絵を描いていく上での多くの悩みが、麻雀を始めてみてスッキリしてきた

絵を描いていく上でいろいろな悩みを抱えている人向け、【自分は最近新しいこと(麻雀)を始めてみたところ、何か新しいことをを始める勇気やスランプのときの考え方、他の人に対して競争意識が出たときの気持ちの切り替え方などを経験している】という記事。

また何かでスランプになったときの未来の自分のために書き残しておく。

自分も絵を描く人間で、今までたくさん挫折したりこじらせたりしてきた。そして、まだすべてに整理がついているわけではない。

最近になって麻雀を始めたのだけど、何か新しいことを始める勇気とか、ビギナーズラックを抜けたときのズーンとくる停滞感とか、焦り、不安、悔しさ、そして少しずつだけど上達する手ごたえみたいなものを体験している。

何かを始めて悩みながら上手くなっていく過程って、絵でも麻雀でもたぶんスポーツでも、だいたいのことで共通なのかも。

ってことは、今この自分の気持ちの揺れを把握しておくことで、これから何かで伸び悩んだときにドツボにハマりにくくなるんじゃないか。と思ったので未来の自分のために書き残しておく。

ずっと麻雀をやってみたかったけどできなかった

ハードルを自分で上げすぎていた

まず、ずっと私は麻雀をやってみたいと思っていたのだけどなかなか始められないでいた。

というのも私が学生の頃はまだネット麻雀などはなかったため、麻雀をしたいなら雀荘に行くか友達を4人集めて誰かの家でやるしかなかった。

社会人になってあまり親しくない仕事仲間から「え、麻雀したいの? いいよやろう。ただし親切に教えたりしないし最初から手加減しないから覚悟して。けつの毛までむしってやるよ笑」と言われたことで、こわい、やっぱり無理だ、となってしまった。(今思えば冗談だったのかもしれないし、単にその人から私が嫌われていただけなのかもしれない)

ハードルがどんどん上がってしまった。というか勝手に怖気付いて自分でハードルを上げてしまった。

これって「絵を始めてみたいけど勇気が出ない」「絵を描きたいけど素人だから恥ずかしい」みたいな気持ちに似ているのかも? と思う。

小学生の頃の図工で絵が苦手になってしまった人が大人になって「絵を描いてみたいんだけど、何から始めたらいいのかな……」とポロリと言ったらまわりのお絵描きガチ勢から「描きたいならなんで描かないの?」「悩んでないで始めればいいんだよ」と言われて怖くなってしまった……というのを聞いたことがある。

今ならその気持ちがわかる。

まったく知らないことを一から始める不安って少なからずあって、勝手に自分でその不安をふくらませてしまって、実際よりもすごいことみたいに思ってしまって、身動き取れなくなってしまうこともあるんだよなって。

ハードルをこなごなに分解して少しずつ超えるようにした

今はいい時代になって、ネット麻雀が気軽にできる。

しかし私の中で跳ね上がったハードルは高いままだった。始めてもいないくせに「私には難しいに違いない」という苦手意識が根強くあった。

ネットの友人が「天鳳」で遊んでいたんだけど、少し前はまだまだコアなユーザーのほうが多い印象で、自分のような何も知らない人間がおいそれと遊べる場ではないという気がして、勇気が出なかった。

そして「雀魂」。雀魂のこともけっこう前から知っていたけど、あんなにとっつきやすいフレンドリーなインターフェイスでさえ私は長らく物怖じしていた。

他の人からすれば「は??? なんでそんなに物怖じすんの??? さっさとやってみろよ」という感じだろう。

しかし自分の中で麻雀のハードルが勝手に上がり続けたために、今さらトライするにはばくだいな勇気が必要になってしまっていたのだった。

だから「とりあえずアプリ入れるだけ入れてみよう! ちょっと見てみるだけ!」とハードルを意識的にむりやり細分化した。

たぶん「絵を描いてみたいけど勇気が出ない」という人も、長年自分の中で絵に対するハードルを勝手に上げ続けてきてしまって、他の人には理解できないくらいの勇気が必要になってしまっているのではないか。それを他人から「さっさと始めればいいじゃん」とか「絵なんて好きに描けばいいのに」とか言われるのきっといやだろうなあと思う。

勇気を出して思い切って一度にどうにかするのではなくて、いったんハードルをこなごなに分解して、「お絵描きアプリ入れるだけ入れてみよう」とか「pixivのアカウントだけ作ってみよう」とか「100均のスケッチブック買ってみよう」みたいに、負担の少ない小さいことから一つづつ超えていくほうがやりやすいように思う。

