「意地でも流行りものを避ける人、ミーハーを嫌う人っているよね……あれってどういう心理なんだろう?」
と疑問に感じている人向け、
【自分は他の人と違って特別な人間なんだと思っていたかったので、流行りものを忌み嫌って避けていました。】という私の話です。
私には、流行りものに意地でも乗らない、「流行っているものに飛びつく人たちはみんな程度が低い!」と軽蔑していた時期がある。小学生から中学生にかけてがいちばんひどかった。
流行をどんどん楽しむいわゆる"ミーハーな人"を軽蔑して、「みんなレベル低い! でも自分は違うけどね!」と聞かれてもいないのに唾を飛ばして主張しまくって、常に何かと戦っていた。
昔の私みたいな人、あなたのまわりにもいるかも。きっとうざいよね……本当に申し訳ない、昔の私もそうだった。
今思うとあれがいったいどういう心理だったのかよく分かるようになったので、恥をしのんで記事にまとめることにする。
- 意地でも流行りものを受け入れない
- ミーハーを忌み嫌う
そんな心理について、自分の経験をもとに(あくまでも自分の場合の話です)少しでも説明できたらと思う。だいぶ醜い話です。
※「自分も流行りやミーハー嫌いだけど、そんな醜い気持ちじゃないわ。私は違う、一緒にしないで」と思ったらぜひスルーしてください。幸せなままのあなたでいてほしい。
「流行りやミーハー大嫌い!」な人の心理って?私の場合はこうでした
流行を肯定したら自分のアイデンティティが揺らいでしまうから
まず、私は教室のすみっこで一人で絵を描いているタイプの小学生で、いわゆるスクールカーストの下の方だった。クラスで目立つ子たちがけむたくて当然仲間にも入れっこないし「まあ別にあんなヤツらの仲間に入りたくもないけど!」と思っていた。
「私は目立つ子たちとワイワイなんてしない、特別な人間なんだ。絵も上手いし」
目立つ子たちが流行りのアニメやアイドルに熱中しても、
「私はあんなヤツらとは違うから、そんなアニメやアイドルは興味ない! 目立つ子たちの好きなアニメなんか絶対に見ない、同じことなんてするもんか」
だって私はあんたたちと違って特別な人間なんだから。と思うことで自尊心を保っていた。
そんな自分がもし流行りのアニメを好きになったらどうなっちゃうと思います?
"私はおまえらとは違うから特別なんだ"というアイデンティティが崩壊するんです。
だから絶対に流行りに乗るわけにはいかなかった。
流行りに乗ること、すなわち(アイデンティティの)死を意味する。
あなたのまわりにもし「流行りに乗ったら死ぬんかい!」ってくらい、信念とかを超えたレベルで流行を忌み嫌う人がいるなら、それは流行りに乗ったら(アイデンティティが)死ぬ人なのかもしれない。
盛り上がっているけど仲間に入れなくて嫉妬しちゃうから
盛り上がってるところに入りたいけど入れないから「別にあんたたちなんかの仲間に入りたくないし!! 私は絵を描いてもっとすごい作品を作るのが夢だから」と自分の望みをすり替えちゃってたのもある。
すごいすごいとたくさんの人にもてはやされて注目を集めている、流行りのアニメやアイドルに対して嫉妬の感覚もあった。
私は教室の影で誰からも注目を集められない一人ぼっちなのに……。
誰も私のことを褒めてくれないのに……。
自分がそんな情けなくて醜い気持ちを感じてるなんて思いたくないから、
「流行りのアニメ? そんなのぜんっぜん面白くないし絵も変! デッサンが狂ってるじゃん笑 興味ないわー」
「流行りのアイドル? ブサイクだし歌も下手! なんでこんなのが売れてるかわかんない。こんなアイドルを好きな人の気が知れない」
なんて嘯いてクラスからいっそう孤立していった小学生時代。
Twitterにもこういう人よくいますよね。
「自分のほうがすごいんだ!」という根拠のない自信が揺らいでしまうから
あとは、流行りのものとしっかり向き合ってしまって、その作品のすごいところが見えてしまうのが怖かった。
少しでもその作品を「いいな」と思ってしまうのが怖かった。
だって、「自分の方がすごいんだ」という根拠のない自信なんて、賽の河原で積み上げる石の塔みたいなもんでグラグラしっぱなし。ちょっとのことで崩れてしまうから、目をつぶっているしかなかった。すごいものを見るわけにいかなかった。
自分は一般庶民とは違う特別な人間だと思っていたいから
結局のところ、私は他の人とは違う特別な人間なんだと思っていたかったんだろう。
大人になって少しだけ丸くなって、流行りにも乗れるようになってからも、"それでも自分は特別だし!"っていう謎のイキリがあった。
同じ作品を好きなファン同士に対しても「この人Twitterで偉そうに考察書いていいねいっぱいもらっててウザい! 私のほうが考察が深いし!」「新しく流入してきた新参ファンが大きな顔してウザい! 私のほうがファン歴が長いんだから!」みたいな、とにかく自分が特別でいたいという苦しみの中にいつもいた。
小学生の頃は、
"流行りには絶対乗らない。なぜならそこらのヤツと一緒にされたくないから"
だったのが、大人になって、
"流行りには乗るけど、そこらのヤツらと一緒にされたくない"
という、もっと厄介で醜い第二形態に形を変えたのだ。
自分は特別な人間でもすごい人間でもない、と分かったら楽になった
なんやかんやあってそこをやっと抜けた私は、今こうしてぶざまな昔の自分について書いている。
どうしてそこを抜け出せたのかというと、"年齢を重ねた"というのがいちばんの理由だと思う。20代も半ばを超えた頃には、もういいかげんカッカしなくなった。
あとは複数の友人(向こうは私のことを友人とも思っていなかったかもしれないけど)から「何様? あなたの話聞いてるとイラつく」「自分がどれだけの人間だと思ってるの」「さぞ自分がすごい人間だと思ってるんだね笑」「はいはいまた自分は特別ですって言いたいのね〜」などと、たびたび冷や水を浴びせかけられたこと。
一度じゃ分からなくて、いろんな人にいろいろ言われてその積み重ねでやっと目が覚めた。
あの頃逆ギレしてしまった相手に、いつか「ごめんなさい」と「ありがとう」を言いたい。思い出すのも恥ずかしく、今こうして書いていても情けなさに泣けてくる。
"私は他と違う特別な人間なんだ!"というわけのわからない怨念のために、今までたくさんの人を傷つけて、たくさんの人に嫌な思いをさせてきた。
誤解してほしくないのは、信念があって流行りやミーハーを嫌う人もいるんだろうし、全然それはそれでかまわないということ。流行を嫌う人みんながみんな、私のような呪詛にまみれているわけではないだろうし、信念から生まれる創作もあると思う。
でももし昔の私のように必死で牙を剥いて苦しんでいる人がいたら、「それは年とともにおさまったりするので一生は続かないから大丈夫だよ」と言いたい。
ということも書き加えておきます。