いちばん効果的な絵の練習方法って、結局のところどれなんだろう?どの練習をすれば手っ取り早く上手くなるのかな?デッサン?クロッキー?模写?万能なのはどれ?どれをやればいい?
とネットで検索していろいろ探し求めてしまっている人向け【効果的な絵の練習方法を探し求めて、結局何もしていなかった頃の自分の話】についての記事。
これは自分の無様な経験なのだけど、「もっといい絵の練習方法はないか」「もっとうまいやり方はないか」とネットで検索して、「アレは面倒、コレは難しい、ソレはお金かかる……あー、なんかこうもっと無料で簡単でめんどくさくなくて一瞬で絵が上手くなるみたいな練習方法ないのかよ!」みたいにぐるぐる回って具体的には何も行動しないまま「あーあ、絵が上手くなりたいけど私なんかどうせ無理だよね……センスも才能もないし……」と不貞寝、みたいな時期があった。
今書いてて「私バカじゃねえの」と腹が立ったけど、もしかしたら同じループにはまり込んで悶々としている人がいるかもしれない、と思って記事に書いている。
練習方法の迷子になったときにどうやって抜け出したのか、という自分の経験について。
練習方法を探すだけでやった気になって、練習なんかしてなかった日々
「もっと簡単で効率のいい方法はないかな」と探していただけだった
ほんとその通りです……と耳が痛くなったツイートがあった。
大抵の「勉強の仕方が分からない」と言ってる人って、本当に勉強の仕方が分からないわけじゃなくって、「今の勉強方法よりもはるかに効率の良い魔法があると信じている」ってだけなんだなあ、というのをよく感じる。コツをちょっと学べばすぐにマスター出来る、なんて魔法は大抵ないのよ……。
chokudai(高橋直大)-Twitter
「絵が上手くなるにはどういう練習したらいいのか分からないから、ネットで検索しなきゃ!」と、もっともらしい顔をしてネットのハウツー記事を読み漁っていたけど、それってつまり「どこかにもっと簡単に絵が上手くなるラクチンな魔法がないかな〜」と思っていただけだった。
ネットの記事を読みまくっている時期は、結局何もしていなかった
ネットの記事をあれこれ読みまくってああでもないこうでもないしているうちは、自分は結局何もしていなかった。
絵の描き方についての本も、「デッサン不要! これであなたも上手くなる!」とか「○ヶ月で必ず上達! 完全版」みたいなサブタイトルに踊らされて何冊買ったことか。
買って、パラパラっと見て「めんどくさそう……もっといい本ないかな」「あんまり役に立たなそう……買って損した」とか言うだけで、絵の練習はしない。
自分はダイエットに関してもこの過ちを、数十年繰り返した。「○ヶ月で何キロ!」とか「今まで痩せなかった人もこれで痩せる!」みたいなダイエット本を買っただけでもう痩せた気になって何もしない。
当然、絵が上手くなるわけもないし痩せるわけもない。「あーあ、どうせ私は絵の才能がないから……」「あーあ、痩せてる人はいいなー」と、何十年も愚痴を言い続けて何もしない状態を続けていた。書いていて自分に腹が立つ。
「自分は問題解決のために行動(ネットの記事を読み漁ってるだけ)してるんだ!」という快感の中毒
絵もダイエットもそうだけど、結果が出るかどうかが不安だから、今すぐ何か確かなものにすがりたい。
だからあれこれ参考書籍やらネット上の無料の情報やらを、中毒みたいに毎日読みあさってしまっていた。
「なるほどー! ……でももっといい方法はないか?」
「もっと効果的で万能な方法があるかもしれない、それを見逃したら損だ!」
「この記事役に立たないな! 書いてる人何もわかってない(とTwitterでこき下ろす)」
そうやって指と目と口先だけを使っているうちは、当然ながら、自分では具体的には何も行動しない。
ブクマとスクショが無駄に増えていくだけ。
絵が上手くなるわけないし、痩せるわけもない。
