反応ないから絵を描くのやめたい……
「もし反応が良かったら続きを描きます!」(反応が少なかったら描く気がしない……)
……な人向け【まわりの反応だけ振り回されていると、絵を描いていても楽しくなくなってしまうのでは。反応に振り回されないコツを考えてみた。】という記事。
「イラストをアップしてもいいねが少なくてガッカリすることばかりで、絵を描くモチベーションがなくなってしまいました」というお悩みをよく聞く。
自分もそういう時期があったので「わかる……」と思う反面、それだと自分がしんどいだけなので、まわりの反応に振り回されない描き方にシフトチェンジしていくとよいのでは、とも思う。
苦悩の末「自分は今はこんな感じの考え方に落ち着いてちょっと楽になったよ」ということについて書いてみる。
「誰かに見てほしい」という気持ちを大切にしていい
まず、「反応があったらやる気が出る、反応がなかったらやる気が出ない」というのは当たり前だと思う。(人によって度合いに差はある)
ちいさな子どもがちょっとした手遊びかなんかをして「お母さん! 見て! お母さん!」と母親の注意を引いている姿を見かけるけど、「誰かに見てほしい、反応してほしい」というあの気持ちは大人になったって変わらずあるだろう。
さすがに大人なので見てほしくても「ねえ! 見て! 見て! ねえー!」とは言えず、我慢に我慢を重ねてしまった結果「反応がないから描くのやめます……」となってしまうんだと思う。
思うに、「見て!」と思いっきりアピールした上で見てもらえないことよりも、「見てほしいのに我慢して要求を言えない」ということのほうが悪いモヤモヤが残るんじゃないか。
だったら我慢しないでまずは「見て!」と言ってしまう。だって、見てほしいのだから。「見てほしい」という気持ちを大切にして、できる限りの、見てもらう工夫をする。
「フォロワーさん、見て!」と言ってもいいかもしれないけど、もっと大人らしい(?)やり方もある。
- 見どころをアピールする
- セルフRTをする
- 適切なタグをつける
みたいな感じで。
見どころをアピールする
自分が小さい頃、母親に絵を見てもらいたくて「見て!」と言うと「はい見たよ」といなされることがあって、「これじゃイカン、私の望む反応ではない」と子どもながらに感じたことがある。それからは「ここの線見て」「この塗り方上手くいったから見て」みたいに見どころをアピールするようになった。(めんどくさい子どもだった)
でも、反応をしてもらいたいという場合なら、SNSで絵を描く場合でも「ここに力を入れて描きました。自分では気に入っているけど、どうかな?」と見てほしいところを具体的にアピールすると、相手も反応はしやすいのではないかと思う。
「この絵どう?」と言われても答えようがないけど、たとえば「透明感を出したくて髪の塗り方を変えてみたけどどうかな?」と言われると「ほんとだ、透明感出てる」などと反応しやすくなる。
セルフRTをする
セルフRTって賛否両論あるけど(うっとうしいと言う人もいる)、見てほしいという気持ちを大切にするなら良きタイミングでしていけばいいんじゃないか。
自分はあまりTLを追えていないのでセルフRTしてもらえるのはとてもありがたく感じるし、「見てほしい」という気持ちはよくわかるから他人の「見てほしい」も大切にしたいと感じる。
適切なタグをつける
これも、「下手だからタグなんかつけたら迷惑かも……」とか遠慮せずに自分はつけるようにしている。
※ジャンルや界隈でルールやマナーがあれば、そこはきちんと守るようにしている。これもお互いの「見てほしい」を大切にするということだと思うので。
反応がないときにどうすればいいのか
「誰かに見てほしい」という気持ちを抑え込まずにできる限りの見てもらう工夫をする、まずはそれが大切だと思う。
しかしそれでも反応はなかった……ということもあるだろう。
やっぱり、フォロワーさんはお母さんではないし、お母さんでさえ子どもの絵を全部見てくれるわけではないのだし。
絵を描くのは誰のためなのか、と考えてみる
「見て! 見て!」と言っていた子どもの頃だって、見てもらうためだけに何かをしていたわけではないはずだ。
- まずは自分の衝動をカタチにしようとあがく
- 結果として何かが生まれる
