Twitterに時間を取られてしまって、やらなきゃいけないことができない。ちょっと使うのを制限したいと思っているんだけど、ついつい見てしまうんだよね……
という人向け、【私が半年間Twitterをやめてみたときのことについて。やめ方のコツってあるかも。】という記事。
人の脳って次々と新しい刺激を欲しがるものらしくて、毎秒新しい情報が流れてくるTwitterをつい見ちゃうのも仕方ないよなと思う。楽しくてワクワクするような刺激だけならまだいいけど、しんどいニュースや問題提起も熱心に追ってはいちいち感情を振り回される。これはよろしくないな、と感じて半年Twitterをやめてみたら快適だったのでそれについて書きます。
Twitterに時間や気持ちを取られるの何とかしたい、ちょっと使うのを制限したい、でもやめられなくてやめ方分からない、やめ方のコツってないのかな? という人向けの記事です。※Twitterと上手く付き合えているなら、やめる必要はないと思います。
Twitterをやめてみようと思った理由
やるべきことに取り掛かるタイミングを逃しがちだったから
まず一つ、だらだらとSNSを見てしまって、やらなければならないことに取り掛かるタイミングを逃しがちだったので。
やらなければならないことをサボってしまうというほどではないけど、取り掛かるタイミングをつかむのに気力を使ってしまう。コタツから出るのに勢いが必要になるのと似ている。
「やるべきこと」がめんどくさいほど、この勢いをつけるのに大きめの気力が必要になる。これがなんともよけいな気力を消費しているような気がしてしまった。
「どうしてもやらなければならないこと」なら、最終的にはやるのでまだいい。しかし「やらなくても別にいいけど、本当はできればやったほうがいいかも……」くらいのことが、結局やらずじまいになったりする。
自分の場合は趣味で描いている絵。「本当は10分くらい絵を描こうかなと思っていたんだけど……」と言いつつもTwitter見ちゃう。たかが10分だけどそれが積み重なると焦りや自己嫌悪みたいなものが溜まってきて、それが精神衛生上よろしくなかった。絵以外にも資格の勉強や読書など。この「やってもやらなくても今すぐはなんてことない、ささいなこと」をサボり続けて何年分も蓄積していくのかと考えると、ちょっとそれはな……という気持ちになった。
しんどいニュースや情報を見たくなかったから
ポジティブな刺激もネガティブな刺激も脳にとっては等しく大好物なんだそうだ。
だからしんどいニュースや情報などもつい見てしまって、ついカッカしたり落ち込んだり嫌な気分になる、というのをやってしまう。これって自分には楽しんでいる意識はないけど、脳が刺激を楽しんでいる、とも言える。
それゆえに「自分には関係のない話題にまで感情を振り回されて、何か一言噛みつきたくなる」みたいなのってSNSでは起こりがちなんだと思う。
わざわざ心をネガティブな方向に揺らしてそれを刺激として(無意識で)楽しんでいる……それもなかなかだなと思ったので、しんどいニュースや情報は見ないようにした。具体的にはトレンドの国を日本以外に設定したり、社会問題をRTする人のRTを非表示にした。目に入って感情を動かされそうになったら「これは脳が刺激を求めてカッカしたがっているだけだからスルーだ」と制御を試みるようにしていた。
それでもTwitterを見ていればどうしても目に入ってくるし、ネットニュースなどはわざと煽るようなタイトルでこちらの脳に刺激を与え、反応させようとしてくるし。
毎回「スルーしよう」と制御を試みることで、これもまた気力を無駄使いしているのではという気がしてきた。
インプットよりアウトプットをしたい時期に入っていたから
あと、自分はインプットよりアウトプットをしていきたい時期だったのに、Twitterを見続けることでインプット状態が続いてしまっていた、というのもある。
お腹がいっぱいなのに惰性でまだ食べ続けているのと似たような感覚で、自分自身がうんざりしてきていた。
イラストへのいいねなどを気にしすぎてしまう人もいるかも
これは鍵アカウントの自分は当てはまらないのだけど、「イラストへのいいねの数で一喜一憂してしまってしんどい」「他人と比較してしまってつらくなる」という人もいるかもしれない。
でもこれも脳がつい刺激を求めてやっていること=わざわざ落ち込む理由を探してきて感情を振り回されている、のだと考えると気力がもったいないとも言える。
