「イラストの練習が嫌い」な理由を分析したら克服できそうな気がしてきた

絵が上手くなりたいけど練習が嫌い。デッサンもクロッキーも模写もつまらないしやりたくない。思い通りの絵が描けないから描きたくない。でも絵が上手くなりたい……

という人向け、【どうしてイラストの練習を嫌いになってしまうのかを考えて分析してみたら、克服できそうな気がしてきた】という話。

すでにこの時点で「最初は思い通りに描けなくて当たり前だろ。練習しなきゃ上手くなるわけないじゃん、何言ってんだ」と答えは出ている。

それは分かっていてもなお「自分の下手な絵を直視するのが苦痛で、絵の練習したくない」。

そこまで気づいていてもなお「そんな情けない自分を直視するのが苦痛で、深く考えたくない」。

いったん自分のその心理をしつこく分析してみたら、克服できそうな気がしてきたという話です。

なぜ練習したくないのかというと……

自分の下手さを目の当たりにしてしまうのでへこむ

思い通りに描けなければ、そりゃあ面白くはない。しかも今はSNSで上手い絵を浴びるほど見られる環境にあるので目だけは肥えており、自分が下手なことも自覚できてしまう。まわりはこんなに上手いのに自分は……と大差がついているのもクッキリ見えている。

なにかのはずみでモチベーションが上がって「よし私も上手くなるぞ!」とちょっと練習してみたところで、自分の下手さを目の当たりにしてやる気を失う……の繰り返し。これは絵以外でもなんでもそうだと思う。

自分の場合、ダイエットがそんな感じだった。ちょっとやってもすぐには結果が出ないし、「ちょっと痩せたくらいで見た目変わるわけでもないしがんばるだけ無駄さ」と思ってしまうし、食事制限や運動が続かないし、ああ何も上手くいかないんだどうせ私はダメなやつ……と、やるたびに失敗しては自己肯定感を下げるだけのおこないを、人生で何度も何度も繰り返してきていた。

絵を描くことではなく、絵が上手くなることを目的にしてしまっている

純粋に絵を描くことが好きなのであればまだしも、「絵が上手くなりたい」「取り柄がほしい」「いいねがほしい」みたいなところが目的な場合だとよけいに練習が苦痛になる。

自分の場合、「美大受験のために実技の練習しなきゃ、少しでも上手くならなきゃ」というプレッシャーがしんどすぎた思い出から、デッサンやクロッキーなどの練習に対して拒否反応が出てしまっていた。

シンプルにめんどくさい

仕事や家事をしていると、何かを継続してやるのにはコツが要る気がする。しかし仕事や家事がなければできるかと言うと多分そうでもない。むしろそっちのほうが難しいかもしれない。時間があろうがなかろうが、続けることは難しい。

練習を好きになるには

「絵が上手くなりたいのに練習したくない」というのは「痩せたいけど運動したくない」「服を買いに行きたいけど外に出る服がない」みたいな堂々巡りになり不毛、かつ生きる気力をどんどん吸い取られていく。

思い切ってジムに行ってもまわりと比べて自分だけだらしない体で人並みに動くこともできず、みじめ……痩せたいけどジムに行くのもうヤダよ……そして堂々巡りの中に戻っていってしまう。

このままじゃどうしようもない! と思って、少し前にパーソナルトレーニングのお試しレッスンに行った。

そして「そうか、こういう段階を踏めば苦手なことも気持ちよく続けられるんだな」と感動したことがあった。

これは絵の練習をするときにも応用できるかもと思ったのでそれについて書きます。

今の自分のレベルを受け入れる

パーソナルトレーニングで自分に合ったメニューを組んでもらうためには、まず自分の体の状態を把握する必要がある。当たり前だけど筋肉量が少ない体で重い負荷のかかることはできないからだ。初心者がいきなりベンチプレス60キロ持ち上がるわけがない。

私は自分の運動苦手加減を分かっているので、「じっくりとストレッチから始めましょうね」と言われても粛々とありがたく受け止めることができた。

絵の練習だって同じで、まずは今の自分がどれくらい描けるのかを知って粛々と受け入れるところから始まるのではないかと思ったのだ。けどなんか「絵なら得意だし!」「もっと描けるし!」みたいな変なプライドによってレベルより盛っちゃうんだよな……。

