自分の顔が嫌いすぎてつらい。どうやったら自分の顔を好きになれるんだろう……
と悩んでいる人向け、【男性も女性も、自分の顔を好きになる解決方法は"自分のことを好きだと決めること"なのだろう】という記事。"好きになる"のではなくて"好きだと決める"ところがポイントです。
自分も顔で悩んできて、あれこれ考えたり心理学やら仏教やら哲学やらを勉強したりとあがいて自分なりに出した今の結論について書いています。
「自分の顔が嫌い」という人は多い。
それは実際の美醜と関係ないことも多くて、他人から見れば、
「えー、美人(イケメン)なのになんで?」
「別に普通じゃね? 自意識過剰」
「『そんなことないよ』って言われたいだけでしょ? かまってちゃんかよ」
みたいな感じで、悩みを相談してもあまりまともに取り合ってもらえない。
だからこそ、悩んでしまう人が多くて、しかも答えが出にくい問題なのだと思う。
また男性の場合、「男なのに顔で悩むなんておかしいかな……」と感じてしまって、人に悩みを話しにくいということもあるかもしれない。
でも【自分の顔が嫌い】という悩みに年齢や性別は関係ない。
老若男女問わず、解決方法は一つきりだと私は思っている。
実は自分も30年以上【醜形恐怖】っぽい症状で悩み続けてきた。つい最近、あるきっかけでそれが和らいだので、それについて書く。
※この記事で【醜形恐怖】という言葉を使っていますが、筆者はそう診断を受けたわけではありません。カメラに撮られるのが怖い・気持ちが悪い、鏡が気になる、など日常で感じる苦痛について、便宜上「醜形恐怖っぽい症状」と表現しています。
自分の顔を嫌いになってしまう理由
まず、どうして自分の顔を嫌いだと思ってしまうのか。
他人に撮られた写真がブサイクになるから
他人に撮られた写真を見て「自分はこんな顔じゃない! 悪意を持ってわざと私のブサイクな写真を撮ったでしょ!」とモヤモヤしたり拒否反応を感じたことはないだろうか。
実は、これって写真うつりは関係ない。写真の腕前とかも関係ない。
自撮りや鏡に写った自分の顔は、脳が見せている幻覚に近い
鏡で自分の顔を見るとき、無意識で、
- 脳が「自分はこういう顔。鏡にはこういう顔が写ります」と理想の顔を思い描く
- 理想の顔に寄せる(顔や表情を作る)
- だいたい予想通りの顔が鏡に写る
というのをやっているらしい。
自撮りの場合も同じで、ある程度時間をかけて納得できる顔面を用意してから撮影する。
つまり、ふだん鏡とか自撮りで見る自分の顔は、脳の見せている「幻覚」に近い。
他人に写真を撮られると「現実」が写る
他人に写真を撮られる場合、脳が「幻覚」を準備できていないし、理想の顔に寄せる暇もない。だから自分で思っていた顔(自己像)とは違った、ありのままの顔が写ってしまう。
自分の想定している自己像と現実のギャップが起こることで、脳が「この顔おかしい! 思ってたんと違うからブサイクだ!」「顔が違うぞ! 危険だ! これは変な顔だ!」と判断してパニックになり、モヤモヤや拒否反応となって現れる。
自分の顔の理想像が強固な人(何度も鏡を見ちゃうような人)ほどこの現象が強いかもしれない。
これが、
私「この写真うつりひどい! 私こんなブサイクじゃないよね?」
友達「別に変じゃないしブサイクじゃないよ? いつも通りの顔だよ?」
私「(何それ! 私っていつもこんなにブサイクだってこと? ショック……)」
みたいな行き違いになる。
ブサイクなのではなく「脳が認識している自己像と現実のズレ」が気持ち悪いだけの話
これは「脳が認識している自己像と現実のズレ」が気持ち悪いだけの話。
ゆえに、老若男女問わず誰にでも起こる。
知り合いの60代の女性がマイナンバーカード用に写真館で写真を撮ったところ、できあがった写真にびっくり。「えー!? この写真おかしい! 私はこんなお婆さんじゃない! 嘘だ!」と大パニックになったと言う話を聞いた。
たぶんこの女性は自分の顔の認識が30代くらいで固まってしまっていた。ふだん鏡を見るときも脳が「30代の自分の顔」の幻覚のレイヤーを重ねていて、実際の自分の顔を見ていなかったのだろう。
30代の自己像と60代の現実のギャップを急に突きつけられ、大パニックになったというわけだ。
これを知っておくと、もし写真を撮られて自分の写りのブサイクっぷりに「うわー!」と拒否反応が起きても、
「ははあ、これはブサイクなわけではなくて、脳の認識のズレがキモチワルイんだな」
