【絵柄パクリ】自分の絵の表現を模倣されて、モヤモヤしたときの考え方

フォロワーの絵描きさんに絵柄パクリをされた! ムカつくし気持ち悪いんだけど! これって注意したほうがいいのかな?

という人向け【表現の模倣と盗作は違うので事を荒立てず、モヤモヤしたときは①私のほうが上手いし笑②真似されるのは今だけ③真似されているのは自分のほんの一部に過ぎない】と考えてみることにしています。

※盗作(他人の作品をトレースしたり模写したりして自分の作品とする)は別の話で、もちろんダメです。

絵を描くというのは模倣から始まる。

たとえば鼻を「く」みたいにデフォルメして描くことや、頬に斜線を描き入れて紅潮させる表現なども、どこかの段階で他の人の表現から真似して取り入れたことだと思う。

好きな漫画の絵を模写して練習したりするのは多くの絵描きが通る道であり、「この表現好きだな」と感じたものを意識的に・無意識的に参考にし、自分の絵に取り入れてより納得のいくものを目指す。それが表現だと自分は考えている。

【盗作】はもちろんダメだけど、最近【絵柄パクリ】(絵柄の雰囲気が似ていること=パクリだとする考え方)という言葉もあって、SNSなどでも目が厳しいように感じる。しかし「パクリ(=盗作)」という言葉を、そんなに簡単に使っていいものなのか。

でも自分の絵柄や表現を模倣されたとき、面白くない気持ちになるのもよく分かる。

そんなときの、自分の考え方について。

「表現の模倣」と「パクリ」の違いってなんだろう

「表現の模倣」と「パクリ・盗作」の境界線ははっきり分けられるものでもない。

盗作って法的にはどこからなのかというと、「特徴的で本質的な部分を真似したらそれはアウト」なのだそうだ。

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表現としてありふれた部分が共通していても「類似している」とは判断されない。

たとえば招き猫が左手を上げているのを描いた二つの絵があるとして、「同じ左手を上げてるからパクリ!」とはならない。

もっと"特徴的で本質的な部分"が共通していたら、そこで初めて「類似している」と言えるようだ。

ただ、裁判になった例もたくさんあるけど、事例を見れば見るほど境界線なんて無いようにも思えてくるし「法律での判断って、納得できないし分からんな……」と個人的には感じた。

「表現の模倣」の例として

たいへんおこがましいのだけど、私は和田誠さんの描かれる似顔絵がとても好きで、影響を受けている。

和田誠さんの表現方法に影響を受けているのは、こんな点。

  • 簡潔な線
  • ユルさ
  • シンプルな色使い
  • 目を点で描き表す手法

これが周囲に与える印象はと言えば、「あー……、言われてみればそれっぽいかな。へえ、和田誠さんが好きなんだね」くらいなものだと思う。

模倣しているのは「線」「ユルさ」「色数の少なさ」「目を点で描き表す表現」なのだけど、いわばそれらは「ありふれた表現」であって、当然ながら、これらはなにも誰か一人の専売特許ではないからだ。

どこからが「盗作」になるのかは難しい

ではどうしたら「盗作」になるのかというと難しくて、たとえポーズも色もそっくりで「どう見てもこれそっくり描き写してるじゃん! これってパクリではないの!?」というのも実際の裁判の事例で無罪放免になったりしている。

しかし裁判で勝てさえすればそれでいいのかというと、そういうものでもない。取引先にダメージも与えるし、社会的な信用も失うし。

素人が描いたイラストでさえ、トレパクはSNSで炎上したり掲示板で晒されたりする。ジャンルを移って名前を変えても「ああ、あのトレパクの人ね」と言われ続けたりする。

自分が「パクリ」をしないために気をつけていること

自分も仕事で絵を描く経験をしたことで、「盗作」をしてしまわないためにかなり慎重になった。絶対にしたくない。けどうっかりということがあるかもしれないし、それがとてもこわい。

具体的に自分がしている対策は、

  • 他の人の作品や写真を見ながら描かない
  • 他の人の作品を見るときは意識的に見る
  • google画像検索してみる

他の人の作品や写真を「見ながら」描かない

自分は、描けないものを描くときはネットで写真や他の人の作品を見て参考にすることがある。見ながら模写して練習してみることもある。だけどそれを自分の作品とはしない。

それは精密でないながらもトレース(複製)行為だと考えているから。著作権の中には「複製権」というのがあって、著作権者以外は著作物を複製してはいけないという決まりがある。トレース(複製)という行為は、そこらへんが危うい。もし複製だと判断されたら、「特徴的で本質的な部分を真似したら〜」とか以前に、有無を言わさず一発アウトになる。

