憧れの絵描きがフォロー返ししてくれない。やっぱり私みたいに下手な絵描きには興味を持ってくれないんだな……
絵描きって絶対ROMにフォロー返ししないよね! ROMはフォローする価値ないってこと?
とモヤモヤしている人向け、【絵描きがフォロー返ししない理由って、そんなに単純ではないのかも】という記事。
絵が上手くてフォロワーがいっぱいいる人は、めったにフォロー返しをしないということも多い。あと「#絵描きさんとつながりたい」というハッシュタグをつけていてフォロワーはガンガン増えているけどフォローはあまり増えていなくて、フォロワー何千に対してフォロー二桁、みたいな人もよく見る。
この現象だけ見ると「絵が上手い絵描きって、フォローされてもフォロー返しはしないの? 傲慢なのでは?」みたいに感じてしまう人もいるみたい。当ブログにも、そのような流入キーワードは多い。
自分も人気者から見向きもされない弱小絵描きなので、そのしょんぼり感は分かる。20年ほど前の個人サイト全盛の時代、ジャンルの大手に対して歯噛みしていた頃もあった。
ただ、10年以上歯噛みしてきていいかげん歯茎から血も出し飽きた今、フォロワー数の多い絵描きには絵描きの事情があるよなあ……と思えてきたので、それについて考えてみた。
アカウント一つ一つを精査してフォロー返しするのってたいへんだよな……
まず、フォローしてくれたアカウント一つ一つを精査してフォロー返しをするかしないか決めるのがたいへん、というのはあると思う。
フォローしてくれている何千というフォロワーの中には、
- ROM専門で全く呟かない人
- 懸賞RTしかしない人
- お取引き専用アカウント
- 社会問題ツイートRTのみの人
- 愚痴や吐き出しアカウント
- フォロワー数増やし狙いの副業アカウント
- 他ジャンル、他CPの人
- (その絵描きにとって)地雷要素のある創作をしている人
- 地雷じゃないけど苦手な作風の人
- 他ジャンルで問題行動を繰り返していて、関わらない方がよさそうな人
などなど、いろいろな使い方をしているアカウントがあるはずだ。
ほかにも、懸賞RTとお取引きがメインだけど数ヶ月に一回くらいは絵を描くアカウントもあれば、お絵描きアカウントだけど最近は他ジャンルのRTも多め、みたいな、ハイブリッドなアカウントもあるだろう。
単純に考えて、フォローしてくれたアカウントを一つ一つ精査してフォローを返すか返さないか決めるなんて、かなりたいへんなことじゃなかろうか。
自分の好みや興味から外れたアカウントでTLがいっぱいになってしまったら、Twitterも楽しくなくなってしまう。(公式アプリ以外でタブ分けすることもできるけど、サードパーティを使いたいかどうかは人による)
こう考えてみると「相手に興味がなくても礼儀としてフォローは返すべき!」なんて、自分はとてもじゃないけどそんなことは言えない。相手から見て自分に興味がないんだからしかたないよな……と感じる。
絵描きだって、他の人の上手い絵を見たいよな……
自分は、すごい人や上手い人の絵をたくさん見たくてTwitterやpixivをやっている。すごいとか上手いとかにもいろいろあって、単純に画力が高いとか以外にも、表現が独特でじわじわくるとか、自分にない発想があるとか、二次創作なら解釈がドンピシャでそれを的確に表現してくれているとかも自分の中では「すごい……! 上手い……!」に入る。
そういう絵描きさんを見つけてワクワクして、フォローしていいねしてRTして「はあ……好き……」と胸を躍らせて、ときには真似してみたり刺激を受けてみたりしたくて、Twitterをやっている。たぶん、みなさんそうなんじゃないか。
きっと、フォロワーの多い絵描きさんだってそうだろう。「すごい……! 上手い……!」と思える絵描きさんに出会ってワクワクしたいんじゃないか。
だったら私がフォロー返しされなかったとしても、私の絵がその絵描きさんの心をワクワクさせなかっただけの話だよな……と、これもまた仕方ないことのように思えてくる。
「私はあなたより下手だけど、あなたは私の絵なんか見てもワクワクしないだろうし参考になるところもないだろうけど、私の絵を見てよ! フォロー返ししてよ!」とは、やはりとてもじゃないけど思えないし、「フォローしてあげたんだからフォロー返ししてくれるべき」って、考えようによってはそっちの方が傲慢な気がしてくる。
このへんに思い至ったとき「もう他人に勝手な要求をして勝手に落ち込むのはよそう」となった。
言いがかりをつけられたこともあるだろうな……
