二次創作を始めたんだけど、原作の絵に似せて描けない……
自分絵の二次イラストを描きたいんだけど、兼ね合いが難しいんだよね……
という人向け、【二次絵が似ないときは、模写とトレースをやってみています】という記事。
※まだイラストを描き始めて間がない、初心者の方向けの記事です。
「私も二次創作をしてみたい! マンガ絵なら昔描いていたし、自分にも描けそう」と思っていざ描いてみたら原作の絵に全然似ない、とか、
「自分絵で二次絵を描きたい! でも自分絵で描くと似なくなるし、かと言って原作の模写だけしてても自分らしさは出ないし……」というジレンマ、自分も経験したことがある。
自分の場合、模写とトレース練習をするのが結局近道だったかもしれない。
今もジャンルを移ったりして描き慣れない段階では模写とトレースをすることがあって、自分の場合はこんなやりかたをしています。
- 最初から自分絵で描こうとせず、まずは原作そっくりに描いてみる
- 模写とトレースを並べて描いてみる
これについて詳しく書いていきます。
※念のため書いておくけど、トレースや模写はあくまで自分だけの練習で。ネット上にアップしてはダメです。
二次絵が似ない&自分絵との兼ね合いが難しい
自分のまわりの、商業で描いているような絵うまな人々でさえ「新しいジャンルの二次絵が似ない! うわーこのキャラ難しい!」とよく言っている。
でも何度からくがきをアップしているうちに二次絵と自分絵がほどよくなじんで最高になっているんだよね。
そう、それをやりたいんだよ……原作に似てるのに自分絵のテイストも出ていて最高なそれを……!
そして絵うまな人々は言う。
「なんとなく適当にらくがきするうちに描けるようになった」
これは意地悪で言っているのではなく、意識してやっていないから説明できないだけなのだと思う。
代わりに(絵うまをかたわらで観察してきた目線で)私が説明してみます。
こんなにうまい人でも模写ってするんだ……と驚いたこと
「こんな絵がうまい人でも模写練習なんかするんだ」と驚くことが多い。
みんながみんなというわけじゃないだろうけど、私が出会う絵うまな人はたいてい模写をしていて、家に泊まりに行ったりするとそういった痕跡を見つけることが多かった。(※家探しをしたわけではなくて、見せてもらった)
クロッキー帳に原作アニメを一時停止しながら描き写したと思われる推しのいろいろな表情が残っていたり、原作コミックや設定資料集がもうワンセットあってクリップでページを留められていたり、ゲーム画面をキャプチャしてカメラロールに溜められていたり、といったもの。
また、いかにも「模写の練習をしてます!」という感じではなくて、ただのらくがき(←と言いつつ上手い)を書き散らしたコピー用紙の中に、「原作を模写して確認してみたんだろうな」という痕跡があったりする人もいた。
あとは「模写で描き始めたようだけど、仕上がるにつれほぼ自分絵に変換できてしまったんだな……」みたいな痕跡とか。
こういうのはSNSにアップされないので、どんだけ描いているかみたいなことって広くは知られにくい。本人も知られたくもないだろうけど。
「えー、だって模写をしたら自分絵にならないよ……」
「模写をするといいのでは?」と言うと「だってそれじゃ原作絵そのままになっちゃう。真似して描いてたら自分絵にならないじゃん」と不安に感じる人もいるかもしれない。
これは「自分のオリジナリティが失われるからデッサンなんかしたくない」と言う人にも共通するのだろうけど、まずは基本を身につけなければオリジナリティも生まれてこないのではなかろうか。
例えば音楽を習うと【聴音】というのをやらされる。先生が弾く音を聴き取ってそれを譜面に起こすという練習。しかし中には「自分は作曲をしたいんであって、既存の曲を聴き取るこんな練習は意味がない」と言う人もいるようだ。
それに対して、こんな説得力のある答えがある。
「まずは他人の鳴らす音を正確にキャッチし、譜面に起こしてみる」というのは、絵を描くことで言うと「模写してみる」に相当するんじゃないかと思う。
他人の鳴らす音を正確に聴き取って書き起こしているうちに、自分の中でアレンジの音が加わってそれが自分テイストになっていくんじゃなかろうか。手練れの人はこれが同時にできたりする。(=模写すると同時に自分絵に変換できたりする。)
歌舞伎役者がよく言う、「【型破り】と言うけど、【型】を身につけてからじゃないと破れない」というのにも通じるのかも。
聴音や模写をゲーム感覚で面白がるのか、それとも「こんなことする必要は? 意味は? 自分はオリジナルを生み出したいんですけど!」と焦りや苛立ちを感じてやめてしまうのか。
「本当に模写やれば上手くなるの? 本当に? 確証は?」
インチキか詐欺師みたいな言い方になってしまうけど、
ちょっとだけやって上手くなる前にやめてしまえば「模写なんか効果がなかった」ということになるし、上手くなるまで続ければ「模写は効果があった」となる。
証拠は未来の自分しか持っていないということになる。
自分の場合は、「まわりの絵描きさんが楽しそうに模写練習も取り入れているから、私も真似してみよう」とポジティブな気持ちで取り入れているのでやっていても楽しい、なんとなく効果もある気がする、だからいそいそとやっている、という感じです。
「模写してもうまく似ないんだけど……」
初心者、またはそれに近い人の場合、「見て描いても似ないんだけど……」ということもあるかもしれない。もちろん初心者以外でもそういうことはある。
自分は最近、トレースを組み合わせて練習してみている。
(最近は見て描くことを【トレス】と言ったりして用語の混乱が起こりがちだけど、ここで言う【トレース】は"写して描く"本来の意味のほう。)
写して描いて終わりではなく、模写とトレースを並べてセルフ公開処刑してみるというのをやっている。
どこを見られていないか、どこを描けていないか、どこが手癖なのか、みたいなことが、普通に見て描くだけより分かりやすくなる。
上の例だと、ひじの位置とか、目の位置のバランス、頭がでかい、エラこんなに張ってないな……などなど。
自分の弱点が分かっていれば、絵を描いていて「あれ? なんか違和感あるな、どこが変なんだ?」と思ったときにも心当たりがあるので問題点を見つけやすい。
"画力が上がる"というのはまた別の話
「二次イラストが原作に似ない」というときは初心に立ち返り、模写やトレースをしてみるとよいかも、という記事でした。模写は推しへの祈り。
もちろんこれは原作絵に似せて描けるようになって、自分絵とうまいこと融合させて二次創作をするまでの話で、画力を上げるというのはまた全然別の話になると思う。
それは一度にどうにかできる話ではないと思うので。
「原作絵に似せて自分絵が描けるようになってきた! そしたら今度はもっと画力を上げたくなってきたんだよなあ……」と感じたら、またそのときに悩むことにする。