いいねがつかないかもと思うとTwitterで絵を投稿するのがこわい
ヘタクソだと思われるのがこわくて人に絵を見せられない
と悩んでしまう人向け【承認欲求には褒められたい&認められたい「賞賛獲得欲求」と、評価されないこと&無視されることをおそれてしまう「拒否回避欲求」があるようだ】という記事。
昔の自分は人前に絵を出して下手だと思われるのが怖くて、それはとても生きづらい感覚だった。でもそれって突き詰めれば承認欲求の現れ方の一つにすぎないんじゃないか、と気づいたら少し楽になった話。
承認欲求の現れ方は、ふた通りあるのかも
自分は昔から引っ込み思案なタイプで、人前に絵を出すことがずっとこわくて苦手だった。
これを自分では、「私はおとなしくて引っ込み思案でグイグイ前に出ることが苦手だし、こんな拙い絵を出して無視されたり評価されないことがこわい。つまり謙虚で身の程をわきまえているからこんなに生きにくいんだ」と考えていた。
学生時代のあるとき友人から「要するに承認欲求が強いってことね」と言われて「はぁ!? 話聞いてた!? 私は引っ込み思案で謙虚なんだって言ってんだろ? 私のはそんなあさましい悩みじゃないんだよ!」と強い反発を抱いた。
だけどよく考えてみたら、他人からの評価を気にしていない人なら「評価されないことがこわい」「下手だと思われるのがこわい」なんて感じないだろう。「下手だと思われるのがこわい」って悩んでいたのはとりもなおさず「(下手じゃない程度には)上手いと思われたい」ってことなんじゃないのか。平たく言うとこれも承認欲求の現れ方の一つなんじゃないのか。
今こうして書いてみると当たり前すぎて自分でも混乱してくる。
他人からどう思われるか気にしすぎていたのは、別に私が身の程をわきまえている謙虚な人間だからではなく、自分の承認欲求に気づけていなかったからじゃないのか。
調べてみたら、心理学的にも【賞賛獲得欲求】と【拒否回避欲求】という用語で考えられているようだ。人によって現れかたには違いがあり、どちらも強く現れると対人不安が高まる。
賞賛獲得欲求(いいねがほしい、褒められたい、チヤホヤされたい)
たとえばSNSに絵を投稿して「いいねが欲しい」と思うのは分かりやすく【賞賛獲得欲求】だと言えそう。
承認欲求って人が必ず持っているものだから、ある程度はあって当たり前で、むしろ健全なのだと思う。
「いいえ私はそんなこと一切思っていません! 少しでも多くの皆さんに自分の絵を見てもらいたいだけで、その証としてのいいねがほしいだけです! 褒められたいわけでも認められたいわけでも一切ありません!」と抑圧するとむしろ心のつじつまが合わなくなってしまう。
また、いいねがつかないことで他人を妬んだりしてしまうとか、社会生活に支障が出るレベルでしんどいとかだと、承認欲求の飼い慣らしかたを間違えてしまっているのかもしれない。
(以前の自分がそうだったので、それについても考えてみました↓)
拒否回避欲求(嫌われたくない、浮きたくない、下手だと思われたくない)
他人からネガティブな評価を受けたくないというような【拒否回避欲求】が強く現れるタイプの人もいる。
自分はこっちで、「中途半端に目立って褒められるより、隠れておけば悪口を言われなくてすむからそっちのほうがいい」という生き方をずっとしてきた。小学生のとき学級委員長に推薦されてしまい、目立つことが嫌すぎてつらすぎて怖すぎて、担任の先生に辞退を申し入れに行った思い出がある。
あれもいま思うと【拒否回避欲求】だったのだろう。
ずっと一生隠れたままで一生誰からもなんの評価もされなくていいのならばそれで平和だけど、この社会性のいきものである人間、自我がある以上死ぬまでそういうわけにはいかない。何か思うことがあれば主張したくもなるし、絵を描いたら誰かに見せたくもなる。
「目立つほど我は出したくないけど、ちょっとは見てほしい」
「見てほしいし認められたいけど、下手だと思われたくない」
Twitterって「目立つほど我は出したくないけどちょっとは見てほしい」っていう人間の欲求を絶妙に満たせるツールだからこんなに普及したのかもしれない。
しかし矛盾した欲求を内包しているためにフラストレーションがたまりやすくもある。
絵を投稿するにも極度に緊張し、「下手ですみません(自分でも分かっているからけなさないでね)」と書き添えたくなったり、「下手だと思ってるならTwitterにアップすんなよ」とエアリプされてヘコんだり。投稿した後もずっと「私の絵、どう思われてるかな」とソワソワ落ち着かなかったり。そりゃあこれではTwitterがストレスにもなる。
「下手だと思われるのがこわい」ではなくて「認めてもらいたい」
そこで冒頭の"「下手だと思われるのがこわい」も承認欲求なんじゃないか理論"、に戻る。
「下手だと思われるのがこわい」「見てもらえなかったらどうしようと思ってしまってこわい」は「こわい」なので、かなり強く不安を与えてくるし、しんどくて差し迫った感情だ。
しかしそれを「見てもらいたい」「いいなと思ってもらいたい」と言い換えるならば、ポジティブで少し柔らかい感情になる。
たとえばTwitterなどに絵を投稿するとき「下手ですみません……(自分でも拙さは分かっているからけなさないでね……)」と書き添えるのと「(自分でも拙さは分かっているけど)いいなと思ってくれる人がいたら嬉しい」と書き添えるのとでは、周囲に与える印象はもちろんだけど自分の心の状態がだいぶ違う。
「下手だと思われるのがこわい」の奥底にあるのは「見てもらいたい、いいなと思ってもらいたい」だったのに、「いやいやそんな私なんかの下手な絵を見てもらいたいなんて身の程知らずでみっともないこと言うの恥ずかしい」と先回りして抑圧した結果が「下手ですみません……」なのだと思う。
「要するに承認欲求が強いってことね」と私に指摘してくれた友人はそこまで深く考えてはいなかっただろうけど、今となってはありがたい一言だった。
無意識のうちに自分の気持ちを抑えて無かったことにしたり、言い換えてしまったりってよくある。今より若い頃に見栄や虚勢で抑圧していた気持ちを、ちょっと戻って考えてみて楽になったことがたくさんあるなと感じています。