自分はほそぼそと二次創作をしている絵描きだけど、創作をしている人にはいそいそとフォロー返しをする派だった。なぜなら、同じジャンルの創作は見たいし読みたいから。そのためにTwitterをやっているから。
すると、懸賞RTアカウントの人から「たいしたフォロワー数でも画力でもないくせに選り好みしてフォロー返さないとか何様だ。自己顕示欲の塊が偉そうにTwitterやるな」と言われたことがある。それからは「選り好みした」と言われるのが怖くなって、一切フォローを返さなくなった。そのうち知らない人にフォローされるのも怖くなって鍵アカウントにした。
もしかしたら、私は懸賞RTアカウントだと判断したけど数ヶ月に一度くらいは創作している人だったのかもしれないし、その数ヶ月に一度の創作をスルーされたことで「下手くそなお前なんかフォロー返ししねーよ笑」と私に言われた気がして気に障ったのかもしれない。
私は「下手くそなお前なんかフォロー返ししねーよ笑」なんて一言も言っていないし思ってもいないのに(なぜなら、懸賞RTアカウントだと思っていたから)、幻影に対してブチ切れてついうっかり暴言を吐いてしまったのかもしれない。実際はもっとひどい、完全にアウトな言葉だった。
弱小絵描きの自分でさえこんな経験があるのだから、何千もフォロワーがいる絵描きさんはおかしな逆恨みされたりとかもあるだろうな、と思った。顔の見えないたくさんの人、みんながみんな好意的とは限らないし、豹変する人もいるし。
絵描きだって、地雷あるよな……
あと、誰かをフォローするとき、地雷はよける(人もいる)と思う。
地雷が全くない人もいるだろうけど、細かくいろいろある人もいる。
何千人にフォローされている絵描きの場合、その何千人の中にそりゃ地雷もあるだろう。全部フォロー返ししていたらたいへんなことになってしまう。
地雷CP・地雷ジャンルを描いている
二次創作の場合、これは避けて通れない。
地雷CPを描いていたり地雷ジャンルを描いていたりすれば、いくら絵が上手くてもいくら人柄が良くてもフォロー返しはためらってしまう。
「あの人の○△大好きなのに逆があるからな……私絶対に逆は無理なんだよね……あー○△だけ描いてくれればいいのに」みたいな。でも良識のあるオタクはそんなことは口が裂けても言ってはならないことが分かっているので、涙を飲んで静かにさようならをする。
男性向けが苦手な人、女性向けが苦手な人、性的表現が苦手な人、腐や夢が苦手な人もいる。「自分の性癖は誰かの地雷」みたいな言葉をどこかで見かけたけど、たしかにそれくらいに考えていてちょうどいいと自分も感じている。
上手い下手関係なく、絵柄が地雷
知り合いで、「すごく絵が上手くても、耳の位置がずれてる絵がゾワッとして見られないんだよね……」と言っていた人がいる。それはフォロー返ししたくても慎重になってしまうかも。「あなたの耳が地雷でフォロー返しはできませんけど嫌いだからじゃないんです」とは言えないし。
耳が下すぎたり、横顔の耳が前にありすぎたりするとゾワッとしてしまって、創作物が頭に入ってこないんだって。たぶん、自分が絵の練習をしていく過程で耳の位置にこだわりができて、なんかそうなっちゃったのだろう。自分もそれはちょっと分かる。他がすごく上手くても横顔の目の位置がずれているとゾワッとしてしまって正視できないときがある。
マヨネーズが食べられないとかチューブからケチャップを出すのが気持ち悪くてできないとか片栗粉の触感が苦手で触れないとか、もう、そういう「なんだかわからないけど苦手」というものが、人にはあるので。
絵が上手いとか下手とか、そんな単純なものではないんだなと思った次第。
人間の種類が違う感じの人が苦手
地雷と少し違うけど、朝イチのツイートで
「おはようございます(絵文字)
今日はどこどこ地方は雨マーク……(絵文字)
でも心は晴れ模様で(絵文字)
一日頑張っていこう(絵文字)
(空の写真を貼る)」
みたいな人とは感覚が合わない、と言ってた人もいた。
あとは「ってゆう」とか「せざるおえない」などの誤字系を使う人が無理とか、家庭の話をする人が無理とか、人それぞれ「苦手だからなるべく目に入れたくないな」というものもあるわけで。
「上手いか下手か」よりも「好き嫌い」と「相性」
【地雷】という言葉は使ったけど、こんなのもう全部「好き嫌い」とか「相性」だよねとしか言えない。相手にとって自分が"not for me"だったというだけの話。
じゃあだってその人に気に入られるために全部直すのか?
