なぜトレパクをしてしまう絵描きが後を絶たないのだろう? こんなに何度も問題になっていて、トレパクをした絵描きが叩かれているのを見ているはずなのに……
と疑問に感じている人向け【自分も絵を描く人間なので、トレパクをしてしまう心理について考えてみたらけっこう根が深かった】という記事。
「トレパク」というのは、既存のイラストや写真を「トレース」、つまり上からなぞって、または見てそっくりに描き写して、自分の作品としてしまうこと。(見てそっくりに描き写すこと、いわゆる模写を「目トレス」なんて呼びかたをする人もいる)
他者の表現方法に影響を受ける「表現の模倣」自体は芸術にはつきものなのだけど、既存の作品を許可なくトレースや模写して自分の作品とするのは、著作権の侵害であって「パクリ」だと自分は判断している。
実際、「トレパク」が問題になることは多い。
これだけたびたび問題になっていてそれでもなぜやってしまう絵描きがいるのかというと、「ダメだ、あぶない、と分かっていてもやめられないくらいにトレパクは気持ちいい」ということなのだと思う。
同じ絵を描く人間としてその気持ちよさは分かる部分があるので、そこの中毒性について考えてみた。
※トレースと模写(目トレス)の違いについては複雑になるので、ここでは含めていません。
トレパクしてしまう人の心理について考えてみた
上手く描けないモヤモヤが一発で吹き飛ぶ
絵を描く技術がまだ未熟なうちは「上手い絵を描きたい!」という欲求がありつつも「上手く描けない」というジレンマがある。
みんなここでしんどくなって、悩んで、「上手くなるにはどういう練習をすればいいか」「右向きの顔が変なんなるけどどうして直したらいいか」「手が上手く描けないから、いいデッサン本を知りたい」などとネット検索したり書籍を買ったり講師に教わったりして、少しずつがんばっていく。それでもなかなか上達の見通しもつかず、真剣に考えれば考えるほど不安や焦りがつのったりする。
自分は美術科受験のため中学の頃にデッサンを習っていたのだけど、「こんなことをしていて上手くなるのか? 無駄なのでは? 間に合わないのでは? いつ上手くなれるの? 何ヶ月で上手くなるの?」みたいに不安と焦りでいっぱいだった。何度も悪夢をみたくらいに、常にモヤモヤ悩んでいた。
「自分には才能がない、センスもない、何の取り柄もない、価値がない……」
絵が上手く描けないことで、いつしか自分自身の価値も否定するようになってしまっていた。受験がどうとか、絵がどうとかよりも、「自分の価値」を信じられなくなったことが最もしんどかった記憶がある。
そこで既存の作品をなぞって描いて、描けたつもりになってしまえば、人生の8割くらいを占めていた「上手く描けない=自分には価値がない」というモヤモヤが一発で吹き飛んでしまうわけだ。
一生モノだったはずの悩みが、一瞬で消える。(実際にはまったく消えていないのだけど)
そりゃあ解放感やら全能感やらがみなぎってきて、ハイになって、さぞかし気持ちいいだろう。
「他人の著作権を侵害しているんだぞ」「バレたらたいへんだぞ」「冷静に考えろ、そんなの自分の実力じゃないぞ」なんて良心の声なんか、いとも簡単にかき消されてしまうだろう。
あの頃の苦悩していた自分のことをかえりみると、そんな想像ができる。
他人からチヤホヤされて評価される喜び
また、絵を描く人に限らず「他人から認められたい、評価されたい」という気持ちはあると思う。
SNSで絵を描いていると他人といいねの数を比べて一喜一憂し、いいねがつかない自分のことを「価値がない」と判断して落ち込む……というのもありがち。
「評価されたい、チヤホヤされたい、でも価値のない自分のことなんて誰も見てくれない……」
これもまた、人によっては一生モノの大きな苦しみの一つかもしれない。
無断転載やトレパクをするとたくさんいいねがつき(一時的に)その悩みが吹き飛ぶ。
上の例と同じで、ダメだと知っていても一回やってしまうと気持ち良すぎてやめられない……に陥るのだと思う。
特に「嫉妬」というのは人間の判断力をめちゃくちゃにするので、よけいに手段も選ばなくなってくる。良心の声も、まわりからの注意の声も、かき消されてしまう。
一回トレパクすると次もトレパクせざるを得ない
また、一回トレパクをしてチヤホヤされたり期待されてしまったりすると、次からへぼい自分の絵を出せなくなってしまうよな……と思う。一度体験した気持ちよさをみすみす捨てることなんて、たぶんできない。
