「自分の顔が嫌いで、写真を撮られるのが怖い」を解決できたときの話

自分の顔が大嫌いで、写真を撮られるのが苦手。カメラを向けられるのが怖い……

という人向け【飲んでいるコーヒーカップや靴の一部などを撮ってもらうことから始めてだんだん慣らしていったら、写真恐怖症がけっこう和らぎました。】という自分の経験を書いています。

「自分の顔が嫌い」

「カメラを向けられるのが怖い」

中学生の頃からずっと悩んでいた。

顔だけでなく、後ろ姿や体の一部でさえも、写真に入りそうになると「ゾワッ」として逃げてしまう。

逃げた後はいつも「なんでこんなに怖いんだろう」という悔しさ、「私は自意識過剰なのかな」という悲しさで落ち込んでしまっていた。

それが最近やっとあることをきっかけに少しずつ克服できていて、「これ簡単だし、同じ悩みの人に試してみてほしい!」と思ったので、この記事を書いている。

自分の顔が嫌い、写真に撮られるのが怖い

自分の顔が受け入れられなかったり写真に撮られるのが怖いという人は、程度の差こそあれどけっこうたくさんいると思う。症状に名前がつくと「醜形恐怖」と言われることもある。

※自分は診断を受けたわけではないので、ここでは「いわゆる醜形恐怖っぽい感覚」というふうに言っています。

原因や症状は人によって違うのでここで詳しく書かないけど、自分の場合は写真や映像に撮られることがこわく、冷や汗が出て体が緊張し、その場から逃げ出してしまっていた。

写真を撮ろうとした友人に嫌悪感を丸出しにしてしまったり、「こないだの写真できたよ」と見せようとされて「いらない! やめて!」と声を荒げたこともあった。

写真が嫌いだと言うと「あなたの顔なんか別に誰も気にしてないよ、自意識過剰」と鼻で笑われたり、逃げ回ると「ノリ悪い」「何してんの? ふざけないで早くしてよ」とイラつかれたり。

その場の空気を壊してしまうことが、いつもとても苦になっていた。

客観的に見れば自分の顔はごく普通というか、特に目立つコンプレックスがあるわけでもない。

外見のことでひどいいじめにあったことはあるけど、自分では「あれが理由だ!」という気もしない。それを理由にしてもたぶん解決するわけじゃないし。

自分の顔のどのパーツが嫌いとかはっきりしているわけでもないので、整形手術をしたいわけでもなく。

なぜそこまで写真が怖いのかも分からないし、治しようもなかった。

とにかく自分の顔というより「姿」を憎悪しており、とにかく写真に撮られるのが嫌だった。

写真・カメラ恐怖症を克服できたきっかけ

今では、友人の結婚式に参列してみんなで写真を撮ったりということもできるようになっている。

今でも「撮られるの大好き!」というわけでは全然ないし、カメラを向けられれば少し体はすくむのだけど、社会生活に支障がないレベルには克服できていると思う。

心を許せる友人が、少しずつ写真を撮ってくれた

これにはきっかけ……というか、意図的に働きかけてくれた友人がいた。

私の写真嫌いを把握している友人が、一緒に日帰り旅行をしたときに、私の飲んでいるコーヒーカップの写真を撮ったのだ。

そして「あなたの飲んでいるコーヒーカップを撮ったよ」とすぐに見せてくれた。

写真が怖い私は、こんなことでさえも少し「ゾワッ」としたのだけど、「いや、これくらいなら平気だな」とすぐに平常心に戻ることができた。

その次に、いい感じの並木道で、彼女は私の影を撮った。

そしてまたすぐに「落ち葉にかかったあなたの影が素敵だったから撮ったよ」と見せてくれた。

これもちょっと「ゾワッ」としたけど、「うん、これもまだ平気だな」とすぐに平常心に戻った。

次は私のコートのほんの端っこ、靴の端っこ、指……と、様子を見ながら少しずつ写真に撮った。

そしてそのたびにすぐに見せてくれて、私の反応(動揺の度合い)をしっかりと観察してくれた。

私自身を撮るのではなく、風景のほんの一部に紛れ込ませるようにして撮ってくれたので、彼女が撮ってくれた写真には「自分が写っている!」という恐怖をさほど感じなかった。

撮った写真をすぐにその場で見せてくれて、「ほら、こんな感じだよ」と安心させてくれたのも、とても良かった。

私が彼女に心を許せていたから、というのもあるけど、彼女が私をしっかり観察して、どれくらいまでなら大丈夫なのかをはかりつつ慎重に撮ってくれていたことが大きいと思う。

この1日で、私は自分の後ろ姿を撮られても大丈夫になったのだ! (ちょっと「ゾワッ」とはしたけど)

これは自分にとってたいへんな進歩だった。

写真にここまで撮られても平気になったのは、小学生以来。

ものすごい安心感と開放感だった。

実はこれは、「認知行動療法」みたいなものだった?

