昔からみんなが苦手なものを好きになりがちで、話したいけど話題に出すのが申し訳なく感じてしまう
万人受けしないものにハマりがちで、Twitterなどで話題にしにくい
と悩んでいる人向け【広いSNSの中なら同じ趣味の人と出会おうと思えば出会えるし、人の好みは移り変わるってこともあるのではないか】という記事。
※Twitterでいただいた悩みに関して自分なりに考えてみたものです。
小学生や中学生の頃の自分は「私はまわりの人たちとは違うんだ」と思いたくてニッチなほうへニッチなほうへと行きたがる傾向があった。思春期あるあるで「みんなとは違う特別な何か」があると信じたかったのかもしれない。「自分は万人受けする大舞台では勝負できないから小さい世界に引きこもってお山の大将でいよう」みたいな気持ちも、今思えばあったように思う。
それでいて「この趣味を共有できる友達がいなくて寂しい」と「でもこれの良さが分かるのは自分だけだから安易に共感されたくない」の板挟みになることもあった。「共感されたくない」「分かられたくない」みたいなのも思春期によくあるただのこじらせだったのだろう。
自分でダブルバインドを作り出して自分からそれにはさまりにいって苦しんでいたの、今思うと笑っちゃう以外のなにものでもないけど当時は気づかなかった。
「同じ趣味の友人がいなくて寂しい!」
「同じ趣味の友人がいなくて寂しい」という愚痴は、大学生の頃によくグチグチと口に出していた。
大学生の頃にある劇団にハマっていて連日一人で通っていたことがあった。そのときも周囲に「この劇団の良さが分かる人が他にいなくてさ〜、あーでも普通の人にはわっかんないか〜、語れる友達欲し〜」と謎のマウントみたいな愚痴(?)を言っていた。
あるとき私の謎の愚痴マウントをいつも聞かされていた被害者の友人から「その公演に来てる客はあなた一人なの? 違うでしょ? そんなに分かり合える友人がほしければそこで話しかけたりして友人作ればいいじゃん。それはできないんでしょ? まわりを見下した言い方やめなよ」と言われて、当時の自分には言われている意味が分からなくてギスって疎遠になった。
今なら友人の言いたかったことがちゃんと分かるし、その通りだと思う。
「自分は特別な人間だから、これの良さが分かるのは私だけ。他のやつらは安易に共感すんな」というオーラを出しつつ「語り合える人いないわ〜、これの良さ分かる人いないわ〜」と言っていたようなものだった。我ながら痛々しい。
「とは言え同じ趣味の人には負けちゃうから、友達になりたくない」
先の友人(向こうは私のことを友人だなんて思っていなかっただろうけど)が「そんなに分かり合える友人がほしければそこで話しかけたりして友人作ればいいのに、それはできないんでしょ?」と言ったときに、痛いところを突かれた気がした。だから私が過剰に反応してギスった。
当時の私は本当に語り合える友人が欲しかったわけではなく、単に「こんな特別な私と話が合う人なんていないよなァ!? ッカ〜、誰にも理解できない特別な私は孤独だわー」と言っていたかっただけ。本当に寂しかったわけではないんだと思う。
劇場に通うようなコアなファンにはとうてい知識量でも熱量でもかなわないので、はなから話しかけるつもりも勇気もなかった。
畑違いの場所で、自分がいちばん詳しい状態で、傷つかない安全地帯で、気持ちよく一人でペラペラ喋っていたかっただけだった。
当時にSNSがあったとしても、たぶん私は畑違いのジャンルに引きこもったまま「あーここにはこれ分かる人いないかー笑 語りたいから布教したいんだけどなー笑」とか言うだけだっただろうなあ……。
ニンジン専門の畑で「なんだよこの畑、ジャガイモが獲れないとか終わってる〜ジャガイモとか知らんの?? うわ〜終わってる〜俺が教えたるわ〜」とジャガイモの良さを延々語っている(しかもにわかだから上っ面のみ)ようなもので、まさに文字通り不毛だった。
結局は全部、自分の変なプライドのせいだったんだな
どうやってそういう地獄みたいな状態から脱せたのかというと、年齢を重ねたというのがやはりいちばん大きいと思う。
社会に出て恥をかいて、自分はたいした存在ではない、全然特別じゃない、ということがやっと分かってきたんだろう。
今もし「同じものを好きな仲間がいなくてつらい、なんで自分はいつも一人ぼっちなんだ……」という悩みがある人は、自分が果たして本当に本気で同じ趣味の仲間を欲しているのか、本気で探したいのかどうか、かえりみてもいいのかもしれない。それならそれで別に悪いことでもないし、直さなきゃいけないわけでもない。
ただ、もし謎の孤独や生きづらさを感じているとしたら、気づけば解決するからスッキリするよねというだけの話。
オタクの友人がまだ個人サイトの時代に「蛇の道は蛇。とっかかりさえ見つければ芋づる式に慎重にたぐっていって同志にきっと出会える。見つからなければ再度ニオイを辿り直せばいい。さっきまでには誰もいなかった道にも、今通れば新たに誰かがスポーンしているかもしれない。」と言っていたことがあった。今よりまだまだ個々のオタクの発信の数が少なかった時代のあの言葉を思い出すと、今もなお勇気づけられることがある。
今はSNSがあるとは言え、単に今使っているSNSで検索すりゃいいというわけではなく、自分と同じニオイを戦略的に探していく必要はあるのかもしれない。