【画力とは】表現したいものを描く力。では自分は何を表現したいのか

画力が欲しい画力が欲しいって口癖みたいに言ってしまってるけど画力って何だ? どうやって画力を上げたらいいんだろう?

と行き詰まっている人向け【①画力という言葉の意味をハッキリさせれば②画力を向上させるためにどうすればいいのか見えるはずなので③自分ができることを具体的に挙げてみた】という記事。

【画力】という言葉、「あの漫画家は画力がある」とか「あー画力が欲しい……」とか、なんとなくぼんやり絵の上手さを表すときに使っていて、正体がいまいちハッキリしていない。

画力が欲しいとか画力を上げたいとか言いつつも、正体が分からないのではどうしたらいいのかも分からない。結局「才能がある人はいいなあ」とぼんやりとうらやんで終了してしまう。それではいつまで経っても解決しない。

この記事では、

  1. 【画力】という言葉の意味をハッキリさせれば、
  2. 画力を向上させるためにどうすればいいのか見えるはずなので、
  3. 自分ができることを具体的に挙げてみる

というのをやってみた。

画力とは「絵で表現する力」

【絵心】と【画力】の違いについての記事を書いたことがある。

辞書的な意味を含めてざっくり言うと【絵心】は「それっぽい絵が描ける」ということで、【画力】は「自分が表現したいことを絵で表現できる」ということだった。

【絵心】1、絵をかく心得や趣味。また、絵を理解する能力。「―がある」 2、絵をかきたい気持ち。「―が動く」

【画力】絵で表現する力。「―の高い漫画家」

デジタル大辞泉(小学館)

つまり「画力が欲しい」というのは、「私の中にあるこれを、どうにか絵で表現したい。しかし技術や知識が足りなくて表現しきれないことがもどかしい」という苦悩を表しているのだと思う。

だったらば、その足りない技術が何か、足りない知識は何かを補うことで、自分の表現したいものに近づけるのではないか。

……というか、そこまで気づいている人ならたぶんもうとっくにやっていると思うのだ。

そもそも「自分の表現したいこと」はあるのか考えてみたら……

自分の場合はそこまで考えてみたところで「いや待てよ、今そもそも自分の表現したいことってなんだ?」となった。

自分も二次創作をする絵描きなので「なんとかしてこれを表現したい!」と衝動に駆り立てられて夢中で絵を描くという時期は何度か経験があり、感覚で知っている。しかし、今はそこまでの衝動に駆り立てられてはいない状況だ。

「自分は何を表現しようとしてるんだ? そんなもん無いだろ? 画力が欲しいんじゃなくて、見栄えのいい絵を描きたいってだけなんじゃないか?」

これでは、【画力】という言葉を使う以前の問題なのではないか。表現したいこともない自分が【画力】なんておこがましいな、と思った。

まずは、「自分が表現したいこと」を見つけたい。

というわけで、表現したいものもないくせに「ガリョクホシイ ガリョクホシイ」と口先だけで繰り返すのをいったんやめてみた。

そして「自分が表現したいこと」に出会うために、無期限でインプット期間を設けてみた。

「どうしても表現したいもの」が見つからなければこのまま一生描かなくていいや、くらいの気持ちで。

無防備にノーガードでたくさんのものに触れてみた

インプットとひとことで言っても、「何か私がハマれそうなのは無いかな、早く次の沼を見つけなきゃ」みたいに探しても焦りや苦痛のほうが強い気がしている。

「私こういうの好きそうだわ、これならハマれそう」と思ってハマる沼よりも、ノーマークだったのに急に落ちる沼のほうが深かったりするのは、多くの人が経験していることだと思う。

だから、無防備にノーガードでいろいろとたくさん見るというのをやってみた。

アマプラだったら新着やおすすめに出てきたのをかたっぱしから観る、TLで誰かが話題に出していた作品をホイホイ軽い気持ちで観る、というのをやった。

新しい沼にハマったので、ROM専をしてみた

このときは2年くらいかかったけど見事にどハマりする作品に出会ったので、嬉々として二次創作を読みあさった。

流行りのジャンルだったのもあってたくさんの二次創作があり、読んでも読んでまだまだあって、絵が上手い人や考察の鋭い人がたくさん作品を生み出してくれていて、「すごい!」「尊い」「ありがとうございます!」と思いながら半年くらい夢中で楽しくROM専をした。