そもそも、絵のレベルを見極めると言ったって難しい。どうやれば今の自分の状態を把握できるのか。

これもパーソナルトレーニングのときに感じたのだけど、できないことを随時「これはできない」「ここまではできる」と判断していくのって有用な気がした。

それを絵に応用して、描けないものを「描けない」といちいち認めていくようにしてみているのだ。

たとえば上手く手が描けないというときに、見栄えを気にして描かずに隠すとか適当に描いてお茶を濁すのではなく「私は手の構造のこのへんが分かってないな」「水かきのあたりいつもごまかして描いちゃうな」「親指の骨の位置が適当だな」「手をこの角度で描くといつもダサい仕上がりになるな」みたいにいちいち自覚する。自分を批判するとかではなくて、できることとできないことをシンプルに事実として把握していく。

「ここまでは描ける」「これが描けない」というのが把握できたところで、「描けないから練習しよう!」「描けないからじっくり調べなおそう!」というわけでもない。とりあえず把握して置いておくだけ。できないことを把握しておけば、そして続けていきさえすれば、未来の自分が少しずつどうにかしてくれる。

トレーニングだって、どこかの筋肉が弱かったとしても「今すぐ全部完全に直しましょう!」とはならない。機械じゃないのだから。「とりあえずここが弱いので把握しておいて、注意しながらやっていきましょう」くらいがせいぜいだ。弱い部分を意識しつつ続けていくことで、そのうち改善されていく。

上手くやろうとしない

スクワットひとつとっても、ただただ誠実に一回ずつやっていくのがトレーニングなんだなというのも感じた。上手くやろうとかかっこよくやろうとか要領よくやろうとかはまったく考えていないし、ただただ筋肉を意識して、無になって、回数を実直に積み重ねていくことに謎の爽快感があった。私は今まで運動をしてこなかったので、この気持ちよさを今まで知らなかったのだ。

デッサンとかクロッキーも、こんなふうにフラットな気持ちでできたらさぞ良いのではないか。

というかデッサンとかクロッキーって、そもそもそういうものなのではないか。

上手く描こうとか、「これだけ描けばどれくらい身になるかな」とか、がんばったからTwitterに載せようとかではなく。

とは言え簡単に気持ちだけで切り替えられるものでもないので、あれこれと工夫はしてみている。

クロッキー帳やスケッチブックだと構えてしまうのでコピー用紙にボールペンで描くようにしてみたり、「今日の自分が描いたもの」に執着せず、描いたものは適宜処分するようにしてみたり。

承認欲求なら他で満たすことも考えてみる

「絵が上手くなりたいから練習しなきゃ」という気持ちが承認欲求からくるものだった場合がいちばんこじれると思う(自分の経験上)。絵の練習ってただでさえたいへんなのに、そこに「認められたい……」みたいな重いものを乗っけてしまうと報われにくくてハードモードになってしまう。

絵って、承認欲求だけのためにがんばるには割りに合わない苦行だと思うのだ。

だから褒められたいとか認められたいとかいう欲求は、もっと結果の出やすい、成果の見えやすいことで満たすほうが現実的で危険が少ないように自分は感じている。点数の出るものとか、勝ち負けのはっきりするものとか、たとえば資格試験だったりゲームやスポーツのようなもの。そこで承認満腹になっておけば、「絵で認められたい……ッ!!」みたいな過剰な飢餓感を抱かないですむ。

習慣にするコツっていくつかあるかも

シンプルに時間が取りにくくて続けられないとかシンプルにめんどくさくて続けられないという場合もある。

習慣にするコツってこの世にいろいろあって、しかも人によって合う方法が違うのではないか。と自分も試行錯誤しているところです。

「自分はイラストの練習のどこが嫌いなのか?」

「絵が好きなら練習なんて苦にならないはず! 練習がイヤなんて甘えです!」なんてことはないだろう。程度の差こそあれ、調子が悪いときは必ずある。

ジムに通ってみて、「今は何がどうイヤなのか?」「何が苦痛なのか?」「どこの調子が悪いのか?」と今の自分の状態を観察して把握することが良いように思った。すぐに直さなくてもまずは把握さえできれば良くて、正しく把握さえできればいずれ改善もできていくのが面白いと感じた。それが分かったことが、いちばんの収穫だった。

見て見ぬふりがいちばん良くないし怪我もする。トレーニングでも絵でも、多分全てのことでそう言える気がしている。

ちなみに、私の人生のほぼ全てずっとずっと悩み続けてきたダイエットはやっと卒業できました。ネチョネチョドロドロとした絵に関する悩みも整理できるようになってきて、人生に悪い影響を及ぼさないくらいになっている。なぜかジムで絵のことも解決しているという話でした。

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