絵描きに「あなたの絵、誰々の絵に似てますね」と言うのは失礼なのか

絵描きに"誰々の絵に似てますね"って言うのって失礼なの? 褒め言葉として言ったんだけどそれでもダメなのかな? どうして嫌がるんだろう?

という人向け【絵描きに"誰々の絵に似てますね"というと、どんな気持ちを抱かせるのだろうか。】と考えてみた記事。

Twitterでたまに「"誰々の絵に似てますね"と言ったら絵描きにキレられた。褒めたつもりなのになんで? それ以来めんどくさいから絵描きに感想送るのやめました」みたいな話題が上がり、そのたびに、

「それは言うほうが悪い。"誰々の絵に似てますね"ってめっちゃ失礼だからね!?」

「私は嫌じゃない、むしろ言われたら嬉しいけどな〜」

みたいにひとしきり意見が飛び交って「まあ、人それぞれってことで」で終わってしまう。

この記事では、

  • 「誰々の絵に似てますね」のどこがどう不愉快にさせるのか
  • 気にしない人はなんで気にしないのか、嬉しい人はなぜ嬉しいのか

ということについて考えてみた。

※結論としては「ルールなんてないのだから、言いたければ言えばいい」です。

「誰々の絵に似てますね」と言われるのがイヤな場合もある

「パクリ疑惑をかけられているのか?」と身構えてしまう

最近は「パクリ・盗作」に対して描く人も見る人も過敏になってきているように感じる。

SNSで絵を描くのは李下に冠を正しまくっているようなものなので、故意にではなくても似てしまい、疑われることもある。このあたり、絵描きなら誰でも少なからず気をつけていると思う。

自分も「知らないうちに既存のものに似てしまっていないだろうか」ということについてはかなり神経を使っており、「似てますね(=パクリでは?)」という言葉に過敏になっている部分はある。

「誰々の絵に似てますね」がイヤだというより、こわい。自分の場合はこの理由がほとんど。仕事で絵を描いた経験も少しあるため「パクリ疑惑をかけられること」に対してよけいに過敏になっている。

この不安が強いために、「似てますね」という言葉に対して強い拒否反応や場合によっては怒りを感じてしまう人もいるのかもしれない。

「オリジナリティがないってことか?」と不安になる

ポーズや絵柄や構図には流行りがあるから似たものは出てくる。それでもなんとか自分なりの表現をしたくて、絵描きは絵を描いているのだと思う。

これは日々でかい木材から少しずつ彫り出すようなもので、一朝一夕に型破りで個性爆発の表現なんて生まれない。型破りで個性爆発の表現を生み出したぞ! と思ったとて、「この型破りな感じ、誰々の絵に似てますね!」と言われたりする。

「誰々の絵に似てる」で片付けられてしまうのは、自分が絵を描く理由の大きな部分を否定されることになってしまう。

「は? そんなの、お前にオリジナリティ無いのが悪いじゃん! それを突きつけてやりてえんだよ!」ということであれば、言えばいいと思う。

「あんな絵と一緒にしないでほしいんだけど」と微妙な気持ちになる

微妙な芸能人に似てるねって言われると微妙な気持ちになるのと一緒で、「あんな絵と一緒にされたくない」と感じる人もいるのかもしれない。それが嫌いな絵描きならなおさら。

たとえ「あなたかわいいね、橋本環奈ちゃんに似てるね!」と言われても、本人が橋本環奈ちゃんのことをそんなに好きじゃない場合「えー、一緒にしないでほしいんだけど!」と思うかもしれない。(書いてて思ったけどありえないなこのたとえ……)

どんなに素敵なものを引き合いに出されても自尊心マックスだとすべてが自分以下になってしまう現象は、思春期くらいだとありがち。

「誰々の絵に似てますね」が嬉しい場合もある

人によっては「誰々の絵に似てますねって言われるとむしろ嬉しいけどな〜」という場合もある。

自覚的にその人に影響を受けているから嬉しい

憧れの絵描き(プロでもアマでも)がいて、その人の画風が好きで自覚的に影響を受けている場合。似てるねと言われれば「やっぱり分かっちゃいます!?」みたいに嬉しく感じるかもしれない。

