絵が上手い人と比較して落ち込む理由&落ち込んだ後どうすればいいか

「SNSでは絵が上手い人が多すぎて、自分の絵と比較して落ち込んでしまう……」

「他人の絵と自分の絵を、どちらが上手いかつい比べて一喜一憂してしまう」

という人向け【他人と比較してしまう理由と、比較して落ち込んだあとどうすればいいのか】についての記事。

絵を長く描いていて、「今まで他人と比較して落ち込んだことなんかないよ」という人はいないと思うので、この記事では、

  • 人はなぜ他人と自分を比較をしてしまうのか
  • 比較するのはもうしょうがないので、比較したあとにどうするか

について考えてみました。

絵が上手い人と自分を比較して落ち込む理由

絵に限らず、他人と比べて落ち込むことっていろいろある。

特に団体に属して行動をしている場合、常に比較がつきまとう。団体というのは学校や会社、あと社宅とか、ママ友とか?(自分には経験がないので、このあたりはよく分かりませんが)、最近ではSNSのジャンル仲間や同担仲間みたいなものも含まれてくる。

こういった団体や仲間の中にいる場合、心の中で他人と自分を比較してどっちが上だ下だとやりたくなってしまう。

それってなぜなのか。

自分のいるグループの輪を乱さないための"順位づけ"

「人間は社会的な生き物なので一人では生きられない」というのはよく言われることだけれど、社会の中で波風立てず暮らすには「その中で自分がどの位置にいるのか」を順位づけしておかねばならない。

最近ネットの何かで読んだことだけど、「クラスで目立つ子たちのグループとそうでないグループがあって、そうでないグループの女の子はピンクの服を着たくても、着るのがこわい」みたいな現象があるのだそうだ。なぜなら目立つ子たちに「陰キャのくせにピンクとか着て生意気」みたいに言われるからだとか……。

これも「順位づけ」であって、「自分はクラスでこのへんの立ち位置だから、ピンクの服は着ないほうがいいな」と判断することで、波風を立てずに生きている。私はたいがい空気を読まない子どもだったけど、そこらへんの感覚はなんとなく覚えがある気がする。思い出すだけでめんどくさいですね。

かと言ってそこらへんの無意識の順位づけを無視すると、日常の平穏が脅かされてしまう。

絵描きの世界でも「底辺絵師のくせに神絵師にリプするな」みたいなことを言う人っていて、あれも「順位づけ」なんだろうと思う。そのへんの禁忌を破ると、他の人からエアリプでイヤミのようなことを言われたりする。

比較と順位づけは「この場所でうまくやっていくため」の本能なのだと思う。

比較することで、正しい情報を得るため

比較するのが「複数の情報を集めて比較することで、より自分に合ったものを選択するため」という理由の場合もある。

ビジネスホテルの比較サイトで料金、立地、駐車場の有無、食事メニューなどなど、細かく条件を比べれば、より自分に合ったところで予約できる、みたいなこと。

同じように「私の絵はどういうところが長所なのかな? 私が得意な表現ってどういうところなんだろう?」みたいなことって、いろいろな人の絵と自分の絵を比較してみることで発見できたりする。

つまり、どうせ他人と比較をするのであれば、この視点を意識するのがもっとも建設的だということになる。ただ、こんなふうに建設的な比較ができる人は落ち込まないと思う。

その基準において「自分は平均より上だ」という気持ちがあるから

※これは筆者の場合なので、当てはまる人ばかりではないと思います。

社会心理学に【平均以上効果】というのがあって、これは「8割の人は自分のことを平均以上だと思っている」というもの。「私は普通より運がいい」「私は普通より人に好かれる」「私は普通より運転が上手い」など、はっきりと順位がつかないようなもので起こりやすい。【優越の錯覚】とも言う。錯覚。

絵の上手さも数値化できないことだから、「幼稚園から描いているし、美大受験もしたし、私は人並み以上くらいには絵が描ける」とずっと思ってきた。でもその割にいいねが少ない、もっと評価されてもいいのでは???? え? 私って平均以上だよね??? ね??? みたいになって、必死で人と比べて「私の絵は平均以上である」という証拠を探そうと躍起になっていた。のだと思う。

そもそも「私は人並みより絵が下手だ」と認識していればわざわざ人と比べて一喜一憂しないわけで。

「私は人より絵が上手い(と思っていたい!)」ので、そのための証拠を探して安心するために、人と比べていたのかもしれない。

落ち込んだ後どうすればいいか

比較するのは人間のサガだと割り切って、もう仕方ないとして。

そのあとどうしていくかで、しんどさがなくなったりもするしひどくなったりもする。得るものもあれば失うものもある。

自分が悩んでいるときよく言われた・見かけた言葉が、「比べて落ち込む場合、『私もそんな絵を描きたい!』と思っているってことだよ」というもの。

「そういうの描きたい(けど描けない)」→落ち込む

上手い絵を見ると何でもかんでも比較して落ち込むかと言うと、そうではない。

たとえばアニメや漫画のキャラを描いている人が、水彩の風景画を見て「この人上手い!! 悔しい!! あー落ち込んじゃうよ」とは感じないと思う。

同じ二次創作畑だったり同じジャンルだったり「ああ、私もそういうの描きたい! それくらい描こうと思えば描けるし! (でもまだ描けない!)」という絵に対して落ち込むんじゃないだろうか。

逆に、どんな種類の「上手い絵」を見ても落ち込むという場合「自分はこんな絵を描きたい!」というはっきりしたビジョンがないのかも。私は「自分がどんな絵を描きたいのか」をまずじっくり考えてみることでつらさを減らしました。

