Twitterで『絵が上手いですね』って褒められたんだけど、なんて返すのが正解なんだろう……?
絵を褒められても社交辞令とかお世辞だと思ってしまって、素直に受け取れないんだよなあ……
と悩んでいる人向け、【褒められたときは言葉通りに受け取って『ありがとう』でいいんじゃないだろうか】という話。
絵を描いていると多かれ少なかれ、SNSやリアルで「絵が上手いね!」みたいに言われること、褒められることってあると思う。そういうとき自分はうれしさよりも「それ本当にそう思って言ってるのかな?」という猜疑心とか「何て返事すればいいんだろう?」という戸惑いのほうが強く、おっくうに感じていた時期があった。
それって今思うと自己肯定感の低さ&自意識過剰のせいだったので、考え方を変えてみたら気が楽になったという話。
変なプライドはありつつも根本的には自信がない
そもそも自分がなぜ「うれしい! ありがとう!」と言えなかったのかというと、二つ理由があったと思う。
「アラばかりのこんな絵を褒めるなんて、何も分かってない……私は全然満足いってないのに」という気持ちと、「どうせお世辞だろう。だとしたら本気にしたらバカみたいだから真に受けないでおこう」という気持ち。
どちらも自分の絵に対する「変なプライドはありつつも根本的には自信がない」に端を発している。
自分は美術科受験のために中学からデッサンを習っていた中途半端な経験が仇となり、「私は人よりも長くやってて上手いはず!」と「こんなにやってきたのに私は全然ダメだ!」のミルフィーユ状態。自己評価が完全にバグっていた。
だから褒めてもらっても混乱して、素直に受け取れなかったのだと思う。
褒め言葉をかんぐってしまうのは【投影】だったのかも
自分は褒めてもらっても「きっと本当は下手だと思ってるんだ、きっと陰ではバカにしているんだ、社交辞令で無理に褒めてるんだ!」などと裏をかんぐってしまっていたわけだけど、これは自分の中に原因があった。
人間って、自分の辞書に載ってないことは思いつかないようになっている。
つまり「私自身も他人のことを"本当は下手だと思っていて陰ではバカにしているけど社交辞令で無理やり褒めて"いたから、相手もそうだと感じてしまっていた」だけの話。心理学で言う【投影】というもの。
10代の頃の自分は、本当にイヤな話だけど、人を見下していたんだと思う。
こんなんじゃ、そりゃあもし自分が褒められても受け取れるわけがない。
気持ちを変えるのは難しいから、まず行動を変えてみた
かと言って「じゃあ今から変なプライドを捨てよう! 謙虚になって素直に人のいいところをどんどん吸収するぞ〜!」と思ってみたところで、そんなに簡単に切り替えられたら悩んでいないわけで。
だから、まず行動から変えてみた。
幸いまわりに「こんなふうにふるまえたらいいのにな」と思えるオタク仲間がいたので、真似をしてみることにした。
褒められたら素直に「ありがとう」
まず、褒められたときに素直に「ありがとう」を言ってみるようにした。
最初はものすごく抵抗感がうずまいたのだけど、でもそれって「私の絵を褒めてくれてありがとう」と思おう(言おう)とするから抵抗があるのであって、
- 私の絵に目を留めてくれてうれしいから、「ありがとう」だし、
- 何か感じてくれたとしたらそれもうれしいから「ありがとう」だし、
- リプを送って気持ちを伝えてくれたという手間に対しても「ありがとう」だよなあ……
と考えると、素直に「ありがとう」と思えるし、言えるようになった。
また「人に褒められて素直にありがとうを言う」というのをやっていくと、その行動に気持ちが引きずられて、素直になってきた気がする。(これは説明が難しいので興味があれば試してみてください)
自分の中が「褒められた→嬉しい!」とシンプルになると、人のことも素直に「好きだから→褒めたい!」と思えるようになってきた。
そうなると、自分の絵が褒められたときに「どうせお世辞でしょ?」と思わなくなってきた。
あんなに疑心暗鬼だったのに、びっくりするほど居心地が良く感じられるようになった。
【感嘆詞】や【名指し】を使ってみた
SNSは文字だけなので単に「ありがとう」だとぶっきらぼうに見えてしまうかも……と思ってしまうのも、返事をしにくい理由だった。
「うっひょおおおおおマジですかもったいないお言葉すぎて今五体投地してます!!!!!!!」みたいにおどけた感じのハイテンションで返すのがキャラに合っていて苦にならない人もいるかもしれないけど、自分はテンションが低い人間なのでこれでは疲れてしまう。無理してる感じが伝わって、きっと相手も疲れさせてしまう。
だから自分の気持ちに合った感嘆詞をつけてみることから始めてみた。
「えっ! ありがとう……!」
「わあ、ありがとうございます〜!!」
「やった! ありがとう!」
これだけでも、どんな気持ちでどんなテンションの「ありがとう」なのかが自分なりに表現できるようになった気がする。
また、「○○さんにそう言ってもらうと嬉しい! ありがとう」というように、名指しで返事するというのも自分にとってはよかった。名指しすることでより素直になれるというか、より相手に親しみとかありがたさが湧く気がした。(これも説明が難しいので興味があればやってみてください)
コミュ力の高い人の真似を(できる範囲で)してみたら、なんと、気持ちがよかった! という話です。
気持ちが行動を作るんじゃなくて、行動が気持ちを作っていくんだな……と感じた。
「でも、相手がお世辞で褒めてるかもしれないじゃん……」
「でも相手はお世辞で言ってるかもしれないのに……お世辞に対して『ありがとう』なんて返したら『ププー! こいつお世辞を真に受けてるよ! バカじゃないの?』って思われちゃうのが怖い……」
と最初は自分も思ってしまったのだけど、ちょっと考えてみたのだ。
もし、相手がお世辞で褒めているとしても、「お世辞を本気にしてバカみたーい!」と笑ってきたとしても、それは相手の問題だ。人から褒められても一生それを素直に受け取れないまま、人をバカにして疑心暗鬼のまま生きていくのだろうし、そんな人の方がよっぽど「バカみたい」ではないのか。
自分は疑心暗鬼でギスギスしていくのには疲れてしまったので、その考え方はやめた。
相手の気持ちを突き返すことで、自分のことも傷つけていた
今までは褒められたときについ「いやいやそんなことないです、私なんか全然ダメで……(お世辞やめてくださいほんと……)」みたいに言ってしまっていたけど、これって謙虚なようでいて実は相手の気持ちを受け取ろうともせず突き返す行為だったのではないか……? と思うようになった。
また、「どうせお世辞でしょ、私の絵なんて全然ダメだし」みたいに思ってしまうのって、自分のことも軽んじて傷つけている。
今思うと相手のことも自分のことも大切にできていなくて、でもどうしていいか分からなくて、気持ちの変えかたが分からなくて、グルグルと苦しんでいた。だから絵を褒められたときに、なんともモヤモヤとした、イヤな気持ちを抱いてしまってたんだと思う。
そんなときに、褒められたら素直に「ありがとう」を言ってみることで少し楽になったという自分の経験です。