Twitterで【お気持ち】を表明すると、どうして嫌われるのか?

最近よく見るネットスラングの【お気持ち】ってどういう意味?

Twitterで【お気持ち表明】すると揶揄されたり嫌われたりするのはどうして?

と疑問に思っている人向け【お気持ちって何? Twitterでお気持ち表明するとどうして嫌われるのか?】というのを自分なりに考えてみた記事。

Twitterで見かける【お気持ち】という言葉があって、「オタクのお気持ち表明うざい」とか「うわー、また公式にお気持ちリプライしてる人いるよ……」とか「めんどくさいお気持ちマシュマロ届いた」みたいな感じで使われることが多い。

「もしかしたら自分も【お気持ち】言っちゃってるのかな……」と不安になったので、

  • どこまでが【気持ち】で、どこからが【お気持ち】なのか
  • 【お気持ち表明】はどうして嫌われるのか

について考えてみた。

【お気持ち】とは?

※【お気持ち】はいろいろな使われ方があるので、この記事では特にこんなタイプの【お気持ち】に絞って考えてみました。

【お気持ち】はネガティブな【気持ち】を書き表したもの

【お気持ち】というのは文字通り、その人の気持ちを書き表したもの。(ただし、ネガティブなもの)

「気持ち」に敬意を表す接頭語である「お」をつけたもので、「はいはい、大した者でもない人がなんか言ってるよ」みたいに発言者を揶揄するような雰囲気をかもしだしている。(と、個人的には感じる。)

例えば公式の有料コンテンツに対してのこんな感じのリプライを「あーあ、また公式に【お気持ち表明リプライ】してる人がいるよ……」みたいに言ったりされている。

お金を払って視聴したのに期待外れで悲しい気持ちになりました。無料ならまだしも、こっちはお金を払っているんですよ? がっかりですせっかく楽しみにしていたのに気持ちを踏みにじられた気分です※太字は書き手の【気持ち】を表している部分

では、どこまでが【気持ち】でどこからが【お気持ち】なんだろう?

では【気持ち】と【お気持ち】のさかいめってどこなんだろう? と自分なりの線引きを考えてみた。

※これはあくまでも自分の感覚なのでご了承ください。

例えば「誰々が結婚した」というネットニュースについて自分の気持ちをコメントする場合。

「へえー、おめでたいじゃん!」

→【気持ち】だけど【お気持ち】ではない。

「誰それ知らん、そんな人のニュース興味ない」

→【気持ち】だけど【お気持ち】ではない。

「そんなニュースより報道すべきことがあるはず、今どこどこの国ではこういう政変が……」

→【気持ち】だけど【お気持ち】ではない。

「ファン(と言っても自分のこと)が傷つくからこの記事は削除してほしい」

→【お気持ち】っぽい?

「結婚できない人が不快な気持ちになるからもっと配慮すべき」

→【お気持ち】っぽい?

「私、この芸能人がどうしても生理的にダメで……写真が不愉快で朝からいやな気持ちになってしまいました(汗の絵文字)申し訳ないけど二度とこの芸能人のニュースは載せないでほしいです(お辞儀の絵文字)」

→慇懃無礼なイチャモン&【お気持ち】っぽい?

自分の【気持ち】を守るために他者に(利益や都合を無視して)要求をしたり、【気持ち】の主語を自分以外に広げて大きくしたりすると、なんとなくよく見る【お気持ち】っぽくなる気がする。

この線引きで言うと前述のこのリプライは微妙なのだけど、

お金を払って視聴したのに期待外れで悲しい気持ちになりました。無料ならまだしも、こっちはお金を払っているんですよ? がっかりですせっかく楽しみにしていたのに気持ちを踏みにじられた気分です

「私をがっかりさせないように配慮すべきなのに私をがっかりさせましたね? がっかりです」みたいな、暗にムリな要求をしている感じ? が【お気持ち】っぽいのかもしれない。分からないですけど。

【お気持ち】が嫌われる理由

ただ単に自分の【気持ち】を表明しただけならば、それに対して賛否両論はあったとしても「あの人やーねー、自分の【気持ち】なんか表明しちゃってさ(ヒソヒソ)」なんてことにはならないと思う。

けどそれが【お気持ち】になったとたん、「あらやーね、【お気持ち】言ってるわよ(ヒソヒソ)」になってしまうのはどうしてなんだろう。

「私を不愉快にさせた責任を取れ」という横暴さ

上で考えてみたところ、【お気持ち】の場合、たとえ言葉は一見ていねいでも「私を不愉快にした責任を取れ」「私だけじゃなくて、みんなそう思っていますよ! (だから私の言う通りにしなさい)」みたいな要素が強いのかもしれない。

「私を不愉快にした責任を取れ」と言われても、個人の気持ちというのは他人にはどうしようもないもの。さらに、一人一人それぞれの【気持ち】に配慮していたのではコンテンツなど作れないし、SNSもできないし、引いてはこの世で暮らしていけない。

自分の【気持ち】に関して他人に責任を取らせようというのはどうしても無理がある。

【お気持ち】というのはその無理難題を要求しているので、まわりには「横暴だ」と受け取られるのではないだろうか。

「私の気が済むまで謝罪し続けろ」という横暴さ

【お気持ち】をぶつける人は「ここをこう修正してほしい」とか具体的なものがあるわけではなく「私の不愉快の責任をとってなんとかしてほしい」わけなので、謝罪や補償(だけ)で済まないことが多い。