比べて落ち込む絵をそっくり真似して描いてみた

これは私の経験なのだけど、同じジャンルに「なんか嫌い、けむたい」と感じる人がいた。その人の絵は上手いんだけど、TLに流れてくると目にするだけでイヤな気持ちになり、落ち込むようになった。絵を描く気をなくした。

そのうちに自分の中だけでなんとなく「絵は上手いけど性格悪そうだし嫌い。こういう人にはなりたくないな」みたいに思っていた。

嫌いな絵柄なわけでもない、地雷の要素があるわけでもない。「私もこんなふうに描きたいけどどうせ描けないし(描いてみて描けなかったらもっと落ち込むから、描くのがこわい)という気持ちが「なんか嫌い、けむたい、見ているだけで落ち込んでくる」になっていたのだと思う。

あるとき何かの気まぐれで、その人の絵を真似して描いてみた。そしたらなんだか面白くて楽しくて、興味深くて、スッキリした。

実際描いてみると「なんだ! 私もこれくらいは描けるじゃん」とスッキリ気持ちよかった部分も多々あり、「あーこのへん私にはまだまだ描けないな」という部分もあったのだけど「んー別にそこは描けなくていいや」と思えたりして、なんというか、モヤモヤに決着がついた。

河原で思いっきり殴り合って寝転んで笑い合う、みたいなすがすがしさがあった。(一人だけど)

比べて落ち込んだら、その絵をそっくり真似して描いてみるの、おすすめです。

※もちろんSNSなどに投稿してはダメです。

絵が上手い人を見て落ち込む場合、たぶんだけど、見ただけで落ち込んで終わってしまっているんじゃないかと思う。隣の芝生が青くて羨ましいなで止まってしまっている。隣から見てりゃ、そりゃあ青いのです。枯れた葉っぱも見えないのです。

隣から横目で眺めてイジイジするのではなく「失礼しまーす!!」と言って隣の芝生に入ってみると意外と青くない。アラもある。青いところは真似してみてもいいし、アラを見たらホッとしてもいい。どんな上手い絵に見えてもいざ真似して描いてみるとアラはあったりするので。

ズカズカと隣の芝生に入ると言っても、やっていることはそっと絵を真似して描くだけ。もちろん相手の妨害をしたり傷つけたりはしないよう。もちろん真似して描いた絵をSNSにアップしたらダメです。

これをやってみてから「上手い絵を見て落ち込む」ということが少なくなり、勝手に苦手に感じる相手も少なくなった。

自分の長所を探るための比較をしてみる

せっかく比較をするなら、自分の絵のいいところを見つけるための比較をする、という方法もある。

私は「自分がどんな絵を描きたいか」というのをはっきりさせることでかなり楽になると思っていて、それについてはこの記事に書きました。

上手いか下手かで比べるのは不毛なので、もっと、ビジネスホテルの比較サイトくらいに細分化して比較する。

例えば、

  • 原作らしさ
  • 今っぽさ
  • レトロっぽさ
  • 線の始末
  • 構図の多様さ
  • 落ち着いた配色
  • 派手な配色
  • 泣き顔の表現
  • 笑顔の表現
  • トーンの処理

みたいなところをそれぞれ比較して、自分が欲しい項目で負けたらそこを取り組めばいいし、自分が欲しくない項目で負けても別になんとも思わなくていい。もし気が向けば変えたり直したりしてもいい。

落ち込むことがあまりにも多い人は……

上手い絵と自分を比べて落ち込んでしまうというのはごく当たり前なことだし、それがないと成長しない。比較のしかたに気をつければそこまでイヤなものでもない。

考え方のクセに気づいて、やめてみる

しかし「落ち込みまくってずっと自分の絵も手につかない、この世のすべてが憎い」みたいな(昔の私のような)人は、健全な比較ができていないのだと思う。

「私は平均以上できているのかな? 自分に価値はあるかな?」

「これで私は恥ずかしくないかな? 生きていていいの?」

「誰かの気分を悪くしないかな?」

それらは今までの学校教育や団体行動で身についてしまった考え方のクセだったり、「自分は平均以上だ」と思いたい【優越の錯覚】のせいだったりするんだと思う。

小学生の頃スクールカーストを気にして好きな色の服を着られなかった人とか、根拠もなく「私は人より絵が上手いはずだ!」と証拠を探してしまっている人の場合、心理学的に理屈がつくことでバカらしくなって呪いが解けることもある。

「つらさ」ってだいたい理屈で説明がつくから、そしてたいていの「つらさ」はすでにいろいろな学者さんが説明をしてくれているから、あとは自分の「つらさ」を正確に把握しさえすれば(それがいちばん難しい)ネットなり本なりで勉強してみることができる……というのが私の実感。

ネガティブが気持ち良くなっちゃってたら、やめてみる

また、ネガティブ思考って、あるレベルを超えると気持ち良くなっちゃうというのがある。

ネガティブ思考をして胸がざっくり切れるみたいなあの苦しい感覚も、脳にとっては中毒性の高い刺激となる。

布団の中で「私なんてどうせダメだ……」と自分を傷つけてイジイジ泣くのが楽しい、っていう経験が私はあるのだけど、これは脳がネガティブ中毒になっていたんだと思う。

「私なんてどうせダメだ……」とイジイジ落ち込んで泣くための材料にするために他人と自分を比較していたフシがなきにしもあらず。な気さえする。これでは無意識に自分の心をいじめてしまっている。

これって脳は気持ちいいからついやりたくなるけど心が死ぬので「私もそれやってるかも」と思ったらためしにやめてみてほしい……。

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