【マシュマロが来ないとき】私はどんなふうに考えてどう行動してきたか

マシュマロを募集しているのに全然送ってもらえない。私の絵ってそんなに魅力ない?それともフォロワーさんに嫌われているのかな?他の人はたくさんマシュマロもらってて、それを見るとイヤな気持ちになってしまってつらい…‥

という人向け【マシュマロが来ないときどう考えれば楽になるのか、どんな行動をしたらいいのか】という記事。

「がんばって描いた絵に感想が欲しいのに、誰も感想をくれない……」という経験を、自分も長いことしてきた。自分の時代は個人サイト全盛だったから感想ツールといえば「web拍手」で、拍手が来ないことを「パチこな」、感想が来ないことを「かんこな」とか呼んでいた。

そういった経験を何年かしてきた上で、「描いたものに反応(今だとマシュマロなど)が来ないときにはどんなふうに考えてどんなふうに受け止めて、どんな行動をしていったら楽になるのか」ということについて、自分なりに考えてみた。

まずは、感想やマシュマロを送りやすい工夫をしてみた

大前提として、「他人の絵に何かしらの感想を文章で送る」っていうのはなかなかに難しい。それはたとえ匿名で送れるマシュマロでも同じことだと思う。

普段から創作していて、自分の中のものを形にして出力するのに慣れている人にとっては普通のことでも、そうでない人にとって「感想を書いて送る」というのは苦手だったり難しかったりする。

自分が感想を送る側だったらどんな感じだと送りやすいか、逆にどんな感じだと送りにくいのか、というのをさんざん考えてきたのだけど、その結果、「こんな工夫をすることができるかもな……」と思い至っている。

  • 具体的に「何についての感想が欲しいのか」を表明する
  • 誰でも参加しやすいテーマで雑談してみる
  • 話しかけやすい雰囲気って大事なのかも?(これは分かりません)
  • 感想をもらったら返事をする
  • 絵にテーマやツッコミどころを持たせる

詳しくはこちらの記事に書いています。

と、いろいろと心を砕いて工夫しても、それでも感想が来ないことはある。

というか、そう簡単には来ない。

それでもマシュマロが来ないときはある。というか来ない。

心を砕いて工夫して、それでもマシュマロが来なくて、そこからが長い。そこからが悩みの本番になる。

何年も何年も感想が来ない時期にあれこれいろいろと試して行動してみたのだけど、そのうち自分に効果があったものを挙げてみる。

※これはあくまでも自分用の処方箋です。

他の人の作品にていねいな感想を送った

これはどこで聞いた教えだったか、「感想が来なくてつらいなら、自分が誰かに感想を書け」というのを聞いた。騙されたつもりで自分も実行してみたのだけど、これが謎に効き目があった。良かった。

何で「人にていねいな感想を送る」ことが良かったのか、今改めて考えてみたところ、

  • 人の作品の良いところに目を向けることで、自分の心が病まない
  • 人の作品の良いところを見つけ、取り入れることができる
  • 自分の考えを言葉でまとめることができ、自分の目指したい方向が見える
  • 「人に喜んでもらうため」の行動をすると自分の心が癒される
  • 人に対して優しい気持ちを持つことで、自分に対しても優しい気持ちを持てる

うまく伝わっている自信がないのだけど、これは実際にやってみることでいちばん実感できると思う。

「脳は自分と他人を区別しない」というのは良く言われることで、他人にていねいに優しい気持ちで何かをすることで自分の心のケアにもなる。いろんな意味で心に良い。しかも他人の絵の良いところに意識的に目を向けることができるので技術面的にも良い。デメリットがない。

「何言ってんだよ! なんで私が他人に感想を書かなきゃいけないんだよ! ビタ一文でもやるもんかよ! 私が欲しいんだっつーの!!」となるかもしれないけど、それだとそこで終わってしまう。「バッドエンドーー吝嗇ーー」で終わってしまう。

自分の場合は、心が荒れているときほど効果があった。

心が荒んで汚い言葉を吐きそうなときほど、他人にていねいに優しい言葉を選んで送ることで、何より自分が救われた気がする。

「こんな絵を描きたい」と思える人を探して、素直に好きになった

あと、これは手軽に効果を実感できる方法ではないけど、「この人の絵は素直にすごい、好き」と思える誰かを見つけることで救われたと感じている。

感想をいっぱいもらっているまわりの誰も彼もがうらやましくて憎たらしくて、「みんなみんな大嫌いだ!」になりがちなのだけど、それでも慎重に探していけば、素直に「この人の絵すごい。好き。私もこんな絵を描きたい」と思える相手って必ずいるんじゃないかと思う。

心の中は嫉妬で荒れ狂っていても、外界に対して完全に目をつぶってしまわずに、「この人の絵は素直に好き」と思える誰かを見つけるようにしていた。一人か二人でよい。全員に対して尊敬とか好きとかを無理して抱こうとするとこんがらがる。