と冷静に判断できる。
また、普段からちょいちょい写真を撮られておくと、「自分の思っている自分の顔(脳の幻覚によって加工されている)」と「現実の自分(加工無し)」のズレが調整されて良いのかもしれない。
体重計に乗るのが怖くて乗らないでいると思ったより増えてて大ショックなので、毎日乗って現実を見ておく、みたいな感じ。
※今や写真加工が当たり前だけど、あれはつまり脳の幻覚を現実化して写真でも幻覚を維持するための技術なんだと思う。
顔の個性が強くてからかわれるから
「極端に顔のパーツの個性が強く中身が追いつけない」「ガワと中身のチグハグがしんどい」、だから自分の顔を好きになれない、というケースもあると思う。
たとえば明石家さんまさんは大きな前歯がチャームポイント。大きな前歯は彼のひょうきんなキャラに合っているし、彼も自分の顔立ちを愛してときにネタにして使いこなしている。
けれど引っ込み思案で冗談も言えないようなおとなしい人だったら、そのチャームポイントは荷が重いかもしれない。小さい時に顔の特徴をからかわれたりして、それが心の傷になってしまう人もいるだろう。
断定はできないけど、例えば整形手術が選択肢に入ってくるのはこういうケースなのかもしれない。
整形手術をすることで心と体が一致し、安心感を得ることができるかもしれないからだ。
自分の顔が好きかどうかは、自分の顔が自分の性格と合っているか、顔の個性を自分が使いこなせるかどうかもポイントになると思う。
「可愛い可愛い」と言われて育ったのにそうでもなかった
いわゆる醜形恐怖の症状が出るのは、幼少期に「可愛い可愛い」と容姿を褒められて育った人にも多いと言われている。
自分は可愛いんだ、と刷り込まれて育ち、思春期に「え? 私思ったより可愛くないじゃん」と気付いてしまい、自分の顔を見るのがイヤになる、ということのようだ。
女性芸人さんなどの話でも、「私小さい頃すっごく可愛くて、親からも可愛い可愛いって言われてきたから自分でも可愛いと思ってて、でも小学校に上がって初めて人からブスって言われてキョトンとしちゃったんですよー」みたいなことをよく聞く。
親やまわりから「可愛い」と言われ続けて「可愛い自分」「愛らしい自分」という自己像を持っていたものの、現実はそうではなかった、というケース。
前述の60代の女性も、若い頃から美人だ美人だとまわりに褒められ続けて、歳を重ねても「いつまでも若いね」「美人で変わらないね」と褒められ続けていたらしい。
これも詰まるところ、脳の認識のズレということ。
全部「顔がブサイクだから」のせいにしておけばラクだから
自己評価が低い人は、自分の顔を嫌いなままでいたがる、という。
実は自分もこのパターンだった。
たとえば、好きな人と楽しくおしゃべりしたいとする。
でもすげなくされて傷つくのが怖くて、近づくことができない。
そして言うのが、「自分はブサイクだから、どうせ相手にされない」というセリフ。
勇気が出ないことも顔のせい、振られても顔のせい、仕事がうまくいかないのも顔のせい。
顔のせいにしておけば、失敗した時、傷ついた時に言い訳ができる。
「私は気が利かないし素直にお礼も言えないし機嫌が悪いとすぐ八つ当たりしちゃうし、こんな性格が悪いんじゃ振られても仕方ないよね……」と自分の悪いところを冷静に見つめて反省するのは、とてもしんどい。自分全否定になってしまって落ち込む。
でも「ブサイクに生まれてしまったせいで何もかもうまくいかない……かわいそうな自分……」と顔のせいにしておけば、自分の性格の悪いところは無視して悲劇の主人公でいられる。
顔の不出来を、努力しないための言い訳にしていた。
自分の顔を好きになるたったひとつの方法
こう挙げてみると、「自分の顔」って脳のさじ加減ひとつでどうにでもなる、認識の不安定なものだと言えると思う。
だったら自分の顔を好きだと脳に思わせてしまえばそれで解決してしまう。
ただし脳はちょろいようでいて頑固なので、思い込みをすりかえるためには少々コツがいる。
自分の顔を好きになるには、自分を好きになればいい
多くの人が誤解しているけど、
「自分の顔が嫌いだから、自分のことが好きになれない」
ではなくて、
「自分のことが嫌いだから、自分の顔も好きになれない」のだそうです。
ってことは、自分の顔を好きになるには自分を好きになればいい。これは自分ひとりで簡単に、今すぐできる。
でもコツがあると思う。
自分を好きになるには、「自分のことを好きだと決める」