でも「自分は問題解決のために行動(本当は一枚でも絵を描けばいいところをネットの記事をだらだら読んでるだけ)しているんだ!」という気持ちよさ、ラクチンさが中毒になって、つい続けてしまっていた。
ネットの記事を読んだりデッサン本を眺めたりで机には向かって時間だけはかけている気になるので「こんなに人一倍がんばってるのに絵が上手くならない!」とか言っちゃう。なにひとつがんばっていないのに。顧みるということをしろよ数分前の自分を。と過去の自分に言いたい。
「絵の練習の仕方」の基本を考えてみた
絵が上手くならない、まちがった練習方法
こちらは「勉強の苦手な子」の間違った勉強方法についての話だけど、
これはそっくりそのまま絵の練習方法にも応用できるな、と思った。
絵の練習に置き換えると、
- デッサン本を買っても、パラパラっと眺めるだけ、読むだけで頭に入っていると思っている(自分で模写してみることをしない)
- 一枚描けばそれが傑作になると思っている(のに、傑作が描けないからイヤになってしまう)
- 自分の描いた作品に何が足りていないか、客観的に見ることをしない(いいねがつかなかった! とキレて絵を消し、イラつきながら何の改善もせず次を描いて同じことの繰り返し、最終的に全部をフォロワーのせいにする)
こんな感じになるんじゃないかと思う。
「まちがった練習方法」の逆をやってみればよい
そこから抜け出すには全て逆をやってみる。
- デッサン本やスケッチ本を買ったら眺めるのではなく模写をする(手を動かす)
- 下書きや素描など、作品にはならない部分の練習をしてみる(デッサンとか模写)
- 自分の書いたものを客観的に見られない場合は添削サービスなどを利用する
ただ、今まで何もしていなかった人がこれらを実際の行動に落とし込もうとするとかなりハードだし、何から手をつけていいか分からないと思う。
だったらどうしていけばいいのか、ということになる。
そもそも「どうしても描きたいもの」があればこんなところで悩まない
自分は長いこと二次創作をやっているので、新しい作品にどハマりしたときなどは「練習方法が分からない〜」など言うヒマもなく手が勝手に毎日描きたいものを描き、描けないものを勝手にAmazonで検索して必要なものをポチり、勝手に試行錯誤し、勝手に描けるようになる、というのを何度か経験している。
こんなふうにパッションがあるときは、全自動で練習方法を選択して実行できる。
こんなふうにパッションがないときに絵を描こうとするのがそもそも無理があるよな、とは思う。
受験のための勉強と違って、絵は好きで描くわけだから別に描かなくていいし、上手くなる必要に迫られているわけでもないので。
でも、パッションがないけど絵が上手くなりたいと焦る時期があるというのも、痛いほど分かる。自分も経験している。ガソリンがないのに空吹かししているような、体力も気力も消耗するあの感じ。
そんなとき自分はどうすれば脱出したかを書いてみる。
何でもいいから一つ決めて始める
自分が試みた脱出方法は、とにかくなんでもいいから一つ決めて始めることだった。
自分は、図書館で見かけたルーミスの『やさしい人物画』を最初から最後まで模写することから始めた。
ルーミスを選んだ理由は、地元の図書館にあったから。返却期限まで借りて模写をして、期限が来たらまた借り直して……とやっていたのだけど、これは何度も繰り返し使いたい本だなと感じたので自分で買った。
「絵が上手くなるにはデッサンがおすすめ」←「デッサンやれば1ヶ月で神絵師になれますか? 1ヶ月で結果が出ないならやりたくない」
「動きを描くにはクロッキーをしよう」←「クロッキーとかよくわかんない、クロッキーやっても意味ないって記事見たし! はい却下」
「模写をすると形をとらえる練習になるよ」←「本当に? 効果あるの? 証拠は? えー、証拠がないならやらな〜い」
とか言ってないで、手を動かすことを始めた。黙ってチリを積もらせていく。
どれから始めてもいい、というか何から始めようが大して変わりない。とにかく「手を動かすことを始めること」が重要だったように思う。
