なぜ絵でこんなに悩むのか。球速100キロ打てなくても悩まないのに

Twitter見てると病んでる絵描きをたくさん目にするけど、絵なんか描けなくても生きていけるのになんでそんなに悩んでるの?

と疑問に感じている人向け【なんだか知らないけど『絵なら人並み以上できる』『絵は自分の唯一のアドバンテージだ』って生きるよすがにしちゃってたんですよねえ……】という自分の話。

絵を描かない人から「なんで絵のことでそんなに悩むの? ただの趣味なんでしょ? 別に絵なんか描けなくても生きていけるのに……」と言われたことがある。

そのときは「『ただの趣味』だと!? こちとら死ぬ気で悩んでるんだぞ!!」と一瞬カッとしたんだけども、すぐに「それもそうだな」と我に返って、

  • 絵描きはどんな経緯で悩むのか
  • どういう心理がしんどかったのか
  • 絵の悩みから抜け出すきっかけ

について考えてみた自分の話です。

なぜ絵でこんなに悩むのか。球速100キロ打てなくても悩まないのに

自分が初めてバッティングセンターに行ったとき、「うわー速い! 打てるわけないよー! 打てなすぎて面白い! こんな世界があるんだ!」と楽しむことができた。しばらくかすりもしなかったけど経験者の友人にコツを教わると少しずつ前に飛ぶようになり、いちばん遅い80キロが打てただけでとても嬉しかった。友人はもっと速い球をバンバン打っていたけど「すごい!」と純粋に感嘆の声が出た。

「あの人は150キロ打てるのに私は80キロしか打てない、私にはどうせ才能もセンスもないんだ、みじめ……」なんて思いもしなかった。

なのになぜか絵となると「絵が上手く描けなくてつらい、あの人と比べるといいねの数も少ないし……私にはどうせ才能もセンスもないんだ、みじめ……」となってしまう。

このときなんとなくヒントを見つけた気がしたので、自分の悩みについて考えてみた。

絵は持って生まれた「才能」と「センス」で描くものだと思っていた

これは恥ずかしくて腹が立ってしかたないのだけど、昔の自分は「絵というのは持って生まれたセンスと才能によって描けるもの。自分はその天性の才能とセンスがあるから、たいした努力をしなくてもいつか花が咲く。それはいつだ! はよしろ! まわりのやつらにセンスがないせいで自分の良さが認められないんだ!」と思っていた。

大学生のとき先輩から「自分が天才だと思いこんで不遇を全部まわりのせいにするのって凶悪犯罪者の動機によくあるパターンだよね笑」と言われてゾッとして、自分の恥ずかしさに気づき始めた。

「いやいや、絵は結局センスや才能でしょ? 私はセンスも才能もないからこそこんなに悩んだりまわりをうらやんだりして苦しんでいるんだよ!」と言う人も多いと思う。自分もそう思って悩んだ時期があって、そこらへんももう少し掘り下げて書いてみる。(あくまでも自分のケースです)

根拠もないのに自分は絵が得意だと思っていた

自分は物心つく前からお絵かきをしていて、まわりの大人から「上手いねー!」「すごい! よく描けたね!」とチヤホヤしてもらっていた。その程度のお絵描きなんて誰でもできることなのに。幼い子どもだから褒められていただけなのに。しかし私はそこで「私は絵が得意なんだ」とたかをくくったまま大人になってしまった。

中学生くらいまではそれで良かった。が、高校生になり美大進学組に入って全てが瓦解した。

まわりには自分よりも上手い人しかいない。

自分が得意だと信じ込んでいたものが実はそうではなかったとき、素直に努力不足を認めることができなかった。

まずは気持ちのつじつまを合わせるために、「実は、自分には才能もセンスもなかったんだ。神に選ばれてなかった。だから描けなくても仕方ない」「才能もセンスもないくせに、私は練習する根性もないダメ人間。だから描けなくても仕方ない」と自分で自分に言い訳をしまくった。

さらに一転、「私はセンスも才能も、努力する根性すらないダメ人間……ああ本当にダメで哀れな私……生きてる意味がない……」と今度はド卑屈になることで自分の心を守ろうとした。

自分の取り柄は絵しかないと思っていた

さらに悪いことに、自分には他に取り柄がなかった。「他のことはできないけど、まっとうな人間にはなれないけど、絵だけは得意だから」みたいなのを自分のアイデンティティにすらしていた。

成績がいいとか何かスポーツを続けているとか取り柄が他に何かしらあれば、アイデンティティが絵に全振りはされなかっただろう。

でも成績も中くらい、他に趣味もない、がんばって長く続けたこともない、取り柄もない……となると、もし絵で挫折したら全部無くしてしまうことになる

そんなわけで、

  • おごりたかぶり
  • 言い訳がましい
  • 他に取り柄がない

という考えうる最悪の条件がサクサク揃って、私はこじらせ絵描きとなった。

ここに絵で病まないためのヒントもある

ということは今まで書いてきた中に「だったらどうすればここから脱することができるか」のヒントもあるということだ。

  1. 自分は絵が上手いと間違った思い込みをしていたことに気づいた
  2. 「才能もセンスもない」は言い訳の一環だったことにも気づいた
  3. 他にも自分のアイデンティティ(取り柄)を作ってみた

上2つは今まで書いてきたことで、気づいてみると恥ずかしいだけの話だった。

そして最後の1つは、実際に行動してみたこと。

美大受験の反動で大学時代は一切絵を描かなかったので、交友関係が広がり誘われるままに、スポーツ、音楽、学業、演劇、旅行などに没頭して過ごした。たくさんのアルバイトをかけもちし、マリンスポーツのサークルに入ってみたり、ボイストレーニングに通ってみたり、シナリオスクールの体験入学もしてみた。バンドも組んだ。鉄道サークルで格安旅行も楽しんだ。

どれも初めての経験だから「最初はできなくて当たり前、少しずつ上手くなろう」という気持ちで取り組むことができた。この感覚は、気持ちがどんどん楽になって広がっていくような体験だった。

また、いろいろ経験して楽しんでいくうちに、絵を描くこと以外にも自分ができることや楽しめることはたくさんあるんだと分かっていった。

あと大学では心理学を専攻していたけど、並行して仏教の講義も積極的に取りました。

仏教って「心理学を理屈抜きで分かりやすく言い換えている」みたいな要素も多く、気持ちのこんがらがりをシンプルにほどいていくのに役立った気がしている。

今思うと、学生時代は一気に自分をこじ開けて整理し直すのに恵まれた時期だった。

今となってはただただ昔の自分が恥ずかしい。でも「これからまたなにか悩むようなことがあっても、今度はそれほどドツボにハマらず立て直せるかもしれない。だってあんなひどい自分を乗り越えてきたのだから……」という、ささやかな支えにはなっている。

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