一喜一憂することをやめるのがなかなか難しいってことは、もちろん自分もイヤというほど思い知っている。
だったらTwitterという刺激のもとから離れる方がまだ簡単な気がする。物理的にできることだから。
私が半年Twitterをやめてみたときのこと
ということで半年Twitterをやめてみたのだけど、きっぱりやめられて我ながら驚いたのでそのときのことについて書いてみる。※今はTwitterに対するスタンスを変えてまた利用しています。
一日中スマホを触れない日があって、それをきっかけにした
直接的なきっかけになったのは、所用でスマホを触れない日があったこと。
ふと「今日はTwitter見なかったな。これからも見なくても平気なのでは?」と思ってその日からぱったりと見るのをやめた。
「なんだ、必要ないじゃん」と理性的に気づくことが、自分の場合は効果があったんだと思う。「やめなきゃ!」「やめるぞ!」と思うと「自分はあれを我慢している」という感じになって却って意識してしまうのかも。
自分はお酒も「試しに飲まないでいてみたら全然平気だ。私の人生において優先順位が低いモノだったんだな」みたいに感じてやめたんだけど、こちらはもう一年ほどやめ続けている。
軽い気持ちでやめた(アカウントは消さなかった)
Twitterを触らないために一定期間アカウントを消す人もいると思うけど、自分の場合はアカウントは消さずにただ放置していた。アプリも残してあった。
これも「今私はTwitterをやめているんだぞ!」みたいに過剰な意識をしない効果があった気がする。
「私はTwitterをやめるんだ……! 本当はやめたくないけど……さよならTwitter……」みたいに悲愴な気持ちになったりするのもちょっと違うというか。
「Twitterを半年やめるぞ!」と決めていたわけではなく、「試しにやめてみよう。見たくなったらいつでも見よう」と思っていたら半年経っていたという感じ。
ただ、習慣でうっかりアプリを触ってしまうかも? と思ったので、スワイプしないとたどり着けないホーム画面の2ページ目以降に置いていた。
こう書いてみると「もともとTwitterにそんなに依存してないドライな人なんでしょ? だからそんなに簡単にやめられるんでしょ?」というふうに見えるかもしれないけど、以前は一日中張り付いていた。なのでこんなにあっさりやめることができた(休むことができた)のは、自分でも意外で、ちょっとした自分向けのコツがいくつか重なったのがよかったんだと思う。
Twitterをやめてみてどうだったか
やめてみて何かがガラッと変わった、みたいなことは無い。
というか、もしそんなに劇的に何かが変わるようであれば、脳が警戒してしまってやめ続けられなかったと思う。淡々と、Twitterを見ない日が積もっていったというだけの話。
でもしんどいニュースを目にする頻度が減ったり、他人の動向に対してああだこうだ思うことが減ったりして(ゼロにはならない)、たぶん検知できないレベルで幸福度は上がっているんじゃないかと思う。
あとは、ささやかではあるけどこんな感じ。
- 絵を描くことへの比重が増え、頻度が上がった
- リアルの世界において、ちょっとしたことを楽しく感じるようになった
Twitterをやめて脳への刺激を減らしたことで、他のことに喜びや楽しさを感じやすくなったのかもしれない。
やめていたときの感覚を保ちつつ再開
今はブログ更新お知らせ用にTwitterを使っている(@tkhs_bsdz )けど、半年やめていたときの感覚が保たれていて、かなり距離を置けている。(更新お知らせくらいしか投稿しないので、距離を置きすぎなくらいかも)
気をつけているのはこんなところ。
- タイムラインは自分が投稿するタイミングで目に入るぶんだけをサラッと見て、全部は読まない。読んだらしんどくなるような話題は読み飛ばす。
- 通知はオフにしていて、リプライを返したりフォローを返すのは気づいたときだけ。
- トレンドは日本以外の国に設定してある。
あと「脳が刺激を求めるのって脳が暇だからなんだろうな」という気もするので、新しくやりたいことやそのための計画を意識して考えるようにもしている。
もしまた退屈した脳が刺激を求めてのめり込むようなことがあれば、というか、またそういうときは来ると思うので、そのときはまたTwitterを一時期離れてリセットすればいいや、と考えている。この記事は、そのとき用の自分のための覚え書きでもあります。