この漫画家、画力が低いな……こんなのでどうしてプロになれたんだろう
この作家、全盛期に比べて絵が下手になってる! 絶対画力落ちたよね?
とつい他人の画力のアラが目についてしまうのはまだいいとして【「画力が低い漫画家」とかで検索したくなったときの自分の気持ちを分析してみたら、弱っててヤバかった】という自分の実体験を書いた記事。
なぜ「画力の低い漫画家」で検索をしていたか分析してみた
人がけなされているのを見て溜飲を下げたかった
以前の自分は今よりもっと性根がこじれた絵描きだったので、プロの漫画家に対して「私より画力ないんじゃない? こんな絵でどうやってプロになれたんだろう」とか、「全盛期より画力落ちてるね。ネットの比較画像見たらはっきり分かるのに誰か周りの人が言ってあげないのかな?」とか、いつもやたらイライラしていた。
絵がそこそこ上手いつもりで(実際は全く上手くない)、でも何者にもなれていない自分は、漫画家とかイラストレーターとか、「既に、何者かになれている相手」に嫉妬していつもイラついていた。
足を引っ張りたい、こき下ろしたい。
で、「○○(漫画家の名前) 画力低い」でGoogle検索をして、自分と同じ考えの人はいないか探していた。ネットでケチョンケチョンにけなされているところを見て溜飲を下げたかった。
自分では表立ってけなさないところがまたなんとも薄汚いね……。
今思えば、これはどう見ても心が健全ではない。
人と比べて見下して「自分は勝ってる」と思いたかった
「画力 落ちた 漫画家」とか「画力 低い ランキング」とかで検索していた頃の自分って、どんな精神状態だったんだろう……と思い返してみた。
まず第一に、「自分はそこそこ絵が上手いのに、評価してもらえない!」という強烈な不満があった。
世間のやつらは見る目がないんだ、とか、Twitterでいいね稼いでいる絵描きはフォロワーに媚びてるからだ、とか、自分の絵が評価されない理由を外側に探して、憎しみを募らせていた。
「理由は外側になんか無いよ! 本当の理由はただ一つ、自分の絵が大したことないからだよ!」そんなたった一つの真実を見抜けず、いいや、見ないふりをして、外側を憎むことだけで何とか立っている状態だった。
そんなときに、大して画力が高くないのに(と当時の自分は思っていた)プロになっている漫画家さんや作家さんが目に入るとどうなるか。
「プロなのに下手じゃん! なんでプロになれたの! なんで? なんで?」「画力落ちてるじゃん、大丈夫〜?」と、それはもう鬼の首を取ったように嬉々としてけなしまくる。(いい年して体裁が悪いのは重々分かっているので、心の中でけなす)
「この漫画家下手だよね? ね?」「肩とかどうなってんのこれ、デッサン狂ってるよね? ね?」とまわりにも同意を求めたくなる……が、そんなのみっともないことは分かっているので無言でGoogle検索をする。
「○○(タレントさんとかの名前) ブス」とか「○○(モデルさんとかの名前) 整形」とかで検索する人もこんな精神状態なのかな……。
こうして書いていると、当時の自分の醜さに落ち込んでくる。
減点法でジャッジするクセがあった
また、自分には減点法でジャッジするクセがあった。アラばかりが目についてしまい、「この漫画家はここが描けてないからダメ、下手」みたいな。
これは自分が「まちがった完璧主義の虜」だったから。
「自分の絵の下手さが許せない、絵が下手すぎて描くのがイヤ……だから描かないし上達もしない、今のままの自分の絵で、なんとか評価されないものだろうか……」
そんな自分の絵に対する「まちがった完璧主義」は、他人の絵に対しても「まちがった完璧主義」を押し付ける。
「ここがダメだから全部ダメ」「ここが描けてないからこの絵は下手」「下手なくせに絵を描くな」……。
他人を批判しているつもりでもそれはすべて自分の首を絞めている&自分への批判が他人へも向けられる。常に諸刃の剣を振り回している状態で、非常によろしくなかった。
しんどくなったので、やめた
そんなわけだから、絵のことだけでなく、人生全般において心の状態がよろしくなかった。
「脳は自分と他人の区別がつかない、脳は主語を区別しない」というのはよく言われることで、人に対して批判すると自分の心が痛めつけられてしまう。
でもまあ20代前半くらいまでは体力も気力も血の気もあったので、元気よく自分の血で血まみれになりながら諸刃の剣を振るっていたのだけど、年齢を重ねるにつれてそれがしんどくなってきた。
諸刃の剣で傷つけられる自分の心が、限界になってきた。流れた血の生産が追いつかなくなってきた。心の不調がダイレクトに体調に響くようにもなってきた。
もういいかげんこの荒ぶる心を鎮めて穏やかに過ごしたい……。疲れたよ……。
そう思ったら自然に、「私は評価されたかったんだな……でも評価されなくて悲しかったんだ」と気づいた。さらに「なぜ上手くないくせに、そんなに奢っていたんだろう……?」と目が覚めた。
そこで自分が諸刃の剣を手に握っていることに、初めて気がついた。
私は諸刃の剣を振り回して、一人演舞して血まみれになっていたのだな……。
もしこれを実際に相手のいる場所でやっていたら、どれだけの人を傷つけ、イヤな思いをさせただろう……? もしかしたら誰かから訴えられていたかもしれないな……と思うと、背筋が凍りつくようだった。
ああ、せめて他人を傷つけなくて済んで本当によかった……。
無言でGoogle検索して自分の中でイライラするだけで済んで、本当によかった……。
でも言動の端々に出ていて、まわりの聡い人たちには察しがついていただろうから、きっとたくさんの知人友人を失ったことだろう。
ああ、もうこんなこと二度としたくない。イヤだ。つくづく懲りた。
そのときからつきものが落ちたようになって「認められたい」とか「他人が恨めしい」みたいなものが一気に薄れた。
楽になったし絵を描くのも楽しくなった
「そんなに上手くもないくせに何をカリカリしていたんだ」と気づけば、格段に楽になった。
「認められたい、上手いと言わせたい」みたいな気持ちが無くなれば絵を描くのも楽しくなり、楽しく絵を描いているとまわりに人も集まり、「いいですね」「好き」と言ってもらえるようになり、心が満たされ、そうすると他人のアラなんか気にならなくなり、むしろいいところが目につくようになり、尊敬できる相手が増え、さらに満たされ、心が平和になった。
(もっと紆余曲折はあるけどきれいにシンプルにまとめています)
不思議なもので、嫉妬とか怒りみたいな負の感情って、気づいてあげてじっと見つめていると消えていくんだなと知った。目を背けると大きくなる。
Google検索の履歴を見返してみると、自分の精神状態を把握するきっかけになるのかもしれないな……と思った次第です。