するとだんだん「この二次創作最高だ! けど私の解釈はもっとこうだから、自分が描くならもっとこういうふうに描いてみたい……」「私の考えているこの感じを表現してくれている人はまだいないみたいだな……?」みたいに、奥深く眠っていた衝動が目覚めかけてきた。「とにかく私のパッションを形にしたい! 描きたい!」な状態。

本人(筆者)はすっかり忘れているけど、「表現したいこと」を見つけたいという当初の目的を、やっとここで達成できていることになる。忘れているけど。というか、どうでもよくなっているけど。

「自分が表現したいこと」を描いてみたら……

自分に足りない技術が分かったので補いつつ描き続けた

新しくハマった作品のキャラの体格が欧米、かつ上裸だったために、自分の持ち合わせている知識や技術では不十分で、描き始めたうちは思い通りの表現にならなかった。

でもどうしてもどうしても描きたいわけで、半年コトコト煮込んだパッションがあるわけで。熱に浮かされるままAmazonで「筋肉の描き方」みたいな書籍を買って、足りない部分の技術を補ってなんとか描こうとした。

「筋肉を描けるようにならなきゃ」「デッサン練習しなきゃ」とかではなく、描きたいという気持ちだけで、全自動で進んでいった。

他の上手い人はどう描いているのかを熱心に観察して、取り入れたい部分を参考にしたりした。

これも「上手い人の絵を参考にして学ばなきゃ」とかではなく、描きたいという気持ちだけで自然に貪欲になった。

共感してもらえることも増えた

今までは「何となく見栄えのいい上手いっぽい絵をどうにかしてひねりだそう」というような絵の描き方だったので、当然まわりからの反応も薄かった。

けど、「これを表現したい」ということを持った上でそれを伝えることで、共感してもらえることも増えた。

逆に「あ、ここの表現が未熟なせいで十分に伝えられていないな」みたいな場合も、敏感に感じるようになった。

すると「もっと伝えたい」「もっと伝わりやすくするにはどうしたらいいか」と、モチベーションや次への課題が湧いてきた。

見る人に違和感なく伝わる絵を目指したくなった

「これを表現したい!」と思うものができると、それをじゃまするような違和感はなるべく排除したくなった。見る人に「あれ? この腕の曲がり方おかしくね? たびたび気が散るな……」とか「これってどういうニュアンスの表情なんだろう? 表現が未熟で読み取れないな」とか思われてしまうと、「表現したいこと」が伝わりにくくなってしまう。

自分は首から肩にかけてのつながりを描くのが苦手でごまかしごまかし描いてきたけど、その不得意があるために「自分の表現したいこと」が表現できないことが多々あった。なので美術解剖学の書籍を模写してみたりと、不得意を潰して「表現したいこと」をより忠実に表現するための練習をするようになった。

「絵が上手くなるために練習しなきゃ」とかではなく「自分の表現したいことをより忠実に表現したい」と、それだけを考えていたので、練習した学んだりすることが苦痛ではなかった。

「で? 画力は上がったの?」

ここで「で? そうやってきてみて、画力は上がったの?(絵は上手くなったの?)」と聞きたくなると思う。

重ね重ね言ってきたように、自分が定義した【画力】というのは「自分の表現したいことを表現する力」であって、「画力が上がる」=「見栄えのいい絵が描ける」「神絵師」「いいねが4桁つく」とかではない。

そこをごっちゃにしてしまうことで【画力】という言葉の意味がぼやけて「ガリョクホシイ ガリョクホシイ」と繰り返すロボットになってしまっていて、そこから脱するために、敢えて定義づけをしたのだった。

「自分の表現したいことを表現する力」という点で言えば、自己満足的にも他者の反応的にも「自分の画力は以前の自分と比べて上がった」と言える。

  • 自分の表現したいことを見つけることで、
  • 表現するために足りない技術を適宜補うことで、
  • それをじゃまする違和感をなるべく排除しようと努めることで、

自分は確かに、「表現したいこと」を持ち、(少し前の自分と比べて)思い通りに伝えられるようになった。

「なーんだ、画力が上がる方法(絵がめっちゃ上手くなる方法)が描いてあると思ったのに」。

たぶんだけど、そんな方法は無いと思います。

「表現したいことを表現する」のささいな積み重ねしかないんだと。

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