「自分の絵はそこそこ上手いのにTwitterで評価されない。どうして?」
と悩んでいる人向け、
- 解決策①まず、Twitterでの「評価」ってなんだ?
- 解決策②需要のあるところで描く
- 解決策③センスを磨いておおぜいに刺さる絵を目指していく
- 解決策④自分の絵が本当に上手いのか考えてみる(おそろしい錯覚)
と、4つの視点から考えてみた記事。
まず、Twitterでの「評価」ってなんだ?
「評価されない」というのは重い言葉だ。絶望感がある。
「コンペティションに参加しているけど評価されない(作品が通らない)」
「面接先にポートフォリオを提出したけど評価されない(合格しない)」
「定期的にコンテストに出品しているけど評価されない(賞をもらえない)」……
みじめだし、焦るし、自分の価値が揺らぐような気がしてくる。
しかし、「Twitterで絵が評価されない」と言う場合のその「評価」って何を指しているのかというとたぶん、「絵を描いてTwitterにアップしたけど、思ったほどいいねがつかない」ということだと思う。
絵のプロでもなんでもない群衆の「評価」って意味があるのか、そもそも「評価」なんて言っていいのか? コンペでもコンテストでも面接試験でもないのに?
「評価されない」ではなく「Twitterで思ったほどいいねがつかない」と正確に言ったほうが解決策が見えやすいんじゃないかと思う。
※「いいねがつかない」と言うとなんか俗っぽいしカッコ悪い気がしてつい「評価されない……」と言いたくなるけど、問題点がぼやけるだけな気がする。
コンペやコンテストの場合でも一言で「評価されない」ではなくて「ロゴデザインのコンペだと良いとこまで行くけど、イラストだと全然引っかからない」とか「絵画コンテストの賞はもらえたけど、本命のイラストやデザイン系が全滅だった」みたいに、具体的に言う方が課題がはっきりするかもしれない。
需要のあるところで描く
もし「Twitterで思ったほどいいねがつかない。もっとたくさんいいねが欲しい!」という具体的な悩みであれば、やりようが見えてくる。
まず、環境を変えるという方法がある。
自分が描く絵を「見たい」と思ってくれる人を、きちんと集めて見てもらうのだ。
平たく言えば「需要のあるところで描く」ということ。
自分の経験(二次創作)なのだけど、「あわよくば別ジャンルのイラストも見てほしいな、同じ私が描いた絵なんだし、少しは見てもらえるのでは……?」と別ジャンルの絵をアップしたらびっくりするほど見てもらえなかった。500人近くフォロワーがいていいねが2、3個。奢ってすみませんでした。ジャンルの下駄に甘えていました。ということがあった。
見るほうだって、絵ならなんでも良いわけじゃない。
そこで別ジャンル用に別アカウントを作ったところ、フォロワー20人くらいのうちからいいねがコンスタントに2、300ついた。興味を持って見てくれる人にきちんと届き、RTでも拡散してもらえたからだ。
他にも、ジャンルは同じだけど推しが違うとか、二次創作のアカウントでオリジナルを描くとか、そういうのも自分の経験では思うようには見てもらえなかった。
また、「#絵描きさんとつながりたい」などのハッシュタグで「とりあえず数は増えたけど大してお互いの絵に興味ない」みたいなフォロワーが増えても、当然興味を持って見てはもらえないと思う。(これは自分ではやったことがないから言い切れない)
「切実にそれを見たい!」という人にきちんと届けるのって、思った以上に重要なのではないだろうか。
センスを磨いておおぜいに刺さる絵を目指していく
次に、絵自体を変えていく方法。
と言っても目的が「いいねを増やしたい」ならば、「画力を上げればいい」という単純な話ではない。
知り合いに有名な美大の卒業生でプロとして日本画を描く人がいて、Twitterでたまに作品を上げているけど、いいねなんてほとんどついていない。画力がスカスカの私のほうが100倍いいねが多い。そんな「いいね」になんの価値があるんだと思うけど。
画力だけで言えばすごくても、世の中の見たい絵と違っていればいいねはつかないしRTもされないということ。
ではどんな絵を描けばいいのか
「良い」と言ってくれる人を増やしたいわけだから、
unpopular(一般的ではなく不人気なもの)ではなく、
popular(一般的でおおぜいにウケるもの)を察知して、それを実際に描いていく。
「要するにセンスが必要ってことね。でも私センスないし……」
「センスない」もぼんやりした言葉だから、ついそう言って逃げがち。
そこでセンスってどうやって磨けばいいのか具体的に考えてみた。
絵のセンスの磨き方って?