(これからは何かやりたいことがある場合、できればあんまりハードルが上がる前にしれっと始めるようしたい。そのほうが消費する気力が少なくて済む気がする。)

人と対戦してみたいけどできなかった

アプリを入れてみたものの、最初は勇気がなくて、本当に入れただけで何もしていなかった。

「どれくらい打てるようになったら段位戦に参加してもいいのかな……」

「まだ役とか全然覚えてないし……」

と、ネット麻雀でもやはり私は日和っていたのだ。

そこでハッと「絵をSNSに投稿したいけど、どれくらい上手くなったら許されるんだろう……」みたいに悩んでいる人の気持ちがわかった気がした。

「そんなの好きにすればいいんだよ」「何悩んでんのかわからん。思い切って投稿すればいいじゃん」ってすでに絵を描き慣れた私たちはつい思ってしまうけど、そうか、こういう不安なのかもなあ……と少しだけ分かった気がした。

私が初めて段位戦に参加してみたのは、うっかりルームに入ってしまって一瞬でマッチしてしまい対戦が始まってしまった、という感じで完全に事故だった。

ドキドキしながらなんとか最後まで打って「なーんだ、こんなに簡単なことなんじゃん!」とは思わなかったし、「じゃあこれからどんどん段位戦やっていこうっと!」ともならなかった。

けど、ハードルは少しだけ下がっていった。

絵で言えば「せっかく描いたからSNSに投稿したいけど勇気が出ない」とか「ワンドロ参加したいけど初心者だしな……」みたいにドキドキしながら思い切ってやってみて、少しずつ少しずつ慣れていくのに似ているのかもしれない。

自信がつくと再び怖くなる&スランプも来る

で、ある程度わかってくると自信もついてきて、すると同時に怖さもぶり返し、スランプも来る。

負けるのが怖くなる

ちょっとずつ勝てたりして小さな小さな自信が芽生えると、このまだ芽生えたばかりのかよわい自信を失うことが怖くなった。

ああ、これって「下手な絵を描くのが怖くて、絵の練習をしたくなくなる」という現象に似ているなあと思った。

あれって別にサボりたかったわけじゃなく、まだ弱々しい生まれたての自信を失うのが怖かったのかもしれない。そう思うと自分がなんとも愛おしくなってきた。それならば少しずつ少しずつでいいじゃないか、と思えてきた。

「○年やってこれくらいの実力って妥当なの?」と考えてしまう

「絵を○年描いてきてこれくらいの実力なんだけど、これって妥当なの?」「○歳でこれくらいの絵が描ければ平均以上だよね?」みたいな悩みを見かけるたび、なんじゃそりゃ、おかしなことを気にする人がいるんだなあと感じていた。

けどこれも、麻雀を始めてみたことでちょっと分かる気がした。

自分より下の段位の人にコテンパンに負けたりすると「この人、雀魂の段位は低いけどきっと麻雀経験はあるんだろうな。きっと私より歴が長いんだよね?」と思いたくなってしまったのだ。

これに気づいたとき「ああこの心理なのか〜」と感じたと同時に、なんだか可笑しくなった。

「仕方なかったんだ、相手は私より歴が長い人なんだから。私がダメなわけじゃない」と理由をつけて納得しようとしている自分に対して、笑ってしまった。

どうだっていいじゃんか、たとえ昨日始めたばかりの人に追い抜かれたっていいじゃんか。なんで肩肘張ってんだ。なんのプライドなんだ。

スランプが来て焦る

ずっと調子が良く勝てていたのに急に調子が悪くなったりすると「あれ? 何か原因があるのかな」「私は間違ってるのかな」「早く直さなければ!」「教本読んだほうがいいのかな」みたいに不安になったり焦ったりもする。負け続ければやっぱりしょんぼりするし。

私はまだ初心者すぎてそのレベルではないけど、いずれ負けると腹が立つようにもなっていくのかもしれない。

「最初は絵を描くだけで楽しかったのに、どんどん不安になってきてスランプになって、早く脱しなきゃ! 早く上手くならなきゃ! なんで後から絵を始めた人に追い抜かれるんだ! もうどうしたらいいかわからないよ!」という経験は私にもあるので、推測はできる。

推測ができるから、回避することもできる。

「私のほうが上」とか「後から始めた人に抜かれると腹立つ」って結局のところただの驕りだったのだということが、絵の挫折を通して今の私には分かっている。誰しも行きつ戻りつそれぞれのペースで上達していくのだから、上とか下とか先とか後とかではない。人それぞれで得意なところと苦手なところも違う。

