「絵が下手ですみません」は【セルフハンディキャッピング】だったのかな

絵描き「つい『絵が下手ですみません……』って言いたくなってしまうんだよなあ」

ROM「なんで絵描きってすぐ『下手ですみません』って言うのかな? 反応に困るんだけど」

という人向け【自分もつい「下手ですみません」と言ってしまっていたけど、これってセルフハンディキャッピングかも? と思ってやめてみた】という記事。

自分も以前つい言ってしまうことがあったのだけど、絵描きの「下手ですみません」ってまわりの人からしてみれば反応に困るだろうなと思う。

自分自身は謙遜のつもりだったし、まだまだ自分は下手だなあとふがいなく感じたのでそれをそのまま言っただけだし、「自分の実力不足を分かって謙遜できる自分はエライ、『下手ですみません』と言って何が悪いんだ?」とまで思っていた。

けど、なんかそうじゃないなと感じ始めた。

よく考えてみたら「下手ですみません」と言うことでプラスに働くことは一つもなかったので、言うのをやめてみたという話。

「下手ですみません」と言いたくなってしまう理由

誰にでも【自意識の肥大化】はある

まず、人には誰しも【自意識の肥大化】というものが起こり得る。

これは「自分の能力を実際より高く見積もってしまう」という心理で、自分の得意(だと思っていること)には特に起こりがちなのだそうだ。自分も身に覚えがありまくる。

たとえば絵を描くことで言えば「自分はデッサンも習っていたし、美術科や美大受験の経験もしたし、まあまあ人よりは少しは上手いはず」みたいに、自分の絵を実力以上に高く評価しがちだった。

人の絵を見て「これより自分の方が上手い」とか「こんな下手な絵にいいねがたくさんついてるのはなぜ?」と思ってしまったりして、でも実際自分で描いてみると思ったほど上手く描けてないし、思ったほどいいねもされない。

「あれ? 私の実力はこんなもんじゃない、もっと上手く描けるはずなのに」

「あれ? 自分では上手く描けてると思うんだけど。もっと評価されていいはずなのに」

これでは居心地が悪いし、プライドも傷ついてしまう。

誰でも傷つきたくないし、プライドを守りたい。

そのために自分から「下手ですみません」と言っておくことで、気持ちの逃げ道を作っておきたかったのだと思う。

【セルフハンディキャッピング】とは

【セルフハンディキャッピング】という言葉があるそうだ。

セルフ・ハンディキャッピングとは、自分の失敗を外的条件に求め、成功を内的条件に求めるための機会を増すような、行動や行為の選択のことを指す概念。

Wikipedia-「セルフハンディキャッピング」

失敗したときのために「今回うまくいかなかったのは自分の実力不足や努力不足のせいではなく、外的要因のせいだ」と言い訳を用意してしまうことだそうだ。(「絵が下手」なのは外的要因ではないんだけど、なんというか「絵が下手なのは才能を持って生まれなかった悲しい運命のせいで、私は悪くない」みたいな感じで、外的要因の言い訳として使っていた。)

テストの前に「全然勉強してないわー(だから良い点取れなくても当たり前だよね)」と言ってしまうアレ。また、テストの前になぜか片付けをしたくなったり漫画を読んでしまうのも、勉強時間を削ることで言い訳を用意したいがための、無意識の【セルフハンディキャッピング】なのだそうだ。

「これは手癖で描いただけ。最近本気のお絵描きしてないなあ……」

「PCの調子が悪くてソフトがすぐ落ちちゃって、集中できない」

「昨日あんまり寝てないから線が安定しないんだよね……」

「あー、私ってまだまだだなー、全然下手で悲しくなる……」

「こんなに下手じゃ、見てもらえなくてもしょうがないよね」

半分くらいはただのグチだったりするけど、半分くらいは自分が傷つかないための言い訳だった気もする。この態度って謙遜に似ているから、自分でも混同してしまっていたけど、そんなきれいなものではなかったな。

【セルフハンディキャッピング】しても良いことはなかった

自尊心が削れていく

思い返せば、自分はいつもこういうふうに保険をかけてばかりだった。絵に限らず。

自分ではうまく描けたと思ったけど、自信満々で期待していいねがつかないと怖い

「下手ですみません……(だから見向きもされなくて当然だから! 分かってるから!)」

やっぱりいいねはつかない

「下手だからやっぱりいいねつかなかったー、しょうがないよね私の絵は下手だから。うんうん想定内想定内! 全然傷ついてないし。下手だからしょうがないよね!」

自分で書いていてなんとも痛々しいのだけど、これって一時的に表面的なプライドは保たれても、自尊心がゴリゴリ削れていく。

まわりを困惑させる

「下手ですみません……」って言われても、まわりからしてみればどう反応していいか困ると思う。

そもそも「下手ですみません」って、謝罪というよりは自分が傷つかないためのワンクッションなので、言うなればひとりごと(個人内コミュニケーション)。どう反応するのが正解かなんてものはない。