考えるにあたって『センスは知識からはじまる』という本が参考になった。
「センスとは、点数がつけられないようなことでも良し悪しを判断して、最適なものを選び出せる力。そのためにはたくさんの知識と経験が必要になる。」
とのこと。
(自分の解釈なので、気になる方は読んでみてください。)
自分なりに絵を描くことに応用してみると、
- 流行っているものや長く愛されている"定番"にたくさん触れる(知識)
- そして「どこがどう良いのか(悪いのか)」「自分ならどう描くか」と考える(判断)
- 実際にそれを描いてみる(経験)
こんな感じ。
何でも興味を持ってホイホイ観る
おおぜいに刺さるものを察知するには当然ながら流行や定番は知らなければならないし、そうやって得た知識を生かして自分で描いてみるという経験や試行錯誤も必要になる。
「えー流行りもの嫌いなんだけど」とか「流行に影響されて自分の個性を殺したくない」とかいう気持ちはちょっと脇に置いといて、TLで話題になってるマンガをホイホイ読んでみたりアマプラの新着をホイホイ観てみたりするの、けっこう楽しい。
別に真似しようとか取り入れようではなく、自分はホイホイ楽しく観たり読んだりしている。
「面白かった!」「取り入れたいところがあった!」と思えばそれで楽しいし、「いや、そこの表情の描き方どうなの?」「この作者どうも体のバランス悪くない?」とかケチをつけたくなったら「私だったらこう描く」と実際に描いてみたりすることもある。そうすると意外と「この作者バランス悪いな」と感じたものが一周まわって正解だったりして、リスペクトが生まれたりする。単純に楽しくて面白い。
ただ、目に見えていいねが増えるかというと自分の場合は即効性はない。2〜3年後の自分のために楽しくやっている感じ。目に見えて変化がある人もいるかもしれません。
自分の絵が本当に上手いのか考えてみる
最後に、「上手いのに評価されない」と言うけど果たして本当に上手いのか? というおそろしい錯覚について。
心理学に【レイク・ウォビゴン効果(平均以上効果)】というのがある。
「自分は他の人と比べると、平均以上である」と自己評価を過大に捉えるという基本的な帰属の錯誤を生み出す認知バイアスのことである。
レイク・ウォビゴン効果-Wikipedia
つまり「根拠もないのに、自分は平均以上の能力があると思い込んでしまう心理」のこと。
この【優越の錯覚】はほとんどの人が持っていて、実験によると9割の人が「自分は平均以上だ」と回答したという。
「へー。確かに、下手なくせに自分は上手いと思い込んでる人っているよな〜。そういう心理だったのか。私は違うけど」と思ったその心理も、もしかしたら【レイク・ウォビゴン効果】の錯覚なのかもしれない。
もう一つ【ダニング・クルーガー効果】というのもある。
能力の低い人は自分の能力を過大評価する、という認知バイアスについての仮説である。
ダニング・クルーガー効果-Wikipedia
能力の低い人は、
- 自身の能力が不足していることを認識できない
- 自身の能力の不十分さの程度を認識できない
- 他者の能力の高さを正確に推定できない
ゆえに、自分が優れていると思い込んでしまう、のだそうだ。
この二つを聞いて「自分には関係ない。だって自分は本当に能力があるから」と思うのか、「うわー、私もそれかも! 自分の絵をもっと客観的に見て、コツコツやっていこう」と思うのか。