自分は個人サイト時代にオリジナルマンガのサーチに登録していて、その中で素直に「すごい。好き。」と思える絵描きさんが何人かいた。だから更新されていればせっせと通って楽しみに閲覧し、せっせと思いのたけをweb拍手(匿名)で伝えていた。

大好きな絵描きさんの更新分を読んで「あー……てぇてぇ(尊い)」となると、「じゃあもっと自分はこう描いてみよう」「これも描いてみたい、あれも描いてみたい」と思えてきて、「マンガを描くことの楽しさ>反応をもらうこと」になってきた。

心に灯台を持っておくのはメンタル的も良いけどモチベーション的にも良かったのだと思う。

そうしたらなぜか拍手をもらえることも増え、なぜか好きな絵描きさんご本人から声をかけてもらえたりした。匿名でしか接していないのに。

「好き!」には謎の力がある……としか言えない。説明ができない。こう書くとスピみたいになっちゃうけどそうではなく、「好き」があることでネガティブから目を逸らして進みたい方向に目を向けることができるのだと思う。(こう書くとよけいスピみたいになってるけどそうではないです)

「みんなみんな大嫌いだ!」と目をつぶって垢消ししてやめてしまうと、転生した先でもたぶん同じ苦しみを最初から味わい直すことになる(自分の経験です)。

「苦しいのは他人と比べているからだ」ということを自覚した

もし自分が「マシュマロは月に1個か2個来るかどうか」くらいだとして、まわりも同じくらいだったらそこまで苦しまないと思う。

「自分にマシュマロが来ない」ということよりも「自分には来ないのにまわりにはたくさん来ている!」ということが苦しいのではないか。

つまり、まわりと比較して自分が劣っているような気がすることで苦しんでいる。

「じゃあ比較をやめましょう! 自分が楽しむために絵を描きましょう!」なんて私は口が裂けても言えないよ……。私だって、それができないから苦しんできたんだよ……。

ただ、「まわりと比較して、自分が劣っている気がするからしんどいんだな」ということを言葉にして"自覚する"だけでも自分の場合は効果があった。

冷静に客観的に自分に対して「はあはあ、あなたはマシュマロの数が人より少なくて落ち込んでるんですね? マシュマロの数が人より少ないとなぜ苦しいんですか? 人より劣っていることになるから? マシュマロが少ないと劣っていることになるんですか? あーふむふむ、あなたはそう感じるのですね。では、どうなればあなたは劣っていないということになるでしょう? そもそも劣っていると何がいけないんですかね?」と掘り下げていくと、だんだん馬鹿らしくなってくる。

悩みというのは玉ねぎを剥いていくみたいなもので、結局は芯なんかないことが多い気がする。剥いていってもし芯があるようならば、それを解決すれば良いわけだし。

もう少し現実に体重をかけて生きる→掃除をするようにした

あとこれも古のインターネットで見かけたことだけど、「そんなことで悩んでるのは、要するにヒマなんだよ」という言葉はたまに思い出すようにしている。

お悩み掲示板みたいなところで「絵が評価されなくてつらい」「ネットで友達ができなくてつらい」みたいな悩みに対して「ヒマなのか? もっと現実でやることないのか?」という煽り回答がついていた。

一瞬カチンときた直後、いやそれ真理だわ。と思った。

「絵に感想が来ない」というのは「解決してもしなくても生命(社会的な生命を含む)にかかわらない悩み」であり、優先順位が低い。自分もぬるい仕事に就いていて精神的にヒマな時期(学生時代を含む)にやたら病んだり悩んだりしたけど、「そうか、要するにヒマだったからなのか!」と目から鱗が落ちた気持ちだった。

だから、悩みたくなったらすかさず現実に帰る、目先の仕事なり勉強なりに取り組むとか、どうしてもやることがなければ掃除をするというのをやっていました。

他にも散歩をしたりとか、現実世界で現実の体を動かすことで自分を取り戻せた気がする。

じっと座って悩むのがいちばん良くなかった

暗黒時代を思い返してみるに、じっと座って悩むことがいちばん良くなかった。じっと座ったまま悩んだって絵は上手くならないし感想は来ないし、下半身は太るし、健康に悪い。

今も心の状態が悪いとたまに迷路に入り込むけど、そういうときには、

  • 人の作品にていねいな感想を送る
  • 「好き」と思える絵描きさんを大切にする
  • 「今自分は他人と比べて苦しくなっている」ということを自覚し直す
  • 目先の仕事や勉強に取り組んだり、掃除や散歩をする

こんな感じのことを思い出してはやってみています。

「気持ちを切り替えて」とか「考え方を変えよう」とか「悩むのはやめよう」とか簡単に言うけど、アタマだけでなんとかしようと思ったってたぶん無理だ。

でも、実際に身体を動かすとアタマは切り替えやすい。それが自分の場合は「自分の手を動かして人に感想を送る」だったり「掃除や散歩をする」だったりした。

切り替えることで心に受けるダメージが減り、いずれ建設的な行動につながったりして、長期的に見ると良い方向へ転換できていることになるのではないか。

これはあくまでも自分用の処方箋なので、人それぞれ、自分に合った方法を探したり試したりするのが良いように思います。

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