けれど、「落ち込んでるのかな? 何か言ってあげたほうがいいのかな?」「そんなことないのに。励ましてあげたい」と気を揉んでしまう人もいるだろう。

10代の頃の自分はとにかくプライドだけが高くて、傷つきたくなくて、いつも「私はブスだし」「取り柄がないし」「絵が下手だし」と常にセルフハンディキャッピングをしていた。

後になってから、「自虐うざい、一緒にいると気分悪くなる」「あの人がいると暗い気持ちになる」と陰で言われていたと知った。

だいぶ後になって知ったので、もちろんショックも受けたけど「あの頃の自分のあんな態度では、そう思われるのは仕方ないな。未熟だった自分が恥ずかしい。申し訳なかったな」という気持ちのほうが大きかった。

それをきっかけに、自分の「ひとりごと」によってまわりの気を揉ませることが申し訳ないと感じるようになり、ひとりごと(個人内コミュニケーション)は表に出さないよう気をつけるようになった。

努力をしなくなる

ベストを尽くしても期待通りの成果を上げられないと傷つく。

けど、その傷ついたことを元にして、やり方を変えて工夫してみたり、かける時間を増やしてみたりと、いわゆる努力をすることもできる。

それを「ほらね、やっぱりダメだった。私はどうせ下手だから」と言ってしまうとそこでおしまいになってしまって、自尊心がズタズタのまま、フタをして生きていかねばならない。

だったら、いったん傷ついてもそこから先を作ったほうがメンタル的にマシだと自分は思ったのだ。

「下手ですみません……」をやめるコツを探していた

もうセルフハンディキャッピングやめたい! と痛切に思ったので、どうすればいいのかを自分なりに探していた。

これってつまり「プライドが高くて失敗が怖い」というのが最大の原因だと思うので、だったらそこをグシャッとつぶせばいいのではないか。

と言うことで長年考えたりヒントを探したり試したりして、

  • 全力を尽くす
  • 失敗に慣れる(できないことを心から笑う)
  • 年齢を重ねることで自然に楽になった部分もある

という3つに至った。

全力を尽くす

「まだ全力出してないし笑」

「私だって本気出せばもっとできるし笑」

と言っていると始まらないので、今の全力を出すことを意識するようになった。

これに関しては、自分がデザインの仕事をしていた頃に一皮剥けたかもと思っている。

仕事だから恥ずかしいとかも言っていられないし、全力で取り組まなければならなかったし、それでも渾身の全力の案がリジェクトされることだってある。

けど、これがとてもすがすがしかった。よくアスリートが「全力を出したので悔いはありません」と言うけど、あれって本当なんだな! と、30過ぎて初めて知った。

何か一つのことを全力でやってみると、それが実を結ぼうが大したことなく終わろうが、心の中には修了印みたいなのが捺された気がする。それだけで、心に少し余裕が持てるようになった。

このことを若いうちに知っている人もいるだろうけど、自分は知らなかったんです。いつも何をするにも言い訳ワンクッションを置くのがクセだったから。でも生きているうちに知れてよかった。

失敗に慣れる(できないことを心から笑う)

自分はいわゆる「死にゲー」が大の苦手だった。余裕をもって一発でクリアできるゲームじゃなきゃやらない。失敗することが嫌いで、自分のプライドが許さなかったからだ。

あるとき『ダークソウル』シリーズのゲーム実況を観た。3人でそれぞれプレイして「死んだら即交代」というルールで、そりゃあ死にゲーなもんでバンバン死んで、プレイヤーさんたちは楽しそうに大爆笑していた。理不尽なゲームオーバーにキレるときさえも、心底、愉快そうに見えた。

これをきっかけに「自分もやってみたい」と思ってやってみたら、楽しかった。

失敗してゲームオーバーになり「くっそー!」「なんだよあれー!」と言うことが、楽しく感じた。

『ダークソウル』をやってみることで、「失敗の面白がりかた」を知ったように思う。おおげさに聞こえるかもしれないけど、これは自分の中ではかなり大きな転換点だった。

年齢を重ねることで自然に楽になった部分もある

単純に、年齢を重ねたことで失敗をおそれる気持ちが減ってきたというのもある。

だって、生きてるだけで恥はかくわけだし、失敗もするわけだし、イヤでも慣れてくる。

10代の頃は「何一つ瑕疵を負いたくない」みたいな感じでそれはそれはしんどかった。自分はいわゆる「いい子」だったから、そしてそれが自分のアイデンティティだと思っていたから、傷つかずにいようと必死で防御していた。そんな期間は長びくほどつらい。壊れてしまう。

でも、そんなピリピリした若人だった自分も、年齢を重ねることで楽になった。

もちろん仕事で揉まれたり死にゲーをやったりと、あれこれと試して探ったりもしたけど、年齢を重ねたことがいちばんの薬だった気もする。

恥の多いみっともない頃のことも今は懐かしいし、こうしてブログに書くこともできたので、たぶんムダではなかったと思っておく。

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