ルーミスの模写をしてみてよかった点
何から始めてもいいし、何から始めても続けなければ同じだけど、全く何をしていいか分からないというならデッサン本の模写をするのがよいのでは、と思う。
- 何も考えず手を動かすことができる。
- 「私は絵の練習をしているぞ〜!」という、【目的のために行動している感】が味わえる。
- 模写なので「あれ、私上手くなってるのでは?」みたいなアゲゾコ効果がある。
- 実際、上手い作例を模写することで何かしら得られる経験値はある。何もしないよりは。
- 次はもっと何をどう描きたいかが見えてきたりもする。
さらなるドツボ「じゃあ、どのデッサン本がいちばん良いの?」にハマらない
ここで気をつけなければならないのは、「じゃあどのデッサン本がいちばんいいの? どれを模写したら効率よく上手くなる? ネットでいろいろ口コミを検索しないと……」というさらなるドツボ。
そんなふうに考えちゃうのって、もう本当は絵なんか描きたくないんだと思う……。
目をつぶって一冊決める……というのはいかに言ってもアレだから、今いちばん売れているものを何も考えず一冊選ぶ、とか。図書館にあるものを借りてみる、とか。
だって、どのデッサン本も自分より格段に上手い人が描いているのだから。どれを手に取ったとしても、このまま選り好みして何もしないより勉強になるのは間違いない。
たとえば"デッサン"で検索して、今いちばん評価が高い書籍は『モルフォ人体デッサン』だった。
せっかくヒットしたので見てみたら、ただのデッサン本ではなく美術解剖学の要素も合わせて学べる(モルフォロジーというのは形態学という意味)のが特徴のようです。Kindle版は2020年11月時点で今のところまだ無いけど、パタンと180度開くので書籍でも使いやすそう。
新しく買わなくても「昔買って読んだけど役に立たなかったわ」と積んである本があるなら、本に「今までほっといてゴメンナサイ」してそれを出してきて模写してもいいのでは。
そもそも、どれか一冊だけやればデッサン練習は完結、おわり、というわけではない。一冊模写し終わって「次はもっとこういうのを練習したいな」とビジョンが見えれば、今度はより自分に合ったものを自分で選ぶことができるようになる。
「デッサン本が高くてどうしてもどうしても一冊が買えないよ」というなら、Amazonの試し読みページを見て模写してみるくらいなら許されるのでは。(自分もやっていた時期があった)
ネットにそんなに簡単に答えが転がっていれば、みんなこんなに悩んでない
「絵の練習って結局は何するのがいちばんいいんですかね? 自分はすでにまあまあ上手いんですけど一般ウケしないっていうかなぜかいいねが少なくて。デッサンとかやるともっといいねがつく絵になるんですかね? でもデッサンとかだるいんで、もっと楽な方法あったら聞きたいです」
みたいな感じで聞かれることが、ブログをやっているとけっこうある。
そのたびに、「効率を求めて何もせず、そのくせ上から目線で、教えてくれる人やていねいに作られた教材たちを馬鹿にしていた昔の自分」を強烈に思い出す。
美大受験のときにお世話になった指導教諭に「絵を舐めるな!」とキレられたことがあるけど、あのときの指導教諭もこんな感情だったのかもしれない。
とりあえずなんとなく絵が上手くなりたい、けど何か描きたいものがあるわけではない。安易に誰かに聞いて、(あるいは今の時代だったらネットで検索して、あるいはメールひとつで、)効率のいい魔法の練習方法を得られると思っている……なんて、舐めてたとしか言えないもんな……。申し訳なさと恥ずかしさでどうにかなりそうになる。
今こうしてブログをやってこういったことを聞かれて、そのたびに過去の自分を思い出して頭を抱えたくなるのは、「お前はかつてこういう人間だったんだぞ。まだまだ反省しろよ」と、あの頃に傲慢だったことに対して猛省を促されているのだと受け止めている。