Twitterで別ジャンルの絵を描いて盛り上がってたらイヤミなエアリプされた……
というお悩み向け【イヤミなエアリプしてくる人の心理を考えてみたら①「私が分からないジャンルの話をしないで!」②「私の好きなもの(前ジャンル)を否定しないで!」③「置いていかないで! 私と一緒に我慢してよ!」結論→自分と他人の課題を切り離す】という記事。
「Twitterで別ジャンルの絵を描いてたり、別ジャンルの話で盛り上がっていると、なんかチクチクとエアリプしてくる人がいるんです。『○○(作品名)って今話題になってるけど、パクリっぽいしつまらなそうだし1回も見たことないわー』『私は他ジャンルに浮気はしないけどね、人として(笑)』みたいな感じで。最初はスルーしたけど、毎回言ってくるからこれ明らかにエアリプなんだと思います。イヤならリムってほしいんだけど、なんでわざわざイヤミみたいなこと言うんだろう。Twitterでも居心地が悪いんです……」
というお悩みについて考えてみた記事。
ほとんどのオタクって、仲間が別ジャンルにハマっても「あー、さみしいな……でもこればっかりは他人がどうこう言えることじゃないししょうがないよね」くらいの感じ。諸行無常を知ってしまっている。
でも「他ジャンルの話絶対許さないマン」って、たまにいる。自分もイヤミを言われた経験がある。
それってどういう心理なのかを考えてみた。
他ジャンルの話絶対許さないマンの心理を考えてみた
「自分に分からない話をされるとムカつく」
まわりが自分の分からない話で盛り上がっていると、あからさまに不機嫌になる人っている。
自分もTwitterで「フォロワーに分からない話をしないでほしい。みんなが不快に思います。フォロワーが多い人(※500くらいです)は影響力があるのでもっと気をつけるべきなのでは?」と(クソ)リプをされたことがある。
要するに「私はその話分かりません! 私に分からない話をしないで! ヤダヤダつまんない!」ということなんだろう。
それを「みんなが不快に思う」などと主語を大きくしてなんとか説得力を持たせようとして、どうしても自分に分からない話をやめさせたかったのだと思う。
これって根底に劣等感や疎外感、それに対する焦りがあるように感じる。
だとしたら相手の中に原因がある話だから、こちらが話を合わせてやる義理はないということになる。
マラソン大会で「一緒に走ろう、一緒にゴールしよう」とか言われたって、自分がそれより速いペースで走りたいなら合わせてやる必要はないのと同じで。
「自分の好きなものを否定された気がして悲しい」
また、自分の好きなものが飽きられた、または否定されたみたいで悲しい、というのもあるのかもしれない。
「好きなものをけなされると、自分のことをけなされたような気がする」というのは誰でも当たり前にある心理のように思う。
気持ちは分からないでもないけど、別に「もう前ジャンルなんて飽きたわー」とか「もう前ジャンルなんて嫌いだから読まないし二次創作もしない!」と言っているわけではない。
「赤が好き」と言っただけで「青が嫌いってことですね!!! 戦争だ!!!」とか言われても困ってしまう。
これも相手の中に理由があるわけで、こちらが気を遣ってやる必要も義理もない。
「自分は我慢してこのジャンルにいるのに」
以前いたジャンルの供給が止まり、公式も動かなくなったときのこと。人は減り、残っている人もそれぞれ別ジャンルにハマりつつあった。
そこでも「私はこのジャンルは好きだからつらいけど我慢して待っている。他のジャンルには絶対浮気しない! だからみんなも我慢するべき。ズルして逃げるのは許さない」みたいな人がいた。
「今日も供給ないけど私は絶対他のジャンルの話はしません! オタクはそうあるべき!」とか「別ジャンルの話をしてる人見ると気分悪くなる……悲しい……あーあ」とか毎日言っていて、「なんかこの人しんどそうだな……我慢大会か?」としか思えなかった。
自分はいろんな話もしたかったし、「あーあ、気分悪い」とか言われるのもうっとうしかったのでブロックでさよならした。
なんでそんなにしんどそうになってまで、今のジャンルにこだわるのか。
「節操がないのはみっともない」
その人にはもしかしたら「一度好きになったものはずっと好きでい続けるべき」という思い込みがあるのかもしれない。
人には【一貫性の原理】というものがある。
人は自身の行動、発言、態度、信念などに対して一貫したものとしたいという心理が働く。一貫性を保つことは社会生活において他者から高い評価を受けるという考え(中略)があるといわれる。
Wikipedia 【一貫性の原理】
子どもの頃によく言われる「一度始めたら最後までやり通すことが立派」というのを真に受けて、無意味なことまで続けないといけない呪いにかかってしまっているのかもしれない。
それって本人の呪いであって、こちらには関係ない。
「さんざん好き好き言ってたので醒めたと思われるのが恥ずかしい」
「一生△△くんが好き! 一生描き続ける!」みたいなことを言っていた手前、「あ、醒めて別のジャンルにハマったのね笑 一生って言ってたのはどうなったの?笑」と思われるのが恥ずかしいっていうのもあるのかもしれない。
醒めても全然いいと思うし、別ジャンルのコレもいいよね、アレもいいよねってするのも全く問題ないと思うのだけど。
これも【一貫性の原理】で、「言ってることがぶれるのは立派なことじゃない、恥ずかしい」という気持ちが働くのかもしれない。
それもまた当人だけの問題で、こちらが迎合する必要はない。
「今まで注ぎ込んだ金や労力がもったいない」
オタクをやっているとジャンルごとにお金がかかる。
知人に「フィギュアとかグッズとか同人誌を部屋いっぱい集めたから、ジャンルを去るとこれが全部無駄だったのかってことになる。そう思うと怖くてジャンルを去れない」と言っていた人がいる。
分からないでもない。決して無駄というわけではないけど「こんなに金と労力を使ったのに、今私は他のジャンルでまた一からこれを繰り返そうとしているのか……?」みたいな、賽の河原みがある。
これもまた本人だけの問題で、こちらが気を遣ってやる義理はない。
自分と他人の課題を切り離して考える
攻撃的な言葉を使うということは、それだけ相手は手負い、瀕死、必死、ということ。
でもそれは相手の問題だから、こちらが取り合う必要はない。
他人が不機嫌だとつい相手の様子を伺ったり機嫌をとったりしたくなってしまうけど、それってストレスだしめんどくさい。心理学でもよく「自分の課題と他人の課題を切り離して考えよう」と言われる。
- 「私に分からない話をしないで!」
- 「私の好きなものを否定しないで!」
- 「私も我慢してるんだからみんなも我慢するべき!」
こういうのはあちらの心の中の問題なので、今はすべて「あらあら、たいへんねえ」もしくは「知らんがな」にしている。