言したことで達成感を得てしまっているために、ちょっと普段より頑張っただけですっごく頑張った気になってしまうというか。長い目で見ると自分の満足感のわりに全然努力は足りていないということになってしまう。

「宣言しちゃったから守らないと……」と焦ってしまう

自分もそうだけど、真面目な人に多いのが「宣言した手前、ちゃんと描かなきゃ」と焦ってしまうということかもしれない。

自分は「毎日絵を描いて毎日投稿します!」と宣言してしまって、とにかく体面を守るために「質とかどうでもとりあえず描かなきゃ」になってしまったことがあった。当然、焦りや徒労感が募る。

大して誰も気にしてないし期待されてなんかいないのに、宣言を守れない自分が恥ずかしく、また情けなく感じ、「体調が悪くて……」「仕事が忙しくて……」と言い訳を並べてみたり。

「このフォロワーさん、宣言ツイートにいいねしてくれたけど『こいつ全然描いてないじゃん、嘘つき。いいねして損した』とか思われてないかな……」

「フォロワーさんたちに『口だけで何も描かない』とか思われてたらどうしよう」

「やっぱり私はセンスも才能もない上に努力もできないクズなんだ、まわりにもきっとそう思われてるに違いない、恥ずかしい」

みたいに勝手にエスカレートし、疑心暗鬼になり、「自己嫌悪になって絵描くのしんどい」「恥ずかしい、Twitterやめたい」になってきたり。

当然たいして絵も上達しない。

フォロワーさんの優しい一言で「まあいいか」になってしまう

自分の場合、「今でも全然上手いですよー! あんまり無理しないでくださいね」みたいな、お世辞のまじったいたわりというか優しい言葉をいただいてしまうことで「じゃあ今のままでいいか!」となったりする。

女性A「はあ、太っちゃったからダイエットがんばる!」

女性B「え〜、そんなに細いのに! これ以上どこを痩せるの!? 全然ダイエットなんかしなくていいよー!」

女性A「そうかな? じゃあこのままでいっか! 美味しいものも食べたいし!」

女性B「そうだよ〜! 無理しちゃダメだよ〜!」

これ、覚えがないですか……?

※優しい言葉を言ってくださる方に悪気があるわけじゃなく、それを真に受けて「じゃあ努力しなくていいや☆」と安心して怠けてしまう私の心の弱さが悪い。

目標を人に言うと萎えてしまう

目標を人に話すと、気持ちが萎えてやる気が薄れてしまうということもあった。

誰にも言わないうちは自分だけの大切な目標なのに、人に言っちゃうと世俗にまみれて汚れてしまう気がするというか。神秘性がなくなる。

本当に頑張りたいことは自分だけでひっそり大事にしておくほうが、自分の場合はよかった。

人目を気にする人は、目標宣言はしないほうがいいのではないか

目標を宣言することでやる気が中途半端になったり、できないときに人目が気になったりして、無駄に挫折感を大きく味わうことになる。

本当に今さらだけど、自分が「宣言→挫折」の無限ループを繰り返していたことに気づいたので、目標を宣言するのをやめてみた。

「でも、目標は宣言するべし! みたいな風潮なかった?」

確かに一昔前って「目標は人に話すべし! 自分の尻に火をつけて逃げ場をなくせ!」とか「まわりに目標を話すことで監視してもらおう! サボってたらケツを叩いてもらおうね!」というのが「デキる大人になるための前向きなライフハック」みたいな感じだった気がする。

でもそれは、目標を達成できなくても必要以上に思い詰めない精神を持ちし者だけの話だと思う。

だけど「あー張り切って宣言したのにできなかった、自分は努力が足りない、恥ずかしい、ダメだ……人からどう思われてるだろう……」とソワソワしてきちゃう自分のような内省型陰キャにとって、他人に目標を宣言するメリットは薄い。

自分の心にサンクチュアリを作って、大切な目標はそこから出さずにこっそりと努力する」というスタイルのほうが、自分の気質に合っている気がしている。

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