※自分は医師の診断や治療を受けたわけではないので、認知行動療法に関してはネットなどで調べたことしか分かりません。自分で調べて、こう考えてみたという話です。

強迫神経症の治療をするとき、投薬と合わせて「認知行動療法」というのをするそうだ。

醜形恐怖も、認知行動療法が有効とされている。

認知行動療法というのは「実際に行動して、不安や刺激を受けて慣れさせる」というもので、わざと不安になるようなことをしてみる。たとえば、今まで電車に乗るときに帽子とマスクとメガネで顔を隠していたなら、帽子とメガネは外して乗ってみる、など。(2022年現在、ご時世的にマスクは外せないので)

少しずつ不安に慣れさせていくことで、最終的には自分の顔のことが気にならなくなる、という療法だ。

友人が少しずつ写真を撮ってくれたことは、私にとって認知行動療法と同じような効果があったのではないかと思う。

お医者さんで行う認知行動療法は、当然、わざと不安や刺激を与えるので、人によって「つらい」と感じることもあるようで、途中で挫折してしまう人もいる。

お医者さんとの相性の良し悪しもあるだろうし、その日の自分のコンディションも影響するだろう。

その点、私の写真を撮ってくれた彼女は気のおけない友人だった。ちなみに、カメラが趣味なわけでもなく、精神医学に明るいわけでもない。だから気軽で安心感があったのも良かったのだと思う。

「腕のいいカメラマンにポートレートを撮ってもらったら自分の顔に自信が持てた」というのを聞いたことがある。私だって、「すごく優しいカメラマンに撮ってもらったら、写真嫌いを克服できるのではないか?」と思ったこともある。

しかし私のように醜形恐怖、カメラ恐怖に悩む人は、カメラが怖すぎてそこまで至れないのだ。だって体の一部を撮られることさえ怖いのだから……。

そういう人は、自分の影とか、コーヒーカップとか、怖くない一部分を写真に入れることから始めてみるのも手だと思う。

そこまで信頼して身を委ねられる友人がいない、という場合は自分で撮ってもいい。

「この世界に自分が存在すること」に慣れていった

自分は専門家ではないので詳しい心理は分からない。

あくまでも自分の感じたことを書くとすると、こういうことになる。

今までは「この世界に自分が存在すること」に強い違和感を抱いていて、それが写真になることが気持ち悪かった。恐怖に感じるほどの違和感と気持ち悪さだった。

けど、自分の体の一部を少しずつ写真に写り込ませてもらうことで、「風景の中にある自分を客観的に見ること」に慣れていくことができた。

「この世界に存在している自分」を、少しずつ見慣れることができた。

そう、「この世界に存在している自分」を見慣れるために写真を撮ってみる。

その際は、コーヒーカップや影など無理のない一部から撮ってみるといいと思うのです。

以前の失敗体験

これは別の友人に写真を撮ってもらって、そのときは克服に失敗した話。

まだ大学生の頃、心理学を学んでいた同じ専攻の友人が、同じように私の写真を撮って慣らしてくれようとした。(彼女は心理系の院生で、私の写真恐怖症についてもきちんと理解してくれていた)

けれどもこのときは失敗に終わった。

理由はこんな感じ。

  • スマホでなく、カメラだったこと
  • 少しでもいい写真を撮ろうと、光の加減や角度などを気にしてシャッターまでに時間がかかったこと
  • フィルムカメラのため、写真ができるまで時間がかかること
  • 緊張感のある友人で、心底気を許しているわけではなかったこと
  • 「私が治してあげる」みたいな圧を感じてしまったこと

たぶんこのときの友人は、はっきりと認知行動療法的な意図を持って写真を撮ってくれようとしたんだと思う。それだけにありがたいのだけど、結果としては失敗に終わってしまった。

スマホでさらっと気軽に撮り、嫌ならすぐ消す。というのがよさそうです。

写真に撮られることがまあまあ平気になった

その後、上でも書いたように、友人の結婚式におよばれしたときのこと。

結婚式って、参列者のスナップもたくさん撮ってくれるじゃないですか。

やっぱり「ゾワッ」としたりちょっと体が緊張したりはしたんだけど、それでも普通にしていられたし、「新郎新婦と撮るから入ってー」と言われれば普通に入ることができたし、笑顔で写ることができた!

かなり生きやすくなった。

あの日のコーヒーカップから始めてくれた友人、本当にありがとう。

タイミングよく結婚式に呼んでくれた友人も、本当にありがとう。

たぶんもう、「写真撮るよー」と言われてカメラを向けられても、冷や汗をかいて体が固まってしまうことはないだろう。

ちょっとくらいは緊張するだろうけど、苦しいほどではないし、まわりに迷惑をかけてしまうこともないだろう。

そう思うといまだに解放感で涙が出そうになるんです。

この経験が少しでも誰かの参考になって、写真への恐怖が和らぐ人がいればいいなあと思っています。

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