他ジャンルや逆CPも好きなのに、その人に気に入られてフォロー返ししてもらうために封印するのか?
朝ポエムをやめるのか?
まあ「せざるおえない」は直せばいいけど……。
自分がフォロー返しするケース
自分もいくつかアカウントは持っているけど「フォローするのは創作をしている人のみ」「フォロー返しは同じジャンルの人のみ」みたいなこだわりはないので、趣味が合いそうと思ったらフォローしてしまう。
神絵師でもなんでもない私の場合だけど、「これってつまるところ、相性が何より大事なのでは?」ってことを言いたくて例に挙げていきます。
欲しい情報を素早く共有してくれるRTの魔術師
「なっ……この人は私の今知りたいことがわかるのか!?」みたいなタイミングで欲しい情報をRTしてくれる人がいるんです。
毎回私の絵にいいねとRTをしてくれる人で、あるときホームに行って「どんな人なんだろう」とさかのぼってみた。
そしたらRT多めなんだけど、どれも「そんな面白い情報をどこで見つけてきたんだ!」と思うようなこととか推しに関してちょうど気になっていたようなこととか、ほんわか系のツイートや日常生活にお役立ち系のツイートなど、つまり私の好みにドンピシャで、感動してフォローさせていただいた。
「いつもあなたの絵が楽しみです」と言っていただいたけど、私こそあなたのRTが楽しみです、情報収集能力を尊敬しています、素敵な情報を選別するセンスが大好きなんです、という気持ち。ありがたい、好き、嬉しい、もう少し仲良くなりたい……と思う。
これもやっぱり相性なんだと思う。
ジャンルは違うけどなんか好き
お互いに描いてるジャンルは違うんだけどなんか好き、みたいな人もけっこうホイホイとフォローしてしまう。
その人も私をフォローしてくれていて私の絵によくいいねをしてくれるのでホームを見に行ったら、その人も絵を描く方で「ジャンルは違うのになんか好き!」となってフォローさせていただいた。そのジャンルのこと好きになりそう。気が合うなあという感じ。直感というか、ピンときたとしか言えない。
3年くらいつながっているけどほとんど会話はせず、お互いにいいねをする付き合いだけど、ずっとじんわり好き。
もうこれも完全に相性だけでつながっているとしか言えない。
結局は相性なんだと思う
フォロー返しされなくても、理由はそんなに単純ではない
憧れの絵描きからフォロー返しされなかったとしても、それはたいてい「絵が下手だから」「ROMだから」みたいな単純な理由ではないだろうということ。
- 一つ一つのアカウントをじっくり精査できない
- 絵描きだって自分が興味のある絵を見たい
- 人にはそれぞれ地雷があったりする
- つきつめていうとけっきょくは相性
こんな感じで、ときには複数が混じり合ったりして、複合的なんじゃないかと思う。
もちろん「絵を描く人しかフォローしない」という絵描きの人もいるだろうし、「自分より絵が下手な人はフォロー返ししない」みたいな人も中にはいるのかもしれないけど。
各自のTwitterの使い方だから、それはもう仕方ない。
長く描き続けていたら結局は「相性」なのだと分かった
自分は個人サイト全盛の時代からオタクをやっているので、大手など人気者から見向きもされない悲しさもたくさん経験している。「自分はこの人にとって価値がないんだ」と感じてしまってみじめになったりしたこともある。「くそーなんだよ! お高く止まりやがって!」と思ったこともある。
だけど長くネットで絵を描き続けているうちに「こんなすごい人が、なんで私と交流してくれるんだろう?」という経験も同じくらいしてきた。
私の絵が上達したからではない。むしろさらに下手になってる。
それで今「そうか、けっきょく相性なんだな」ということを実感しているわけです。
一人の絵描きにフォロー返しされなくても、これから相性バチコーンと合う他の誰かと出会うために楽しく絵を描き続けていく。
もしTwitterをやるのに才能があるとしたら、誰かに見向きもされなかったときに一瞬落ち込んだとしても「でもまあ、こういうのは相性だもんね!」と割り切る才能なのかも。
長くのんびり続けることで、相性の合う誰かとはボチボチ出会っていく。コミュ障の自分もそうだったので、きっとみなさんそうなんだと思う。長く続けていくにつれ気が合う人と仲良くなる経験を何度もしていって、「そう言えば、あのブログに書いてあったこと本当だったわ……」となるんじゃないかな……。