
Twitterを見ていて、
「なんでこんな下手な絵にいいねがいっぱいついてるの?」
「こんな下手な絵にいいねの数で負けて悔しい!」
と思ってしまう人って多いと思う。
この記事では、そのモヤモヤを整理して抜け出す方法についてまとめた。
「あの人、下手なくせになんで?」という気持ちを抱いてしまうってこと自体、あまり精神状態が穏やかとは言えないだろう。
たしかに、そこまで絵が上手くなくてもいいねをたくさんもらっている人はいる。
嫉妬やモヤモヤで絵を描くのをやめたくなる気持ちもよく分かる。
でも他人の絵に対して「私より下手なくせに!」と思ってしまったら、ちょっと立ち止まって考えてみてほしい。
その絵は本当に、あなたよりも下手なのか?
自分の絵は自分が思っているほど上手くないかも。
人には【自意識の肥大化】という心理があって、誰しも自分の実力を実際より高く見積もる傾向がある。
特に、自分の得意なことならば、なおさら。
人は誰でも自分に価値を感じていたいのは当たり前、【自己保存】の本能があって当たり前なので、これはなにも恥じることではない。(でなきゃ生きてるのつらくなっちゃうからね)
ただ、"自分の絵は自分が思っているほど上手くないんだろうな"ということは、常に意識しておくといいかもしれない。
※あくまでも"自分が思っているよりも"ということ。
人は誰でも自分のことを客観的には見られないし、ましてや数値で測れないイラストの上手い下手なんて正しく判断できるわけがない。
だったら、そもそも「私の方が上手いのに」というその前提が正しくないのかもしれない。
相手にも【自意識の肥大化】はあるので、あっちから見たら、あなたの絵のほうこそ「下手くそ」に見えている可能性もある。
また年齢が若いほど、自分を他の人と比べて特別だと思いたがる【自己特別視】の傾向がある。
その自惚れは大きな原動力にはなるけど、早めに自分の思う自己像と現実をすり合わせておく方が、正しい努力をしやすくなる。
つまり、「自分は思ってるほど絵が上手く描けてないみたいだから、羨んでないで人からいいところを吸収して練習しよう!」と気づけるってこと。
自分の場合、むしろそこからやっと上達の一歩が始まった気さえする。(30歳すぎて)
その絵の良さに気づけてないだけかも。
「こんな下手な絵になんでいいねがいっぱいつくの?」という疑問を持つ時点で、その絵を「下手だ」と断定してしまっているのも問題かもしれない。
絵のうまさというのはひとつではないからだ。
構図、色彩、描きこみの細かさ、その絵が表している世界、人物の表情、光の表現、流行り……絵の要素というのは、それはもう多岐に渡る。
自分の母親は絵に疎い人だけど、いわゆる【ヘタウマ】でブレイクしているイラストを見ると「どうしてこんな絵が流行っているの?」と疑問に思うようだ。
しかしいわゆる【ヘタウマ】作品というのは「こんな線は技術で狙って描けるもんじゃないよな」とか「このへんを描くのがんばったんだろうな」「ワンパターンだけど、きっとこの色合いが好きなんだろう。この人の味になってる」とか、ハッとさせられることも多い。
あなたが単に「下手くそ」と感じる絵にも、あなたの意識していない「良さ」があるのかもしれない。
絵柄には流行りもあるから、「なんだこれへんちくりんだな」と感じたその絵も、あなたの知らない流行なのかもしれない。
あなたが流行を知らないだけ、もしくはそれを好きじゃないだけかもしれない。
絵の良さを正確に語るのは、たいへんに難しい。
しかも素人が他人の絵を「下手くそ」と決め付けてしまうのは、そもそも無理があると言えよう。
人は好感を抱いている人の絵にいいねをする
上手い絵じゃなく、好きな人が描いた絵にいいねする。
"基本的に、人は他人の絵に興味なんかない"ということも忘れてはいけないことだと思う。
絵を描かない人にとっては、よっぽど上手い絵でない限り、上手いとか下手とかってたいして分からないしどうでもいい。
だから上手い下手より、好感を抱いている人物が描いた絵かどうか、で判断される。
特にSNSのイラストなんてそんなものだ。
自分のかわいい子どもが描いた絵なら拙かろうが「よく描けたね〜!」と思うけど、どこかの知らない子どもが描いた絵なんか全く興味湧かないのと同じ。
交流をすることが、絵に興味を持ってもらうきっかけになる。
相互フォローだけど全く交流がなく、「この人ってなんで相互なんだっけ?」みたいな人の絵と、日頃からほのかに交流をしていて「何となく好きだな」と感じている人の絵。
当然、どちらにいいねをするかというと後者だろう。
つまり、
交流することで自分に興味を持ってもらう
↓
描いているイラストにも興味を持ってくれる
↓
好意の表れとしての「いいね」をくれるようになる
ということ。
別に好感度を稼げ、ということではない。
いいねというのはそういうもんだってこと。
言い換えれば、SNSのいいねなんてその程度の指標でしかないってことだ。
Twitterでいいねが多い人は交流をしている
交流したければする、したくなければしなくていい。
つまり、すっごく絵が上手くなくてもTwitterでいいねをたくさんもらう人は、日頃からフォロワーと交流をしている。
なんて言うと、
「えー……交流は苦手なんだけど……」
「それって結局いいね返し狙いでしょ? そうじゃなくて、私は私の絵だけで評価されたいんだよ!」
と反発を感じる人もいるだろう。
でも上で述べたように、よっぽど上手い絵でない限り、SNSでのいいねは好感度に左右される。
「あー、ならいいや、いいねたくさんもらわなくても。自分の好きな絵を描こうっと」と思える人はそれがいいし、「じゃあ私もたくさん交流して、たくさん絵に興味を持ってもらいたい!」と思う人はそうするのもいい。
どっちでも自分のしたい方をすればいいのだ。
Twitterでの交流ってどうすればいいの?