だから、謝罪されても損失を補填されても「私の不機嫌が収まるまで」無限にゴネることができる、ということになる。

先日私が購入して観ていたとある有料配信で途中で止まってしまう不具合があって、「これは公式アカウントに抗議が殺到しているのかもな」と思って覗いてみると予想通りだった。

【要望】と【抗議】と【ねぎらい】と【お気持ち】が入り混じっているという感じ。

「途中○時間○分で配信が止まってしまいました。可能であれば後日改めて配信をしてもらいたいです」(報告と要望)

「いいところで止まったんだけど!? そりゃないでしょ! 対応してくれるよね!?」(感情的な報告と抗議)

「急きょ決まった配信だったのでスタッフのみなさんはいろいろ準備も大変だったと思います。私は現地に行けなかったので、ここまで観られてありがたかったです」(ねぎらい)

「お金を払っているのにこの仕打ちはどういうことですか? がっかりです。謝罪もないんですか? これではユーザーの気持ちが収まりません」(お気持ち?)

「ユーザーは許しませんよ」みたいな主語の大きい言いかたから始まって(私もユーザーだけど「一緒にしないでくれ! それはユーザーの総意ではありません!」と思った)、公式から謝罪があっても「謝罪すればいいと思っているんですか? それで結局どうしてくれるんですか?」と、一向に攻撃は収まらなかった。

結局、公式はすぐに再配信をしてくれたんだけど「再配信されても気持ちが踏みにじられたのは変わらない」というような意味のことを言って、最後まで公式を非難し続けていた。

謝罪はあったのに、再配信を約束してくれたのに、さらにその予定を繰り上げて素早い再配信を実施してくれたのに、それでもまだ収まらない……。

いやいや、じゃあどうしろっていうんだよ……と当事者でもないのにドギマギしてしまった。

「私の気持ちが収まるまでサンドバッグになれ、私の機嫌をとれ、謝罪し続けろ」ってことかい?

店員に土下座をさせる悪質クレーマーのニュースがあったけど、あれと似たものを感じてしまった。

あの悪質クレーマーにも世間からのバッシングが殺到したけど、世間って横暴なものに対してかなりシビアな目を持っている。横暴さは平和を揺るがす捨て置けない要素だから。

一般的に【お気持ち】が嫌われるのって、【お気持ち】の中に隠れた横暴さを敏感に察知するからなのかもしれない、と思った。

「私はユーザーとして正しいことを言ってあげてる」という横暴さ

つまり【お気持ち】というのは平たく言えば「わたしふきげんになったの! せきにんとってよ!」という感じなんだと思う。

しかし、この二歳児のような要望をそのまま言うのはあまりにも恥ずかしいので、何重にも、もっともらしい理由で武装していることが多い。

「みんなが迷惑するんですよ(本当は自分が許せないだけ)」とか、

「有料配信でこの不手際はユーザーを舐めているのでは?(本当は自分が許せないだけ)」とか、

「わたしふきげんになったの! せきにんとってよ!」という感情を、「私は一人のユーザーとして、あなたのためにまっとうな指摘をしてあげています」という大義名分でくるんでもっともらしく、反論しにくい形でご提供される。

【お気持ち】を目にした人がモヤモヤしてしまうのは、「もっともらしいこと言ってるけど、結局あんたがそれを許せないっていうだけでしょ」と感じるからなのかもしれない。

【要望】なのか【抗議】なのか【お気持ち】なのか

なるべく自分は【お気持ち】を言いたくないな……とは注意しているつもりけど、きっと大なり小なり無意識のうちにいろいろ言っていると思う。

そもそも、それが【気持ち】なのか【お気持ち】なのかなんてはっきり線が引けるわけでもないので、自分ではそのつもりがなくても受け取る人によって「【お気持ち】うざい!」と思われたりもするだろうし。

ただ自分の気持ちや意見を表明するときに、

今私は「わたしきげんわるくなっちゃった、せきにんとってよ!」っていう二歳児レベルのカンシャクを、もっともらしい言葉でくるんで他人にぶつけようとしていないだろうか?

というのは、一呼吸置いて考えていくことにしたい……と、この記事を書いていて思った。

「だってお金払ってるんだしこれは正当な主張だよ」

「だってルールは守るべきだしみんなが迷惑してるからハッキリ言わなきゃ」

「だって本来こうあるべきでしょ? それとズレてるからこれは直すべき」

と、一見もっともらしい理由がある(ように思える)とき、「〜するべき」と言いたくなったときほど、

これって【お気持ち】になっちゃってないか?

「みんな」って言うけど「みんな」って誰だ?

「こうあるべき」は本当に「こうあるべき」なのか?

と立ち止まって考えるようにしていこうと思った。

それでも言いたければ言えばいいし。

受け止める側の人に申し訳ないのもあるけど、もし【お気持ち】をぶつけちゃってたら何より自分で自分が恥ずかしいなと感じる。もういい歳ゆえに、後から「鼻息荒くあんなこと言って恥ずかしかったな……」と気づいて身もだえるの、いい加減こりごりしているので……。

最後ほとんど自問自答というか自戒になってしまったけど、人の振り見て我が振り直しまくりたい所存です。

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