絵を描くのは好きなはずなのになかなか描く気が起こらず、焦りばかりが募ってしまう
「絵を描かなきゃ」と思うのになかなか描けなくて、自己嫌悪でしんどい
という人向け【なぜ絵を描きたいのに描けなくなってしまうのか、その原因と対処法】について考えてみた記事。
私の場合の「絵を描きたいけど描けない」を分析してみた
100%の気持ちで絵を描きたいわけじゃなかった
「絵を描きたいけど描けない」っていろいろパターンがあると思うのだけど、自分の場合は「絵を描きたい(供給があってせっかくジャンルが盛り上がっているから、SNSの盛り上がりに乗ってワイワイしたい)けど、描けない(絵を描く気力も体力も、おまけに技量も足りていないから乗っていけなくて焦る)」という感じのことが多かった。
要するに、みもふたもないことを言ってしまうと、100%の気持ちで絵を描きたいわけじゃなかったんだと思う。もちろん絵を描くのはまあまあ好きではあるので、そこらへんの整理のつけかたが難しかったのだけど。
すごくねちっこくあの頃の自分を分析すると、「私もSNSの盛り上がりに参加したい。最近描けてないしなあ……サボりすぎて下手になっちゃってたらどうしよう。だから何か描きたいけど思いつかなくて焦る……。思いついたネタはあるけど私の技量じゃ表現しきれないし。がんばって描いてもどうせ納得いく出来にはならないし、どうせ労力のわりに大して見てもらえないし、とか思ってしまうと描く気になれない……。上手い人がどんどん投稿して盛り上がってるなー、なんでそんなにネタを思いつくんだろう、描くの早いなー焦る……ポツンと取り残されたようで寂しい……私ってダメだな……」
……で、自分は結局ジャンルの盛り上がりに乗り遅れておまけに自己嫌悪も感じてそれっきり。そういう「ガッカリ……」を何度か繰り返していると「Twitter向いてない」「二次創作疲れちゃった」みたいになってくる。
問題をバラバラにほぐして考えてみる
かなりたくさんの要素が絡まり合っていて複合的な問題なのに「絵を描きたいのに描けない」という雑な言葉でまとめてしまっていたために、いつまで経っても解決しなかったのだ。そして「Twitter向いてない」という極論に飛ぶ。
だから、問題をバラして考えたら整理がついてよかったよという記事です。
私の「絵を描きたいのに描けない」という悩みをバラバラにほぐして考えてみると……
※これは昔(20代の頃)の自分の場合なので、それぞれの問題をそれぞれでバラしてみるのがいいと思います。
- ジャンルの盛り上がりに参加したいから何か描きたい
- サボると下手になっちゃうから描かなきゃ
- ネタを思いつかなくて焦る
- 思いついたネタはあるけど私の技量じゃ表現しきれない
- がんばって描いてもどうせ納得いく出来にはならない
- どうせ労力のわりに大して見てもらえない
- 上手い人がどんどん投稿して盛り上がって焦る
- 自分は描くの遅くて焦る
たとえばこんな感じ。
バラバラにした私の問題を一つずつ見ていく
ジャンルの盛り上がりに参加したいから何か描きたい
純粋な「絵を描きたい!」という以外の理由って、誰にでもあるんじゃないか。それはあっていいと思うしうまい具合に混ぜていいと思う。ただ、見ないふりをしてしまうと問題は解決しない気がする。
以前の自分の場合は7:3くらいで「ジャンルの盛り上がりに乗っかりたい、乗り遅れたくない」という理由が大きくなりすぎていた気がする。浅ましい感じで認めるのが恥ずかしいんですけど。
他にも「SNSに何か投稿したいから絵を描きたい・描かなきゃ」「推しの誕生日の絵を描かなきゃ。せっかく一年に一度だし、描かないのももったいないし、描かないと不義理をしたみたいになるし(?)」「フォロワーさんに忘れられないように描かなきゃ」みたいに、「絵を描きたい」以外の理由があるならそれをハッキリさせてみると「なんだ、私は別に絵を描きたいわけじゃないじゃん」ということになる。
本当の望みは「何かSNSに投稿したい」「推しの誕生日に不義理をしたくない(?)」「フォロワーさんに忘れられたくない」とかなのに、それを「絵を描きたい、絵を描かなきゃ」にすり替えているから「描きたいのに描きたくない」になる。
絵を描きたいわけじゃないんだから、描く気が起こらなくて当たり前。
もうここでどうしようもないズレが生じている。
絵を描く以外の方法、ハンドクラフトや写真や文章でも良いわけだし、「推しの誕生日は一年に一回だから」とか「フォロワーさんに忘れられたくないから」とかいう理由も少し掘り下げてみると、なんだそれ? べつにどうでも良くない? それってしんどい思いをしてまで悩まなきゃいけないようなこと? と思えてきた。
複数のジャンルや界隈に所属して一つ一つへの執着を弱めていくことで、こういう、言葉は悪いのだけど「しがみつき根性」みたいなのが薄れてきたように思う。不思議なもので執着が薄れると愛着が増す。
サボると下手になっちゃうから描かなきゃ
「サボると下手になっちゃうから描かなきゃ」「最近描けてないから描かなきゃ」という焦りについては、絵って自転車に乗るのと似ていて、多少休んでも下手にならないと自分は考えている。感覚を取り戻すのに時間がかかるかもしれないけど、ゼロには戻らないというか。
あとこれは自分に対しての言葉なのだけど、「もともとそんな上手くないのにちょっと下手になったからってなんだって言うの? 焦らなくていいよ……せいぜいもう一度積み上げ直せばよい」。
そんな強迫観念に駆られて絵を描くなんて、絶対に楽しくないし描きたくなくなるに決まっている。
ネタを思いつかなくて焦る
