似顔絵を描いてプレゼントされても嬉しくない(という人もいる)理由

プレゼントに似顔絵を描いて贈りたいけど、どうなんだろう。似顔絵ってもらっても嬉しくないんじゃないかな……?

と迷っている人向け【似顔絵描きをしていた経験から「似顔絵を描いてプレゼントされても嬉しくない人もいる」と感じています。ただの自己満足になっていないか、よく考えるようになりました】という記事。

自分は以前デザインの仕事をしていて、その頃に似顔絵の仕事もちょいちょいあったのだけど、「似顔絵って名刺やSNSアイコンには有用かもしれないけど、プレゼントとしてはどうなんだろう……?」と感じるようになった。

  • 似顔絵をプレゼントされても微妙になってしまう理由
  • どんな似顔絵なら嬉しいのか

ということについて、似顔絵を描いていた絵描きの観点から考えてみた。

「似顔絵をプレゼントされても微妙…‥」になってしまう理由

幼稚園児のときに「敬老の日に感謝を込めておじいちゃんおばあちゃんの似顔絵を描きましょう」とかって描かされたりして、それをおじいちゃんおばあちゃんたちはたいそう喜んでくれて、「似顔絵=愛情&感謝の気持ちの表れ=尊いもの」みたいな、不可侵な感じってある気がする。(個人の感覚です)

逆に「似顔絵もらっても困る…‥」というのって、下手だろうが意に沿わなかろうが似てなかろうが趣味に合わなかろうが、愛情や感謝のこもった尊いものだから喜んで受け取らなければならない、みたいな感覚だからなのではないか。と思う。

それプラス、こんな要素もある気がしている。

  • 捨てにくい
  • リアクションに困る
  • 似顔絵自体が苦手
  • 自分の顔が嫌いだから描かれたくない

捨てにくくて処分に困る

似顔絵に限らず、実用性のないプレゼントをもらっても困ることが多い。

曲がりなりにもいっときは似顔絵を仕事にしていた自分が言うのもなんだけど、似顔絵って「お土産にもらった置物」に近いと思う。実用性がなく、飾るorしまい込むの二択しかしかない。飾るにはよほど趣味が合わないと難しいし、しまっておく場所にも困るし、かといってもらった以上捨てにくい。

「似顔絵って捨てにくくて困る。人がせっかく描いてくれたものだし、ましてや自分の顔だし……どうしたらいいかな? 描く人の立場としてどう思う?」と相談されたことも何度かある。人形供養の相談を受ける住職みたいな気持ちになった。

そのときは「花と同じで、もらっていっとき楽しんだら写真に撮って残すなりして紙は処分してもいいのでは?」とお答えした。

たとえば敬老の日に、プロの似顔絵描きさんに依頼した「おじいちゃんありがとう、長生きしてね。感謝!」みたいな似顔絵を贈ってもらったとする。それはお金をかけてあつらえてもらった花束みたいなものと考えて、その場のにぎやかし+いっとき眺めて楽しむ。気に入って取っておきたければ取っておけばいいし、そうでなければ写真で残すなりして処分する、でもいいのではないかと思う。

リアクションが難しい

似顔絵を受け取るときって、リアクションに困るというのもある。

顔の欠点を誇張して描いてあっても、逆にめちゃくちゃ美化して描いてくれてあっても、なかなか反応が難しい。

「似顔絵を描いてくれたの〜? こんなに美人に描いてもらって〜笑! うわ〜嬉しい〜!」とか「え〜! これ私!? でも口元とか似てるかも〜! 似顔絵とか初めて描いてもらった〜!」とかなんとか、テンション高めなリアクションをしないといけない気がしてしまう。

似顔絵を受け取って微妙なリアクションをすると「あれ? あなたの似顔絵を描いてあげるほどのこの愛情が嬉しくないの……?」「あれ、ご不満? もっといい顔に描いたほうがよかった?」みたいな空気になったりして、それも耐えがたい。

似顔絵自体に「気持ち悪い」と感じる人もいる

そもそも、似顔絵自体が「気持ち悪い」と感じる人って一定数いると思っている。

これは自分が似顔絵の仕事をしてみて、「似顔絵ってなんかキモいんだよね」「鳥肌たつ。苦手」みたいな声を耳にしてきた経験から。(自分の描いたものをけなされたのではなく、似顔絵全般に対する声)

絵というのはすべて三次元を二次元に変形(デフォルメ)するもので、そこには必ず絵描きの主観が入っている。現実と絵ではどうしても乖離が生じるため、そこのズレの「気持ち悪さ」は起こり得る。

モノマネ番組を観ていて「似せようとしてるけど似せきれてなくて寒い」と感じることがあるような、あんな感じ。逆に全然似せようとしてないモノマネなら寒くない、みたいなこともある。

二次創作を見るのが苦手な人にとっての二次創作にも通じる感じかもしれない。

自分の顔が嫌いな人は似顔絵を描かれるのも嫌かもしれない

いちばん難しいのが、自分の顔が嫌いな人だと思う。

自分が仕事で似顔絵を描いていたときは、このケースがいちばん重かったように感じる。

「社員全員に自分の似顔絵入りの名刺を持たせる」というのが一瞬流行って、自分もそういう仕事を何度かお受けした。これって、似顔絵描かれるのが嫌でも強制的に似顔絵を描かれてしまう。

「自分の顔が嫌い」にもいろいろある。

  • 自分の顔を見るのが恥ずかしい、苦痛だ、という"全拒否"タイプ
  • 写真や似顔絵が自己イメージと違うとパニックになってしまう"描かれるのが怖い"タイプ
  • 自撮りはするけど、何百回と撮り直して自分の納得のいく写真しかSNSに載せない"自分の顔にこだわりがある"タイプ

「資料用にはっきり顔が写った写真をください」と何度お願いしてもはっきり顔の写った写真を送ってくれない人や、出来上がったものを見たがらない人、「似顔絵を描かれて不愉快です」という態度を隠さない人もいた。

自分も自分の顔が苦手な人間だから気持ちはよく分かる。

この場合は「会社で名刺を作るから似顔絵を描かれるのも業務の一環」ということで割り切るしかないけど、これが「プライベートで大して心を許していない知人が、絵が得意だからっていきなり似顔絵を描いて寄越してきた」とかだとかなりしんどそう。それきっかけでミゾができそう。

「似顔絵をもらってうれしい」と感じる例外もある

以上のことから、似顔絵って基本的に「もらっても困るもの」だと、似顔絵を描くものとして心に留めている。

ただ、強力な「例外」があると思う。

それは、我が子とか、孫とか、思い入れの強い教え子とか、ごく親しい友人とか「大切な人に描いてもらった似顔絵」。

自分の顔が嫌いで似顔絵が苦手な自分も、いまだに大事にとってあって見返すと嬉しくなる似顔絵がある。

それは、いつも気遣ってくれていた仕事仲間が手紙をくれたとき、最後に小さく似顔絵を添えてくれてあったもの。決して上手ではないし似ているわけでもないけど、私のちょっとしたクセをとらえて描いてくれたものだった。「私のこんなところまで見てくれているんだ」と、見るたびに嬉しくなる。

似顔絵の価値は、上手い下手よりも、描いてくれた人との関係性にあるのだと思う。

似顔絵って、大切な相手からの、「あなたのこういうところが好き、いとおしく思うよ」という、気持ちのほとばしりこそが嬉しいんじゃないか。

それがない場合、もしくはこちらにはあっても向こうがそれを感じない場合は「もらっても困るプレゼント」になってしまうこともある。ある意味残酷で難しい贈り物かもしれない。

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