Twitterでの交流がしんどい……
フォロワーに気を使うのもうイヤだ! 交流したくない……
という人向け【交流が苦手でしんどい人ほど、敢えて世界を広げてしまうほうが楽になるかも】という記事。
本当に「あらゆる人類との交流が心底めんどくさくて必要ないからしたくない」と思っているなら、Googleで検索するまでもなく、とっくに黙ってそうしていると思う。
でも悩んでしまうのって、どこかで他人の目を気にしてしまうからなのではないか。(自分はそうだった)
他人の目を気にしないためにどうすればいいのかってまたGoogleで検索してると「気にするくらいならSNSをやめよう!」とか「他人を気にせず自分軸で!」みたいなことばっかり書いてあって、それができれば苦労はしないわけで……と、堂々巡りになってしまう。
他人の目が気になるとどうしても狭いところに逃げ込みたくなるけど、自分はその逆を提案したい。
狭い世界に逃げ込むのではなく、世界をむりやり広げることで悩みを消すという方法について。
「世界を広げることでたいていの悩みは薄まる」。これはこの世の全ての悩みを解決する裏技なのではないかと考えている。
まず、なぜTwitterの交流がしんどいのか
これは自分の場合だけど、なぜネット上での交流の何がしんどかったのかというと、
「いいねしてもらえるように私もいいねしなきゃ、この人の絵そんなに好きじゃないけど……」
「フォロワーに存在を忘れられないようにリプしなきゃ、でも別に言いたいことない……」
「話が合わない人とも交流しなきゃ、でも返信めんどくさい……」
「人の絵をせっせとRTして宣伝してあげなきゃ、自分の絵もRTしてもらうために……」
「RTしまくるとフォロワーさんうざがるかな、フォロー外されたらイヤだな、プロフにRT非表示推奨って書いておこうかな……」
「リプ、これだと冷たい印象になっちゃうかな? 感じ悪いと思われたくないな、絵文字をつけるべきかな、でも絵文字をうざがる人もいるし……あーめんどくさいな」
どれもこれも突き詰めれば"人からよく思われたい"とか"嫌われたくない"だったのだと思う。
正直自分はTwitterでの交流であまり悩まなくなってきて久しいので、ちょっと感覚を忘れている。
悩まなくなったと言っても全然ではないし、別に性格やメンタルが変わったわけでもない。
世界をむりやり広げたら、小さい部分が気にならなくなってきたのだ。
世界を広げる=フォロー数を増やす
「世界を広げる!」なんて言うとなんだか意識高い系の話みたいに見えるかもしれないけど、どうってことはなく、誰でも今すぐ寝たままでできる。
今のアカウントで、フォロー(フォロワーではない)を増やす。それだけの話。
いざこざ、しがらみ、マウントなど人間関係の悩みは狭い世界でしか起こらない
さかなクンさんが以前、こんなことをおっしゃっていた。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。
いじめまでいかなくても、いざこざ、マウント、しがらみ、人間関係の面倒くさい要素はすべて、狭い世界で起こる。
というか、狭い世界でしか起こらない。
社会心理学などいろんな学問でもこの心理は説明されているのだけど、我々が人間である以上それを無くそうというのは無理な話なのだ。
だから、さかなクンさんが言うように広い海に出てみた。それがTwitterの場合「フォローをやたら増やしてみた」ということ。
世界の範囲が広がると、小さいことがどうでもよくなる
「でも世界を広げるって私には無理、まだ学生だし、お金もないし、人脈もないし」などと思わなくてよくて、Twitterなんだから新しくフォロー(フォロワーではない)を増やすだけで世界は広がる。
自分は最初は50くらいしかフォローしていなかったから、まずは250くらいまでフォローを増やしてみた。なんならもっと増やす。TLを追いきれないくらいに増やす。
興味のあるアカウント、好きな俳優のアカウント、毎週見ているテレビ番組の告知アカウント、美術館や博物館、よく買い物をするショップ、有名なツイッタラー、自分が見たい相手ならなんでもいい。TLを、自分の好きな情報でごっちゃごちゃにあふれさせていった。
そうなるともう「あの人の最新イラストRTして拡散してあげなきゃ」とか「このときの会話変な風に終わっちゃったけど気を悪くしてないかな……」「こないだ投稿したイラスト、いいねが18か。3日で18……多いのか少ないのか……」「あの人いつもいいねくれるから、私もいいねしてあげなきゃ」「認知してもらうためにやっぱりもっとフォロワーに絡まなきゃだめなのかな……?」みたいな、小さいことを気にする暇がなくなる。