「私はもっと交流をしていこうと思う! けど……ホイホイ絡みにいけたら苦労はしないよ」と思うかもしれない。
自分もそうだからよくわかる。
「うざくないかな」「誰こいつと思われたらどうしよう」「わーさっきのリプなれなれしすぎたかな?」「あーやっぱ話しかけない方が良かったかも……」ってどぎまぎしてしまう。わかりすぎる。
でも、そうじゃなくて。
交流と言っても、何もフォロワーに、「おはようございます(絵文字)今日もいいお天気でよかった(絵文字)チビちゃんのお熱どうですか?(絵文字)◯◯さんも無理せず今日も前向きに(絵文字)」みたいなリプを送りつける必要はないと思うのだ。むしろうざい。
いいね返しを狙ってテンション上げて絡みに行きゃいいってものじゃない。むしろうざい。
もっともっと簡単で、シンプルなことだ。
交流とは、相手の呟きに興味を持つこと。突き詰めればそれだけだと思う。
何かしら感じるものがあればいいねをしたり。
勇気と元気とタイミングがあるときだけ、「あ、それ私も食べたことあります、チョコ味も美味しかったですよ!(といいねをそっと添える)」なんて簡単なリプをしたりするだけでもりっぱな「交流」。
相手も絵を描く人なら、その絵のいい部分、自分では描けない表現などを見つけてみる。
もし勇気と元気とタイミングが合えば、「ここが好きです」とさりげなく伝えてみる。
これは交流でもあるし、自分の絵のスキルにも大きくプラスになる。
つまり、対等な人と人同士として、自然につながっていればそれが「交流」なのだ。
絵を通してコミュニケーションをはかる
また、いいねの数は「上手いね」の数ではなく、「わかる〜!」の数だ。
つまり人は、"共感できて、自分も参加できるイラスト"にいいねする。
だから、見る人が反応しやすい(ツッコミを入れやすい)イラストを描くといいねも増える。
例えば、

「犬が雨上がりの畑でゴローンってしちゃった!」というイラストを描く。
それに対して犬飼いさんフォロワーは、「あーうちのもやるやる! それは好きな匂いを体につけているそうですよ」なんて"共感"して"参加"しやすい。
それをきっかけに犬以外のイラストも興味を持ってくれたり、「犬の絵であなたを知ったんだけど、あなたの絵どれも好きだなあ」なんて言ってもらえたりする。
いいねをたくさんもらう人は、共感しやすく参加しやすいイラストを描くことで、ごく自然にコミュニケーションをしているのだ。
他人のいいねの数に悔しくなったら
Twitterでもっとたくさん自分の絵に興味を持ってほしいと思うなら、よっぽど上手い絵でない限り、一方的に見てもらいたがっているだけでは難しい。
「私より下手なくせにいいねがたくさん、なんで!?」と感じたら、
- 謙虚に自分の絵を見つめ直すきっかけにする
- 交流して、自分や絵に興味を持ってもらう努力をしてみる
フォロワーはお母さんでも担任の先生でもない。
一方的に「私の絵を見て! 褒めて!」と思うのではなく、対等な交流をして相手のことに興味を持つことから始めてみよう。
同時に自分の絵を良くするために新しい練習法を試したり、他の人のイラスト、流行っている作品からインプットしたりするのもいい。
人といいねの数を比べて一喜一憂している時間がもったいない。やれることはたくさんある。