- それを誰かと共有したくなる
3に引っ張られて1や2を置き去りにしてしまっていないか、と考えてみることはできると思う。
絵を描くのは誰のためなのか。
「他人はコントロールできない」と割り切る
よく言われることだけど、他人はコントロールできない。
「いいねが○個くらいついたらいいな」と思ったところで、それは他人がすることだから自分にはどうしようもない。だからもとから期待しない。
意外とこれって忘れがちで気を抜くとつい他人に期待してしまうことってあるので、自分は毎回思い出すようにしている。いいねの数とかではなく「書類出しといてくれればいいのに」とか「洗濯物干しといてくれればいいのに」みたいなことも。これを意識するようになって人生全般けっこういろいろ楽になった。
勝手に期待して勝手にガッカリするのをやめる
まわりの反応を期待してるってことは、「◯個くらいいいねがつくかな?」「いいねが◯個ついたらいいな」とある程度、他人の行動について予測をしているってことだと思う。
そうすると、期待した数より少なかった場合にどう感じるかというと、
「思ったより少ないじゃん、ガッカリだ……」
それって、
「誕生日プレゼントに一万円くらいのものをもらえると思ったのに、なんだ、期待より安いじゃん。ガッカリだ……」
みたいな感じで、こう考えてみると、他人に期待するのってかなりカッコ悪い考え方なんじゃないか? と思えてくる。
他人をコントロールするのではなく、自分が動いてみる
個人サイトの時代に長いこと【かんこな(感想がこない)】を味わった私だけど、そんなとき出会ったのが、
感想が欲しかったら、まずは自分が感想を送る。
という教え。
今で言えばこんなふうに言える。
いいねが欲しければ、まず自分がいいねする。
当時は「なんで?」と思っていたんだけど、10年くらい噛み締めているうちに「これっていろいろな効能があるよな」と気づいてきた。
人の絵のいいところを発見することができる
他人にいいねをするときも、手当たり次第ハートを押すわけじゃない。その人の絵をいろいろな視点から見て、いいところを見つけていいねをする。そうすると、いろんな人の絵のいいところに自然と目がいくようになる。
「今まで下手くそだとバカにしてたこの人の絵、よく見ると構図がいつも丁寧に考えられてるんだなあ……いいね!」とか「パッとしないイラストだと思ってたけど、自分はこんなにしっかり描き込んだことないや。すごいな……いいね!」とか。
そうすると「なんであんな絵にいいねがつくの?」とむやみにイライラしなくなり、「自分はここが足りていなかったな」と謙虚になれる。
クラスタの雰囲気が良くなる
当たり前だけどいいねをもらってイヤな人はいないので、クラスタ全体にいいねが増えればクラスタの雰囲気がよくなる。景気みたいなもんで。景気が良くなれば自分にも潤いが回ってくる。
人に優しくなれる
ハグをすると幸せ物質【オキシトシン】が出て癒し効果がある、という説があるけど、ハグ以外にも人に親切にすると同じ物質が出るのだそう。
「いいねがつかない、反応がない」と心がギスギスしているときに、他の人の絵をていねいに見て感想を伝えたりいいねをしてみることで、自分の心も安らぐ。そうすると我を取り戻して、スタート地点にまた立ち返ることもできる。
これは自分ではけっこう実感していて、絵以外でも何か腹が立つことや悔しいこと、悲しいことがあったときほど意識して他人に親切に、丁寧に接するようにしてみている。
YouメッセージではなくI(私)メッセージの考え方
ビジネスや心理学で言われるのが「Youメッセージ」と「Iメッセージ」。「あなた(You)が洗濯してくれればいいのに」だと伝わりにくく「洗濯してもらうと私(I)はとても助かる」みたいな感じで、自分主体の言い方をすると伝わりやすい、というもの。
いいねが少なかったときに「反応ないし絵を描くのやめようかな……」とツイートするのは「あんたらがいいねしないからやる気無くした」というYouメッセージになってしまうんだと思う。
これだとよけい伝わりにくいし、何も解決しない。
もし言うなら「いいねもらえると(私は)うれしくてやる気が出ます!」とか「私はこんな絵を描きたい」とか、自分主体の言葉を発してみることで、気持ちの軸も自分主体に戻ってくるんじゃないか。