いくつも、何度も、見て描いて模写してみて、自分の中でキモをつかんで消化してから、改めて自分で描くようにしている。

この手間をすっ飛ばして描けない部分を安易に見て描いたりすると、類似性が高い「パクリ」に相当するものになってしまうのだと思うので。

他の人の作品を見るときは意識的に見る

それから、pixivやTumblrなどで他の人の作品を見るときに、ぼーっと流し見しないようにしている。

ぼーっと流し見すると、うっかり無意識で類似したポーズやモチーフ、構図などを描いてしまうことがありそうな気がするからだ。これは絵を描く人ならみんな恐れていることではないだろうか。

自分はこれを防ぐために、時間を決めて意識的に見て、できれば一つ一つの作品に対して所感を残すようにしている。(コメントやリプをしたり、あるいは自分用に覚え書きをしておく)

こうするときちんと"他の人の作品"として自分の記憶に残るので、無意識にうっかり真似してしまうことが起こりにくい気がする。

google画像検索をかけてみる

あと、自分で描いた絵に対して「なんかどっかで見た感じだよな〜」みたいに感じたら、google画像検索をかけてみている。

複雑な画像の場合だと精度は低いのだけど、ごくシンプルなモチーフの場合は類似画像が出てきたりする。特に仕事でデザインをする場合は、部分部分でしつこいくらい確認している。

自分の表現が模倣されてモヤモヤしたときの考え方

自分も慎重になっている分、「表現を模倣された」と感じると、ちょっとモヤモヤしたりする。

「特徴的で本質的な部分を真似したらそれはパクリ、それ以外は単なる表現の模倣」とは言うけど、かわいい自分の絵にとっては全部が特徴的で本質的。だから過敏に反応してしまうのかもしれない。

「【絵柄パクリ】だ! 泥棒! 真似しないでよ!」と言いたくなるけど、「目の描き方を真似された」とか「唇の表現を似せられた」というくらいであれば「パクリ=盗作」とは言えないわけで。

絵柄を模倣されても「自分のほうが上手いしw」でいい

「わずかな表現の模倣すらも絶対に許さんぞ!」という考えでいると、毎日たくさんの創作物が飛び交うSNSで創作活動をするのはしんどいと思う。

誰だって他の誰かから影響を受けているし、誰一人として「自分は完全オリジナルだ」と言い切ることはできないからだ。

もし自分の絵柄を模倣している人を見つけてモヤモヤして、感情が処理しきれなかったら、

「あはは〜、私の絵が素晴らしすぎて影響を与えちゃったんだな〜〜!」

「私も真似されるまでになったか!」

「でもまあ、私のほうが格段に上手いけど笑 うむ。精進したまえ」

と、思うことにしている。

自分は小学生のころ鳥山明先生の絵柄を真似して描いたりしていたのだけど、今度は自分が真似されるまでになったというのはすごいことで、ただただ感慨深いものがある。

模倣しかできない人は、遅かれ早かれ描くのをやめていく

もし今誰かに自分の表現を模倣されて、モヤモヤしているとして。

人の絵柄の模倣しかできないような人は、遅かれ早かれ描くのをやめて消えていく。だいたいいつのまにかいなくなっている。

もしその人が実力者なら、今こそ私の表現を模倣していてもそのうち自分の絵柄を生み出してどんどん追い越していくだろうし。

いずれの場合も、表現を模倣されているのは今、いっときだけだ。

模倣されているのは自分のほんの一部のエッセンスにすぎない

そうは言ってもモヤモヤしてしまうとき、自分はあだち充先生の名作『タッチ』の、上杉達也の台詞を思い出すことにしている。

浅倉南が新田由加に特製スタミナ丼のレシピを教えてあげたところ、孝太郎に「あの料理は南ちゃんだから作れるんだと思ってた。なーんだ、誰にでも作れるんだ!」と言われてモヤモヤ。

そこへ達也が、

「いいじゃねえか、得意なものが一つくらい減ったところで、南のすごさは変わらねえよ」

と言うのです。

自分の表現が誰かに模倣されたとして、それは自分の中のほんの一部のエッセンスに過ぎない。

他の誰かが私の絵のすべてを模倣できるわけではないし、ちょっとやそっと模倣されたところで自分の絵の価値も変わらない。

心の中に上杉達也を持って、たびたび気持ちを立て直すことにしています。

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