「そんなこと言ったって自分を好きになるなんて難しい。そんなに簡単に好きになれたら苦労しないよ」
「自分には何も特別なことがない、何もすごいところがないのに好きになれるわけないじゃん」
でもこれもまた、逆。
「何かスペシャルなところがあるから、自分を好きになる」
ではなくて、
「自分のことを好きだから、自分のことをスペシャルだと思える」。
だから、「私は自分のことを好きだ」と決めればよい。
数学の公式みたいなもんで、「これを証明する複雑な理屈はあるけど、簡単に言うとこうなんですよ」ということ。深く考えずに公式通りにやってみることで解決する物事ってある。
自分を好きになることに根拠や理由はいらない
根拠や理由なんかいらない。むしろ、自分を好きになることに、理由なんかがあってはいけない。
「私は美人で痩せててモテるから、自分が好き」
→歳をとってしわしわのだるんだるんの顔になったら、自分のことを嫌いになってしまう。
「大企業に入って仕事バリバリしてるから、俺スゲー!」
→病気になったりリストラされて働けなくなったら、自分はすごくなくなってしまう。
「絵が上手いから、自分は生きてる意味がある!」
→SNSでもっと上手い人を見たら、生きている意味を失ってしまう。
「自分のことが好き」に明確な理由や根拠がある人ほど、それがぐらついたときにあやうい。
だから理由や根拠なしで、大前提として、「自分は自分のことを好き」と決めておく。
軽い気持ちで、とりあえず、「自分を好きだ」と決めておく
「そんなこと言ったって、自分を好きだと思えないから苦しいんじゃん!」
別に自分を好きだと思わなくてもよくて、ただ決めるだけ。
最初は思いを伴わなくても、実感しなくてもよくて、軽い気持ちで、口先だけでいい。
私は手帳の今日の日付のところに、「自分のことを好きだということを、とりあえず決めた」と書いておいた。
決めたら覆さない、覆ったら再び決め直す
「私は自分のことを好きだ」と一度決めたら覆さない。
仕事でへこんだり人間関係がうまくいかなかったりすると、「やっぱり自分が嫌いだ」「私なんか……」と思ってしまいたくなる。
これって、そのほうが気持ちいいからなのだ。
自虐するときって、ラクなほうに流れようとしている。
そのたびに「あっいかんいかん、私は自分のことを好きだっていうことに決めたんだっけ」と決め直す。
似顔絵を描いてもらうことも一つの手段
とは言え、一人で黙々と自分と向き合うのはしんどいこともある。
「もっと他の誰かが、自分を好きになれるヒントをくれないかな……」と藁をもすがる気持ちの人もいるかもしれない。
以前、こんな動画が話題になったことがある。
この動画では、自分の顔に自信を持てない方が、話をしながらポートレートを描いてもらっている。
出来上がった絵を見たら、自分が思い込んでいたよりもずっと美しい自分の姿に感激して、自信を取り戻すきっかけになる……というような動画だ。
こんなふうに客観的に自分を見てもらう体験は、とてもいいきっかけになると思う。
自分の顔が嫌いなのは、自分の顔のパーツを勝手にネガティブに捉えているから、ということも多い。
一重の目が嫌だ嫌だと言っていつもメガネと前髪で隠していたけど、外国の友人から「あなたの目、クールで美しい! いいなあ、好き」とたびたび褒められて「そんな価値観もあるのか! 私の世界が狭かっただけなんだな」と楽になった……なんていう友人もいる。
大きな口が嫌だ嫌だと言っていつもファンデーションで小さくつぶしていたけど、「えー! どうして!? もったいないよ、モデルの誰々さんみたいで素敵じゃん!」と言われてからきちんとリップをひくようになり、顔つきもグッと魅力的になった友人もいる。
自分では欠点だと思っているパーツを他者の目を通して描いてもらうことで「えっ、人にはこんな風に素敵に見えているのか!」と新たな発見があるかもしれない。
今は対面でなくても、【ココナラ
他にも、「自分の顔が苦手だから、写真に撮られるのも怖くて……」という人のために、心を配りながらステキに写真を撮ってくれる写真家さんというのもいらっしゃるようだ。(リンクを貼りたいけれどお名前などを失念してしまった。)
似顔絵を描いてもらったり、ていねいに写真を撮ってもらったりして「私ってこんな風に見えているんだな。けっこう素敵じゃん」と思えれば、根拠のない葛藤から抜け出す一歩になるかもしれない。
けど最終的に「自分のことを好き」だと決めるのは自分しかない。