何か「これを描きたい!」というのがあるわけじゃなくて、「SNSに投稿するのに何か描きたいけどネタが思いつかない」のだから、そりゃあ思いつかないだろう。
創作ってそもそも「どうしてもこれを描きたい!」という気持ちでするものじゃないのか。
ジャンルや推しをSNS投稿のネタとして考えるのが悪なわけではないだろうけど、果たして自分はそんな気持ちで好きになったんだったかなあ……と考えてみると、そうじゃなかったはずなのになあ……。
このへんまで考えてみて「絵を描くことを何だと思っているんだ私は……」という気持ちになってきた。
自分は一応の一応レベルですが美大受験を経験しているんですけど、そのときの指導教諭に「お前は絵を舐めている! バカにするな!」とめちゃくちゃにキレられた(怒られたとか叱られたとかではなく、キレ散らかされた)ことがあって、なんか私の不誠実さみたいなものが当時からにじみ出していたんだろうなあと、今になるとそう思う。
思いついたネタはあるけど私の技量じゃ表現できない
もし理想を言うならば「思いついてしまったこのネタを描かずにはいられない!」という情熱に突き動かされて、なんとか表現したくて四苦八苦して描きあげることが創作の喜びなのだと思う。
なのに動機が「なんか描いて投稿したいな(あわよくば盛り上がりに乗っかりたいな)」程度しかないので、四苦八苦してまで描かない。そしてまたも「私の技量じゃ表現できないよ……はあ画力が欲しい」と悩みをコンパクトにまとめてしまって、描く前にあきらめる。
こうやってたびたび「描きたいのに描けない」「画力が欲しい」という言葉ですませてしまっていると、どんどんフラストレーションもたまるし、適切な行動もできないので解決もせず、「つらい、Twitter向いてない」みたいになってしまう。
どうせ労力のわりに大して見てもらえない
「どうにかして描き上げてSNSに投稿しなきゃ!」と気力を振り絞って完成させたのにいいねがつかなかった……みたいなことを繰り返していると、どんどん無気力になる。「どうせ今回もがんばったって報われないし。どうせ反応ないし。私の絵なんて誰も求めてないし」で、やる気が出ない……みたいな現象。
でもそもそもアナタ(←自分に言ってます)「あわよくばSNSの流れに乗っかりたいな〜」程度の動機で描いたんじゃなかったでしたっけ……?
もともとの動機が「絵を描きたい! これを表現したい!」だったならば描き上げること自体が喜びだろうし、健全に自己満足できて「どうせ報われないよ」なんて言葉は出てこないんじゃないか。
あと、たぶんだけど、「うおーこれを表現したい!」というパッションに突き動かされて描いたものってなぜか分かってくれる人がいたりする。
「これを表現したい!」という動機と「盛り上がりに乗っかりたい!」という動機がうまい具合に混ざれば良いのかもしれませんね……。後者が肥大するとこじれてしまう。
上手い人がどんどん投稿して盛り上がって焦る
上手い人は描くのも早くてどんどん描いてどんどん投稿して盛り上がっている。
それを見て「私が描く意味ないじゃん……」と焦る。やっとSNSに投稿したのに反応は薄くて、「もう恥ずかしくて消えたい」と落ち込む。
ここまで来るともう「絵を描きたい」という目的なんかあとかたもなく消し飛んでしまっている。
目的を見失った末のドツボ。「絵を描きたい」とは何だったのか……。
※あくまでも以前の自分の場合は、分析してみるとこんな感じだったということです。ちょっとおおげさめに分かりやすく誇張して書いている部分もあります。こんなゲスい人ばかりではないと思うので参考程度にとどめてください。
本当にしたいこと、本当に描きたいものを考えてみる
悩みってなるべく直視したくないからついついキレイな言葉でコンパクトにまとめてしまい、それが解決しない原因になる。まとめすぎて糸口が分からなくなってしまうのですよね。
「絵を描きたいのに描けない」と感じるとき「自分は果たして本当に絵を描きたいのか?」と問題をバラバラにして考えてみるというの、試してみる価値はあると思う。
もしかしたら(今は)大して絵なんか描きたくないのかもしれない。
または、それは本当に自分が描きたいものではないのかもしれない。
よく言われることだけど、そしてみなさん経験があることだろうけど、本当に描きたいならしのごの言わずどうしても体が勝手に描いてしまっていると思うので。体が勝手に動かないということは何かが少しズレているのかも、と考えてみる。
「ジャンル内でこういう絵柄が主流だから、このキャラはこんなふうに描くのが一般的なんだ」
「みんなこういうネタを描いてるから、ついていくために自分も描こう」
「みんなに上手いと思われたいから、上手く見える絵を描きたい」
こんな感じで"まわりありき"だと、どうしてもモチベーションに欠けができる。
「描きたいけど描けない」というのは、「自分が求めているのは本当はこっちじゃないよ」という、本心からの信号なのかもしれない。そこを無視して「描けないとか甘え! みんな描いてるんだから描け!」みたいに描くまでケツをひっぱたいてしまうのはやめてあげたい……。
SNSだとついまわりに引っ張られて、自分の描きたいものやペースを見失う。まわりのペースに乗っかって小器用に絵を描いていける人もいるけど、それって一瞬は楽しいだろうけど、いずれむなしくなるんじゃないか。
「ん? 描きたいはずなのに描けないな、抵抗があるな」と感じたらいったん立ち止まって「本当に自分がしたいこと」「本当に描きたいもの」を考えてみたほうが、ドツボにハマらないんじゃないだろうか。
またいつか自分が見失ったときのために書き残しておきます。