一度褒められてしまうと、そこから自分の価値を下げられない。
特に絵のお仕事をもらったりしてしまうと、次の作品も同じクオリティを維持して納期に間に合わせるためにトレパクせざるを得ないというのもあるだろう。
「トレパクが一つ判明してSNSの画像を検証してみたら全部トレパクだった」みたいな例が多いのは、そういう理由のように感じる。
同じ絵を描く人間として、その地獄を想像しただけでおそろしくなってくる。
単に、著作権を考えたことのない人もいるのかも
今はネットがあるため、著作物の権利を守ることは難しくなってきている。
アニメのOPを別のキャラでトレースしてアニメーションを作ったり、ゲーム内のムービーをつなぎ合わせてMADにしたり、というのは動画サイトなどで当たり前に存在しているし、ユーザーから高い評価を受けていたりもする。(たぶん「ファンの作った、ファン活動の一部としてのパロディ創作物」ということで著作権者から目こぼしをされているのだと思う)
またゲーム音楽を丸々アップロードしていた海外のYouTubeチャンネルがあったのだけど、日本のゲーム会社の申し立てで3,000もの動画がすべて削除されたということが最近あった。
それでもおもに海外のユーザーからは「サントラを出さないほうが悪い」「収益化はしていないのに、何がいけないんだ」みたいな意見も普通にあるようだ。
日本国内でも「いい音楽をありがとうございました、ご冥福を祈るために投稿します!」とか言って無断でサントラをアップロードしている人がたくさんいるけど、コメントで「投稿に感謝です!」「本当にいい曲ですよね! 涙が止まりません!」とか言われると、自分は価値がある人間のような気がして気持ちよくなっちゃうのかなあ……。
「トレースくらい当たり前」という考え
こういったネットのパロディ文化にどっぷり浸かったり、グレーの動画を当たり前に観てきたりして、「そういうもんだ」と思っている人というのも当然いる。
そのため、「トレースくらい当たり前じゃん?」「トレースはしてるけど自分の作品に昇華してるから別モノだし、何が悪いの?」「収益化してなければいいんじゃないの?」みたいな考えかたの人も普通にたくさんいるのかもしれない。
「オリジナリティを加えたからこれは自分の作品」という考え
自分が遭遇した無断転載ヤーで「ネットで拾った画像の色をいじって自分のポエムを書き加えたんだから、これは自分の作品です! 言いがかりをつけるな!」と言い張っていた人がいた。
トレパクには元の作品を反転したり手を加えたりする例もあるけど、同様に、「オリジナリティを加えたからこれは自分の作品だ」と思い込んでいるのかもしれない。
さすがにここまでくると自分には理解できない部分で、想像の域になってしまう。
姪の一言にハッとした
最後に、自分の姪にトレースで絵を教えたときにハッとしたことがあるので、そのことについて書いてみる。
自分の姪は小1で、絵に苦手意識を持っていた。一緒にお絵描きをしていても私にばかり「あれ描いて、これ描いて」と言って、自分では描かない。
そこで私は、マリオの下敷きの上に紙を乗せてトレースしてみせた。見よう見まねでトレースを始めた姪は「すごい! 私にも絵が描けた! 絵って描けるものなんだ!」と大興奮し、「次はなぞらないで描いてみる!」といろいろな絵を自分でも描くようになった。
トレースを自作発言するような人になったら困るなと思ったので釘を刺しておこうと「写した絵を友達に見せて『これ、私が描いたんだよ』とか言っちゃう?」と聞いてみたところ、
「言わないよ、だって写して描いたんだから私の絵じゃないもん。そんなのずるいよ。それに同じ下敷き持っている子もいるからすぐバレて恥ずかしいし」と呆れたように言われた。
「そうだね、ずるいし恥ずかしいよね……」と、私は感慨深くなりつつ相槌をうった。
承認欲求や嫉妬や「絵が上手くなりたいのになかなか上手くならない……」という苦悩にさいなまれる前ならば、たとえ6歳の子どもでもこういった考え方ができるのだな……とハッとさせられた。
逆に言うと、承認欲求や嫉妬が強い場合、正常な判断力を失ってトレパクに手を染めてしまうことって誰にでも起こり得るのかもしれないな、と。また、一回やってしまったらもう止まらないやばいモノでもある。
「ダメだからやめとこう」で済まないような、かなり根の深い話なのかもしれないと思っている。