それでも麻雀には勝ち負けがあるので、負けると悔しいのは当たり前。

そこで、他の人が勝ったときは「おおっすごいな!」「うわ、そうか! やられた!」とわざと大袈裟に声に出すと、意味不明なモヤモヤがお腹の底に溜まらないこともわかった。これはゲームジャンルのストリーマーたちのムーブを見ていて真似してみたら良かったことのひとつ。

最近は上手い絵を見たときも「ぐぬぬ」と意味不明なモヤつきを飲み込まず、「うわっ、うめ〜!」「これすごいー!」と大袈裟に口に出すようにしている。「ぐっ」となったときに呼吸を止めずに息を大きく吐き出すことがそもそもいいし、これはけっこうよい感じがある。

教本を読むのは後でもいい気がする

「絵を描き始めるにあたって、自己流の変なクセがつく前に正しい参考書があったほうがいいのではないか」「効果のある参考書で早く上手くなったほうが効率がいいのではないか」みたいに考える人もいるかもしれない。

私は麻雀を始めるにあたって読んでみたい教本は何冊かあったのだけど、まだ読んでいない。

まずは自分でああだこうだ試してみないと、何が分からないかが分からないからだ。

「こういうときいつも悩んでぐちゃぐちゃになっちゃうな、上手い人ってどうしてるのかな?」

「上手い人がこうするのはなぜなのかな? どういう効果があるのかな?」

みたいに疑問がわいてきて、それは自分で自然に解決できることもあり、長く持ち越されることもある。

いったん自分でいろいろ考えて試してみて仮定を立てて、その上で答えを知ったほうが気持ちいいスッキリ感を得られるので、私にとって趣味はそこがいちばんの楽しさなので、疑問のタネはすぐに解決せずにたくさん大切にとってある。

絵でもそうで、だいぶ長らく絵を描いたのちにやっと美術解剖学の参考書を初めて買ったのだけど、楽しい答え合わせのような感覚があった。どうやら私にはそのほうが向いていたように思う。

もし「とにかく超特急の最短距離で脱初心者をすることが目的であり、それが楽しいのだ」という人は最初から参考書を読めばいいし、「まずは自力でジリジリ解決していくのが楽しいのだ」という人は参考書のたぐいは後の楽しみに取っておけばいいのではないか。人それぞれの楽しみかたによる。

自分はこれを通してどうなっていきたいのか

「勝ちたい!」という目的のみで麻雀をやると、勝てなかったら意味がなくなってしまう。

たとえば「いいねがいっぱい欲しい!」という目的のみで絵を描くと、いいねが少なければ意味がなくなってしまう。

「勝ちたい」も「いいね欲しい」も、どちらも自分ではコントロールできない部分であり、そこに主軸を置くとだいたい「楽しくない」「無駄だった」で終わってしまう。

私がとうとう麻雀を始めたきっかけの一つに、麻雀Vtuber千羽黒乃さんの活動がある。

千羽さんは「たくさんの人に麻雀を楽しんでほしい、麻雀を嫌いにならないでほしい、そのために活動を始めた」と常々言っていて、それゆえに自分個人の勝ち負けでそれほど一喜一憂することがないように見える。勝ち負けよりも大切なことが自分の中にあることで、かえって強くいられるのだと思う。

それと似た感覚を、自分も絵を描きながら悩むことでなんとなく感じていたので、少しだけ分かる。絵を描いていく上で上手い下手よりも大事にしたいことが自分の中にできてから、人と自分を比べてギリギリするような悩みが薄れていった……という経験。

麻雀や絵に限らずだいたいの芸事というのは「その先の何を見るか」でつらくもなったり楽しくもなったり、「つらいけど楽しい」にもなったりするのではないか。

勝ち負け以外の何かを見出すことで、楽しさが増えて苦しみが減るのではないか。

こうして文字にすると陳腐になってしまうけど、麻雀を始めてみて私は改めてそう感じたのだった。

あと絵で今めちゃくちゃ苦しんでいる人は、なんの関係もない新しいことを始めてみることでスランプや嫉妬など心の揺れに改めて新鮮に気づけて自分なりにドツボから出られることもあるんじゃないかと思う。

たぶん私がもっと若いときにサクッと麻雀始めてたら、自分より弱い奴に負けた! ってカンシャク起こしてすぐイヤになってたかも。絵の挫折でさんざんメンタルが揉まれたあとだからこそ、勝ったり負けたりを含めて麻雀を素直に楽しめているのかも。と思うとやっぱり今このタイミングで麻雀始めてよかったなと思います。

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