未来の情報へと、自分の欲する楽しい情報へと、意識がとられていくので、チラチラ後ろを振り返っては気にしたりしにくくなる。(人って脳の容量がそんなに大きくない)
Googleマップで今より広い範囲の表示にすると、細かいコンビニとか歯医者とか見えなくなるあの感じです。
TLを池袋のサンシャイン通りだと考えると、イヤな人がどうでもよくなる
前にもこのブログで書いているけど「この人が苦手、でもブロックもミュートもできないし、でも気になる、あーやだやだ」みたいなときってある。
そういうときは「きれいに整理された私の部屋(TL)に汚物が一つだけあって、どうしても気になっちゃうから排除したい……!」という感じなんだと思う。
TLを"きれいな私のサンクチュアリ"と考えるから気になるんであって、じゃあ少しだけ世界を広げてTLを"池袋のサンシャイン通り"にしてしまえばいい。
サンシャイン通りを歩いていて、ゴミ袋が落ちていてもなんとも思わない。ゴミ袋にすら気づかないかもしれない。
自分にも本当に苦手な人がいた。たくさんいた。マウントをとってくる人、投げたブーメランが頭に刺さっているのに偉そうな人(血出てまっせ)、自分がいちばんじゃないと気が済まない人、わざと悪意のあることを言って場の空気を悪くする人……。そのたびに「なんで私が行くジャンルにはこういうやつばっかなんだよ……」と思っていた。
そう、ゴミ袋って絶対にどこにでも落ちてる。人間がそこに生きている限り無くせない。要は、それを気にするか気にしないかの話なんだと思う。
「でも私はどうしても気にしちゃうタイプだから……」という人は、背景を池袋のサンシャイン通りに設定し直す。
ゴミ袋が落ちていたとして、それが自分の部屋に落ちているのか、池袋のサンシャイン通りに落ちているのかで、かなり気の持ちようが変わってくるからだ。
別の趣味のアカウントを作る
そのアカウントでフォローを増やすという他にも、別アカウントを作った。
新アカウントを、というと「でも他にアカウント作るほどの趣味もないし」思ってしまうかもしれないけど、用途を決める必要もない。なんなら、何もしなくてもいい。窓が増えるだけでも風通しはよくなるから。お気に入りの公園を一つ増やすくらいの気持ちで。
これはシンプルに、別世界の窓が開くからという理由でやってみた。
教室だとなんとなく気詰まりだけど、放課後部室に行くと気が楽になる、みたいなことがあったから。
家族でいるのは退屈で息が詰まるけど、おじいちゃんおばあちゃんの家に行くとほっとする、ということがあったから。
それをTwitterでもやってみた。
メインの人間関係の他に、サブ的な人間関係って大切だと思う。
自分も複数のアカウントがあるけど、このブログ用のアカウント(@tkhs_bsdz)が部活動的な新しい窓という感じ。開いてるだけで気持ちいい。今のところ記事の更新お知らせくらいにしか使っていないけど、自分の中の風通しが変わる。(当初は何かブロガーみたいな意識高い発信を……とも思ったけど、自分はそういうタイプの人間ではなかった)
そしたら意外とそこで新しい友達ができたりする。どこにいたって、人間は孤独のままでなんていられないんです、絶対に今よりもっと気が合う誰かと知り合って楽しくなっちゃうんです。コミュ障のオタクが言うのだからこれは本当です。
一皮むけて戻って来る(もしくは新天地を見つけて永住する)
大学のとき友人がアメリカに留学したことがある。
友人は留学する前は細かいことを気にして悩むタイプだったし、人のアラをつい見つけてしまっていちいち文句を言うタイプだったんだけど、帰ってきたらめちゃくちゃおおざっぱになっていて驚いた。
「あんな雑な食べ物を毎日食べてたら、細かいことがどうでも良くなる」と本人は冗談にして笑っていたのだけど、広い国土の国に行って、いろいろな国から集まったいろいろな人種の人と話して、毎日新しいものと出会って……とやっていたことで、他者に対するとらえかたが変わったのだろうと思う。
自分も意識して世界を広げてみることで、狭い世界に帰ってきたときにも話題が増えて少しは交流が楽しくなったり、狭い世界のいさかいを見ても「つまんないことでマウント取り合ってるな」とスルーできるようになったりした。自分がいわゆる「一皮むけた」というのを実感した。
留学まではなかなかできなくても、Twitterのフォローを増やすだけでも同じような効能はあったのだと感じる。
一皮向けて元の場所に帰ってきてもいいし、もっと居心地の良い場所を見つけたなら行きっぱなしでそこに永住してもいい。今の場所が居心地が悪いなら座りのいい場所を自分で探していくことができるのだなと、今は思っている。