自分は似顔絵を描く絵描きなのだけど、和田誠さんが好きで影響を受けている。もし「なんとなく作風が和田誠っぽいですね」と言われたら嬉しくて嬉しくて舞い上がってしまうと思う。(なお言われたことはない)

自分が誇りを持って通ってきた道だから、自分のことも、自分の憧れの作家も、両方褒めてもらった気持ちになれるというか。

そんなにじっくり私の絵を見てくれることが嬉しい

最近自分は「私の絵をそんなにじっくり見ていろいろ考えてくれるなんて、それだけで嬉しいな」と感じることもある。

「私はあなたの絵をじっくり見て、自分が知っている他の絵描きと心の中で並べてみたりして、誰々の絵と似てることを発見するくらいじっくり見ましたよ」ということだと思うからだ。

なんとも思わない場合もある

最近って、絵描きも作風も多様化しまくっていて、「誰々の絵に似てますね」と言われてもその誰々を知らない、ピンとこない、ということも増えてきていると思う。

無関心な畑違いの絵描きと比べられても、競争心とか張り合う気持ちが生まれて来にくい。

検索して「ああこの人か〜、え、似てるかな? よくわからないや」で終了したり、「へえ、ほんとだちょっと親近感わくなあ」と好意を持ったりすることもあるだろうし。

相手によって受け取りかたが違う場合もある

難しいのは、言われる相手や状況によって受け取り方も変わることだと思う。

信頼している絵描き仲間に言われると「自分では気づかなかったけどそうかも」と納得できるけど、通りすがりのROMに言われるとモヤッとしたり。かと思えば「信頼していた絵描き仲間にこれを言われてショックを受けて絶縁した」という人も知っている。

それに、「○○さんの絵に似てますね」と言われると嬉しいけど「△△さんの絵に似てますね」と言われると不愉快、というのも当然あるだろうし。

結論:人それぞれ、場合によりけりとしか言いようがない

この記事を書き始めたときから分かっていたけど、結論としては、

  • 「誰々の絵に似てますね」と、どうしても言いたければ言えばいい。
  • しかし感じ方は人それぞれ、場合によりけり。

としか言いようがない。

ただ「どう受け取られるか分からないから、仲良くしたい相手とか好意を伝えたい相手には"誰々の絵に似てますね"は言わない方が無難なんじゃない?」とは言える。

「似てますね」以外に褒めかたが分からないだけなのかも

そもそも、せっかく褒めたいのに「似てますね」という言葉ってあまりにも表現力がアレでもったいない気がするのだけど、他の誰かを引き合いに出さないと褒められない人もいる。「何かを褒めるときに何かを貶さないと褒められない人」の逆のようなもので。

自分もかつてはそうだったけど、意識して直すようにしている。

具体的には、「ここが似ている」で終わらせず「それでもなお違うところ」を見つけるようにした。

似ているところではなく違うところを探すようにした

他の絵描きに影響を受けていない絵描きなんて絶対にいない。その人が多くのものから影響を受けて、その人なりに濾し取ったものが作品になっている。

たとえ同じ漫画家に影響を受けた複数の絵描きがいるとしても、濾し取りかたによって全然違うものになる。

そこの濾過フィルターこそが個性だということになる。

自分も「この人の絵、誰々さんの絵に似てるな」と思うことはあるのだけど、そういうときは「似ている部分」ではなく「違う部分」を探してみることにしている。

それは絵以外でも、どんなことでも。

たとえばVtuberさんが好きでいろいろな人を見ているのだけど、最初は「この人とこの人、声が似てるな。デザインもちょっと似てるしコラボしたら分からないかも」と思うことがあった。でも注意深く見続けていると細かな違いが分かってきて、今となればなんで似てると思ったのかすら分からないくらい、自分の中では全然違う二人になっている。

一段深く知ることができたような、世界の解像度が上がったような、なんとも言えない喜びを感じたのだよね……。

うわべの類似性ってパッと目が行きがちなのだけど、そこで安易に「似てるね」で済まさずにもうしばらく見てみることで、物事ってより面白くなるのかもしれないなと感じた。

「似てるね」しか褒めかたが分からない……という人は、「違う部分」を探してみることで自分も楽しいかもしれないです。

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